友人ファミリーがやってきた。

親しい弟のようなFが、沖縄本島に仕事があってくると言うので、そのついでに宮古島に一泊しに行きますと連絡があり、1人でくるのかと思いきや、Fのパートナーと2人の子ども、妹のようなゲイのGも一緒のファミリーでの来島になった。

昼過ぎに宮古島空港に迎えに行き、子どもたちの様子を見ながら予定を決めようと思っていたが出てきたら長女はガン泣きしていたので、レンタカーをピックアップしてから「丸吉食堂」を目指す。

僕の家にも近い丸吉食堂は、おばあちゃんの家のようにお座敷もあって子どもたちが騒いでも大丈夫。のんびりとみんなで沖縄そばを食べながら過ごすことが出来た。

その後、ファミリーは夕方に家にやってきて、僕の手料理を食べながら久しぶりにみんなでお酒を飲んで楽しい晩ごはん会だった。

メニューは、竹の子ごはん。マグロのオリーブオイル醤油わさび和え。唐揚げ。島らっきょう。ジーマミ豆腐。島野菜のサラダ。出汁巻き卵。

宮古島で竹の子ごはんのために木の芽(山椒)を探したけど、どこのスーパーにも置いてなかった・・・。

楽しく飲んだり笑ったりしながら、これからも友人たちがどんどん遊びにやって来て欲しいと思ったのだった。

近所に広場を発見。

僕が東京に行っていた時に、Kが散歩をしていて偶然大きな広場を発見したようだ。

そこで、Kとふたり海を連れてその広場に行ってみることにした。

広場は大きな公園だったようだけど、今は周りが畑に囲まれていて隣の敷地は老人ホーム担っている。

人っ子一人いないようなので、思い切って海のリードを離してみることに。

海は今まで見たことのないくらい全速力で芝生を駆け回り、途中沼地のようなところに水鳥めがけて突進していきハラハラした。

海は臆病なのでそう遠くには行かないのだけど、人や動物がいると好奇心旺盛なのですぐに突進してしまう。

全速力で走る海を見ていると、本当はこうやって野山をもっと駆け回りたいんだろうな・・・と思う。

帰り際、散々走り回って疲れ切った海のリードを繋ぐと、まるで老犬のように尻尾を項垂れてゆっくりと歩くので笑ってしまった。

海は自分の体力がどれくらいあるのかも何にもわかっていなくて、ただ走りたい一心で走るのだ。

ボグダンさん。

ウクライナの状況が気になって、日に何度もニュースをチェックしてしまう。

今こうしている間に罪もない子どもや市民が殺戮されているかもしれないと思うと許せない気持ちでいっぱいになる。

僕たちは夕方にいつも、「関西テレビNEWS」をYouTubeで見るのを楽しみにしている。

ほんの10分もないコーナーなのだけど、ウクライナ人のボグダンさんという男性が流暢な日本語で今現在のキエフの状況を説明してくれるから。

ボグダンさんは小さな頃から日本で育ったようで、完璧な日本語を使っている。それでいてキエフに残りながら募金を募り老人や困った人の手助けを続けている。

週末になると、「ボグダンさん、それではまた月曜日に会いましょう。」と言って終わるのだけど、僕たちはボグダンさんがこの週末を乗り切れるだろうか?と心配になる。そして休みが開けてボグダンさんの元気な顔を見られると心の底からホッとする。

一日中でも早く、この戦争が集結することを願ってやまない。

次回裁判での意見陳述。

次回、5月30日が東京での裁判期日になっていて、僕だけ飛行機を予約している。

次回の裁判では原告と弁護士による最後の意見陳述が予定されており、その陳述でそれぞれ何を訴えかけるか?と言う会議が弁護団と原告で行われた。

この日がおそらく結審になるだろうとの予測があり、最後の最後に一体何を言ったらいいのか、それぞれ悩んだ挙句に今考えていることを箇条書きにして共有した。

僕は最初、田舎暮らしをしてからの不都合や、財産を残すことのできない不平等などを訴えようかと思っていたが、細かなことを言うのではなく、全体として裁判長に訴えたいことを話したいと思い考え直した。

何というか、「あの金を鳴らすのはあなた」と言う感じと言えばわかってもらえるだろうか。

どんなに政治に訴えてもここ3年間全く変わらなかったのを見ていると、国会だけで変化を望んでもなかなか難しいのではないかと思っている。今までのほとんどの国がそうであったように、裁判によって平等を勝ち取っていくしか今のところ道はないのかもしれない。

フローリング・タイル・浴槽・シャワー・洗面台。

せっかく東京に行くついでに、リフォームで必要な資材などを直接この目で確かめたいと、幾つかのショウルームを予約しておいた。

限られた予算の中で、何に重点を置いてお金を使いいかに居心地のいい部屋にするか、こんなこと初めてなのであれこれ考えることがいっぱいだ。

例えばお風呂、シャワー、洗面台、トイレなどの水回りのタイルをどうするか。浴槽をどうするか、洗面台や混合栓はどうするか、シャワーはどうするか。決めなければならないことが次から次へと出てきていて、決断を間違えると後戻りの効かないものもある。

タイルは、中野坂上にある平田タイルに実際のタイルを見に行き、ショップの人にいろいろ質問をして大体決まった。タイルやフローリングはサンプルを家に送ってもらっていたのだけど、小さなサンプルでは実際に貼られた雰囲気はなかなかわからないもの。ショウルームに行けばある程度大きな面で貼られているのでかなり実際の空間が想像できる。

フローリングは、南青山にあるNISSIN EXという会社に。床材は無垢の木材の質感を残すべきか、ウレタン塗装にするべきかも迷うところ。1平米の値段が千円違うだけで、全体としては大きな違いになるので慎重に選ぶことにした。それと、木材のはばも90ミリ・120ミリ・150ミリとあり、敷き詰めた時の見え方が全然違うのだ。

洗面台はイタリアの職人の作る「CIELO」と言うブランドのものにして、横幅は60cmはないと洗った時に水がバシャバシャとはみ出てしまうかもと思う。

シャワーや混合栓に関しては、僕は「GROHE」が好きなので、これも南青山のショウルームを予約して、シャワーの圧力なども確かめさせてもらうことができた。

ディテールに凝り出したらキリがないとも思うけど、ドアノブは真鍮がいいなあ・・・とか、照明はフロアスタンドやテーブルランプを置きながら、ペンダントライトをテーブルに置けばいいかな・・・。

初めての宿を開業するにあたり、なんとか毎日手探りで進んでいる。

ラ・ムジカ

親しい女友達Fと、目白でランチをした。

お店はビストロ「ラ・ムジカ」音楽と言う意味だろうか?

目白は僕が高校生から浪人時代に美術学校があったので通い詰めた町なのだけど、時代の流れのせいかとても変わっていて、でも変わっていない懐かしさもあってドキドキしながら歩いた。

海老とアボカドのカクテル

トリッパのグラタン
シャーベット

キャロットスープ

Fは僕よりも6歳くらい年下で、昨年で一旦仕事をやめていて今は休職中のようだった。

でもFのバイタリティには毎回驚かされて、会うたびに何か新しいことをしているのだ。

今は、英会話・タップダンス・ミュージカルの歌なんかを学んでいるのは聞いていたのだけど、それに加えて今度は、有名な帽子デザイナーのおばあさんに帽子の作り方を丁寧に教わっているとのことだった。

そういえば少し前は、お寿司の学校に行きながら寿司職人の資格を取ってアメリカでお店を出すと追っていたし、その前はオランダに移住する話を本格的に進めていた。

その後、旅行業の資格をとってその道で生きていくのかと思いきや、今度は日本語教師の資格をとって海外で日本語を教えるとか言っていた・・・。

今度は帽子を作ってどうするのかと聞いていたら、帽子作りはとても楽しくて、作った帽子を自分でも被れるし、ひとにもあげることができるのがとても楽しいと言っていた。

そしてどうやらFの人生は、9月からフィリピン行きが決まったようで、今はその渡航に向けて準備を進めているとのこと。

「人はいくつになっても自分のやりたいように自由に生きていいんだ」

Fの生きる姿を見ながら、毎回僕まで勇気をもらえるのだ。

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EDOMAE SS

新宿2丁目の行きつけのお店のママと久しぶりに一緒に晩ごはんを食べようと、「EDOMAE SS」というお寿司屋さんを予約した。

このお寿司屋さん、紀伊国屋書店の裏の昔のTOPSの1階にあって、客席は7席くらいしかない不思議無空間。建物の1階には他にも焼肉屋さんやおでん屋さんなど小さなお店背が入っていてとても気軽に横丁的に入ることができる。渋谷の宮下公園の線路沿いにできた横丁に似ている。

お寿司はコースから「ハイオク満タン」を選んだのだけど、つまみから始まり握りまで、お腹いっぱいになるまで美味しいお寿司を堪能することができた。


友人と食事をするなんて、昔ならば当たり前すぎて何も気づいていなかったのだけど、コロナの時代を過ごすうちに、それがどんなにありがたく貴重な時間だったのかを思い知った。

久しぶりに会うマスターも楽しそうに笑っていて、またこんな風に一緒に楽しく食事ができたらいいなあと思ったのだ。

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OUT IN JAPAN撮影会

3年ぶりくらいになってしまったが、LGBTQカミングアウト・フォト・プロジェクト「OUT IN JAPAN」の撮影会が行われた。

この日、参加者は36名くらい。久しぶりに会ったスタッフ同士でとても楽しい時間を過ごすことができた。

このプロジェクト、7年くらい経っているのだけど、現在は写真集の編集をしているところで、年内に何とか「OUT IN JAPAN」写真集が形になればと思っている。

その写真集の中には、2000名近くの勇気あるLGBTQの人たちが堂々と名前や顔を出して載っているのだ。

いつか近い将来に、「LGBTQとかって一体なんの略だったの?」「なんでわざわざそんな風に区分けしてたの?おかしいね」

なんて言う時代がくるに違いない。

シタディーン新宿

「OUT IN JAPAN」の撮影があったため、Kと海は宮古島に残し僕だけお昼の便で東京に来た。

東京でこのところ定宿にしているのは、新宿1丁目にある「シタディーン新宿」。

新宿御苑前の駅にも近く、新宿2丁目にも近く伊勢丹にも歩いて行ける。キッチンもついていてホテルと言うよりもアパートメントのような感じで1階にはランドリーもあるので洗濯もできる。

昔は2丁目で毎日のように飲み歩いていたのに、不思議と今は東京にいても2丁目に行くことが少なくなってしまった。

コロナのせいで行きつけのお店もやっていないし、他の行っていたお店もほとんど無くなってしまったのだ。

東京に来るので、買って帰るものや行くべき場所をリストアップしてきた。

宮古島だといちいち送料がかかるので、旅のついでに持って帰ろうと大きめのトランクも持ってきた。

久しぶりの新宿は何も変わりはなく、たくさんの人で溢れかえっていた。

我が家の大工さん一座。

我が家をリフォームしてくれている大工さんのMさんは72歳。43年もロサンゼルスで過ごして、その後北欧やイタリアを回ったのちに日本に帰国した。

そのMさんの片腕は38歳くらいだろうか。なだ若く細身だけど力仕事が得意なGさん。

そして、2人組の女の子がいて、一人は20代半ばでサーファーのNちゃん。もう一人は30代初めのダイビングインストラクターのEちゃん。

毎朝8時を過ぎたあたりに一座はやってくる。今は汗だくになって解体作業や天井を取っ払う作業をしていて、時々海をじゃらしに来たり、僕がお茶を運んだりしているうちに夕方の5時を目安に家に帰っていく。

最初、この不思議な一座で一体大丈夫なのだろうか?と不安になることもあったのだ。

だって、Mさんはキッチンのシンクの下で混合栓を付け替える時なんかに、「はあーーーーー」とため息をついたり、「オーマイガー!」と突然叫んだりするものだから、何か良くないことが起こったんじゃないかと思ってその度に心配になったのだ。

それに、Gさんは結構ワイルドで、でも時々ブツブツと独り言を言っているので、今何をやっていてどんな問題にぶち当たっているのかが僕にもわかってしまう。

サーファーとダイバーの2人組はとても人懐こくて、宮古島や自分の移住してくるまでの話なんかを気ままに話してくれる。

「一座に任せておいたら、この家のリフォームは、あと1年くらいかかるんじゃない?」

Kがそんなことを言って不安にさせる。

でも、3月に入ったあたりから急にピッチが進んできて、ものすごい勢いで解体作業が進み始めた。

今の僕たちにできることは、この不思議な一座の仕事振りを、kと2人で祈るような気持ちで見守ることなのだ。