ミャゴラーレ

先日、「犬連れ観光に優しい県ランキングTOP11」という記事を見たら、ぶっちぎりで静岡県が一番だった。ちなみに2番は長野県、3番は栃木県だった。

静岡県に対して「いぬ高原」と言われるくらいペット同伴できるお店、飲食店、ミュージアム、公園、テーマパークが充実しているのだそうだ。

これは熱海に引っ越して実感していることだけど、犬連れで入れるお店や遊び場所を探すことが静岡県はとても簡単なのだ。伊豆高原にはいたるところに犬連れOKな飲食店やテーマパークがあり、何回行っても新しいお店がどんどん見つかる。

今週末はいつも行っている「伊豆こうげん餃子」はあいにく閉まっていたので、帰りの道中にあった「ミャゴラーレ」へ。

イタリア国旗の見えるお店を開けたら、所々のテーブルにワンちゃんがいてびっくりした。僕たちの海は大型犬なので奥の座席に通してもらい、Kと海と3人で楽しいランチをすることができた。

しらすとねぎのスパゲッティ

サラミのピザ
鳥もも肉のアヒージョ
サラダ

ワンちゃん用ミートボール

イタリアンとしては素人の感じだけど、犬と一緒に入れるレストランというだけで今の僕たちには本当にありがたい存在なのだ。

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ダンス・オブ・41

これはメキシコにおける実話の基づいた映画のようだ。

ある若いゲイの議員は、自分が社会的にのし上がって行くためにメキシコ大統領の娘と結婚する。

周りから見たら何も変わったことのない夫婦生活を送っているように見えた議員だったが、やがて次第に自分の性的指向を隠し通すことが難しくなってゆく。

結婚式、初夜、夜の営み・・・ゲイにとって女性と夫婦として日常生活を送って行くことはどういう感じなのか、映画の中では描かれている。

ゲイの表現が女性的な要素が強く古典的に感じられるし、映画として素晴らしいものではないが、見応えのある作品だった。

ダンス・オブ・41https://www.netflix.com/jp/title/80235267

天井裏の生きもの。

夜、寝ようとしてベッドの上でゆっくりしていると、急に天井裏で何かが動く音がした。

僕は声をあげて驚いて、Kもびっくりして僕の顔を見た。

その音はカサカサと生きものが動く音で、あまり大きな動物ではないようだけどネズミくらいの可能性はある。

先日、上の桜並木に住んでいるおばあさんの家に動物が侵入しているということで大騒ぎになり、ハクビシンではないかと言って捜索したのだけど、結局野良猫が忍び込んでいたようだった。

ベッド上に立ち上がり、音のする天井板を下から手で叩いてみた。頭の良い動物ならば、すぐに何処かに行くか少なくとも静まるだろう。でも、動きはすぐには止まず、また少し離れたところに移動したようだった。

夜も遅かったので寝ることにしたのだけど、横でKのいびきを聞きながら、時々天井裏が気になって結局僕はあまり眠れなかった。

僕たちの家は山の斜面に建っているので、様々な動物が生息しているのがわかる。野良猫も通るし、イノシシも通っているみたい。綺麗な尻尾をもつトカゲもよく見かけるし、ヤモリも窓に張り付いていることがある。

動物たちにしてみれば人間の家などという住み分けなどなく、天井裏に迷い込んで来てしまったのだろう。

姿の見えない動物が動く音は気持ちのいいものではないけど、しばらく様子を見てみようと思う。というか、天井裏を開けて動物を見つける勇気もないのだ。

太陽の恵み。

梅雨の合間に、真夏の暑い太陽にも負けないようにといろいろな草花を植え込んだ。

蚊がたくさんいる午後を避けて朝早くから完全防備で身を包み、雑草をとりタネを撒き一年草を植えつけた。

それなのに・・・2週間以上も続く梅雨の長雨で太陽を見ることもほとんどなく、せっかく芽を出していた若葉も枯れ、多くの一年草が枯れてしまった。

その後、悔しかったので沖縄から帰ってからしばらくして南国の草花や多年草も植えた。南国の草花は元気に育っていったけど、8月も2周目からはまた稀に見る長雨になってしまい、せっかく植えつけた多年草も枯れた。

植えつけては枯れて、また植えつけては枯れる。枯れた植物を見ながらとても落ち込んだ。

太陽の光の何と偉大なことだろう。

いくら豊かな土と降り続く雨があったところで、植物は光合成もできず衰弱して枯れてしまう。太陽の恵みのおかげで、僕たち生物はこの地球上で生きていられるのだ。

それも、地球と太陽の間の絶妙な距離のなせる技。神様などいないのかもしれないけど、僕たちが適度な温度や湿度の中で生きていられるのは、本当に奇跡的なことに思える。

感謝状。

会社の役員からメールが来て、「なんだろう?」とファイルを開いたら表彰状が入っていた。

『あなたは、社員が選ぶ「私を育てた〇〇人」のおひとりとして選ばれました。・・・この功績に敬意を表するするとともに、心から感謝いたします』

なんのことだかさっぱりわからず、そのままにしていたところ、もう一度メールが来た。するとそこには、会社のアンケートにおいて社員が選ぶ「あなたを育てた〇〇人について」の特別企画があり、このメールを受け取った人は誰かから育てていただいた、ということで名前が挙げられたということ。

そういえば前にそんなアンケートがあって、僕も二人先輩の名前を書いたのを思い出した。ほとんどの社員が誰かを育てた経験があるだろうし、僕と同じようにこの感謝状のメールをもらったことだと思う。

たとえそうであったとしても、後輩の誰かが一人でも僕の名前を書いたのかと思うと、胸が熱くなった。

今はあまり仕事をする意欲が湧かずにいたのだけど、このメールによってほんの少しやる気が出たのだった。

ワクチン1回目。

今日、やっとファイザー社製ワクチン第1回目の接種を終えた。

日頃かかりつけの国際医療大学病院で打ってもらったのだけど、なんの痛みもなくあっという間に終わった。

3週間後に2回目のワクチンを接種できるようだけどそれで一安心かと思いきや、新型コロナウイルスはワクチンを打ったところで完全に防げるものではないようで、重症化しにくく他の人に感染しにくいということのようだ。

僕はこのところ東京へも行かず、ほとんど家族以外の人と長時間過ごすことなく日々暮らしている。

Kが大きな県立の病院(重篤患者が多くいるところ)に勤めていることもあり、僕からKに感染させてしまうことは何としても避けたいからだ。

首都圏だけでなくこの静岡県でも緊急事態宣言がされる中、一日も早い収束を願うばかりだ。

海のトイレ問題。

海は生後2ヶ月で家に来てから、すぐにトイレを覚えてくれて、ほとんど問題なく今まで過ごして来た。

でも、ここへ来てなぜだか家でおしっこやウンチをしなくなってしまった。

犬は成犬に近づくにつれおしっこやウンチの頻度がどんどん少なくなっていくのは知っていたけど、こないだまであんなに起きてすぐに大量のおしっこをしたり、食事の後に決まってウンチをしていたのに、全くしなくなるなんて思いもしなかった。

朝、だいたい決まった時間に散歩にいくのだけど、そこでおしっことウンチをして、あとは夕方の散歩の時におしっことウンチをしてその日はそれでおしまいで、家に帰っても全くする気配さえない。

あんなに頻繁に替えていたトイレットシーツも随分前のものがずーっと使われないまま敷いてあるのだ。

それでもいい。僕がちゃんと日に2回の散歩に連れていける日は問題ない。でも、雨が降ったりこの先仕事で行けない時に海は家でトイレをしてくれないかもしれないと心配になった。

調べると、犬は外でトイレを済ませるようになったらなかなか家ではしなくなってしまうということがわかった。今度は家の中のトイレを外のトイレに近づけてあげる工夫が必要とのことが書いてある。

そこで、小さめの人工芝を買って来てトイレシーツの上に敷いたり、玄関の外でシートを敷いたりしたけど、一向におしっこをする様子はない。

秋雨前線が停滞しているこの週末、土曜日はなんとか2回外に散歩に行くことができたけど、日曜日は雨が降り続いていたのでこのまま家で止まって入れば、昨日の午後から我慢している膀胱もしびれを切らし、自然とおしっこをするかもしれないと雨の中ずっと海を見守っていたのだ。

お昼を過ぎて心配になり、やがてまる丸一日たっても一向におしっこをする気配は見られない。夕方ごろ小雨になったので僕がレインウエアを着て散歩に連れ出すと、ずーっと長い間溜め込んでいたおしっこを長い時間をかけて外のやぶの中でしてくれた。その後、ウンチを2回して、おしっこももう一度していた。

結局、トイレは1日は我慢できるみたいで、でもこれが習慣化したら膀胱炎になるかもしれない危険を感じた。

犬は喋ることができないから僕たちの言葉の意味もわかってくれない。「そんなに我慢していたら膀胱炎になっちゃうよ」と言っても、当たり前だけど海にはわからないのだ。

海は比較的今まで問題がなかったのだけど、ここへ来て家でトイレをもう一度できるようにという新しいトレーニングを始めなくてはと思っているところ。

祈りのもとで 脱同性愛運動がもたらしたもの

友人のAさんが見たと言って教えてくれた映画「祈りのもとで」は、90年代から現在に至るまでアメリカ国内において同性愛を矯正しようとした団体「EXODUS」に関わった指導者や関係者を中心に追ったドキュメンタリーだった。

AIDSが猛威を振るっていた時代のアメリカでは、同性愛は罪悪であるため矯正しようとする団体が存在した。

キリスト教の強い信念により自分のセクシュアリティも改心できると信じ込み、実際にゲイとビアンのカップルが改心して夫婦となる。やがて二人は指導者となり次々にメディアに取り上げられゲイやビアンは治るということを世間に吹聴して行った。

彼らのような指導者をはじめ、医師や研究者なども加わり団体は次第に巨大化していく。この映画は当時の記録とその後の彼らの人生を丁寧に追ったドキュメンタリー。

キリスト教を信じる者の多いアメリカにおいて、同性婚がたとえ国で認められたたとしても「同性愛は罪悪である」という考えを持ち続けている人は多く存在しているようだ。そんな信心深い家庭で育った同性愛の子どもたちは、恐ろしいほどの罪悪感に苦しめられることだろうと思う。

「性的指向を変えることはできるのだ」という宣言のもと、巨大化していった団体の成れの果てがしっかりと描かれている。

⭐️祈りのもとで(脱同性愛運動がもたらしたもの)https://www.netflix.com/jp/title/81040370

生活保護受給者やホームレス。

僕がまだ10代や20代で、ニューヨークにもしょっちゅう旅行をしていた頃、街にはたくさんのホームレスが溢れかえっていた。

地下鉄に乗っていると紙コップを持って小銭をもらえないかと言って来たり、街中でもホームレスがいたるところにいて座り込んでいたり、メッセージの書かれたボードを持っていたりした。

東京の街中にもホームレスはいて、渋谷の宮下公園や代々木公園なんかにはたくさん暮らしていたし、隅田川沿いにもブルーのビニールシートでできたテントが並んでいるのが当たり前の光景だった。

僕はその頃、「なんで働かないんだろう?」と思っていた。

でも今考えるとその頃の僕は、人々の表層的な部分しか見えていなかったのだ。

今、年を重ねて思うことは、人生には突然予期せぬ荒波が押し寄せたり、結婚生活が破綻したり、大切な家族をある日失ったり、突然仕事を解雇されたり、女手一つで子どもを育てなければならなくなったり、人にはそれぞれ様々な出来事や事情があるということ。

どんな状況にいる人でも、それぞれの人生がある中で生きているということ。

自分の物差しだけで決めつけることではなく、自分とは違う人たちのそれぞれの人生を想像し、敬うことがとても大切なのだと思う。

生活保護受給者も、ホームレスも、皆我々と等しく尊い生命である。生活保護を受ける権利があるし、ホームレスも守られる権利がある。

お金があろうがあるまいが、税金をいくら納めていようがいまいが、そんなものは関係なく皆等しく大切な生命なのだ。

イヴォンヌの逝去。

友人からのメールで、Iが亡くなったことを知った。

Iとは、新宿2丁目のぺんぺん草で、土曜日に会うことが多かった。

IはUという年下の恋人がいて、いつも一緒にこのぺんぺん草に30年以上飲みに来ていたようだ。

Iは今年の春に一度入院したのちに退院していたようだが、今週初めに吐血をして、そのまま病院に運ばれて帰らぬ人となった。

Iはフランス好きでフランスかぶれなところがあり、自分で自分のことをイヴォンヌと呼んでいた。

このブログにも何度か書き込みをしてくれていて、あの天然で情熱的なIと話すことももうないのかと思うととても淋しい。

Iはいつも僕に色々絡んできたのだけど、それもこれも沢山の愛情だったのだと思う。

僕が昔10年間付き合っていたMが亡くなったことがわかった時は、意気消沈する僕をやさしく慰めてくれたこともある。

あの大きな笑い声と、フランスかぶれのオネエ言葉を、もう二度と聞くことは出来なくなってしまったなんて、あまりにも淋しすぎる。

恋人のUにすぐにメールしたけど、今は時間が必要のようだけど、しばらくしたらまたぺんぺん草で会えそうな返信が来た。

人は亡くなるとどこにいくのだろう?

時々それは、その人が眠りに落ちてしまったようにも思える。

Iのやさしくて大きな笑い声を、僕はいつまでも忘れることはないだろう。