祈りのもとで 脱同性愛運動がもたらしたもの

友人のAさんが見たと言って教えてくれた映画「祈りのもとで」は、90年代から現在に至るまでアメリカ国内において同性愛を矯正しようとした団体「EXODUS」に関わった指導者や関係者を中心に追ったドキュメンタリーだった。

AIDSが猛威を振るっていた時代のアメリカでは、同性愛は罪悪であるため矯正しようとする団体が存在した。

キリスト教の強い信念により自分のセクシュアリティも改心できると信じ込み、実際にゲイとビアンのカップルが改心して夫婦となる。やがて二人は指導者となり次々にメディアに取り上げられゲイやビアンは治るということを世間に吹聴して行った。

彼らのような指導者をはじめ、医師や研究者なども加わり団体は次第に巨大化していく。この映画は当時の記録とその後の彼らの人生を丁寧に追ったドキュメンタリー。

キリスト教を信じる者の多いアメリカにおいて、同性婚がたとえ国で認められたたとしても「同性愛は罪悪である」という考えを持ち続けている人は多く存在しているようだ。そんな信心深い家庭で育った同性愛の子どもたちは、恐ろしいほどの罪悪感に苦しめられることだろうと思う。

「性的指向を変えることはできるのだ」という宣言のもと、巨大化していった団体の成れの果てがしっかりと描かれている。

⭐️祈りのもとで(脱同性愛運動がもたらしたもの)https://www.netflix.com/jp/title/81040370

“祈りのもとで 脱同性愛運動がもたらしたもの” への2件の返信

  1. 初めまして。
    クリスチャンの家に生まれた私には、この映画はその頃の酷く辛い罪悪感を思い出させるものでした。
    しかし、今では結婚の自由を世間に求めても良い時代になったのですね。

    1. コウさん。
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      同性愛は神に背く行為であると、未だにキリスト教では声高に叫ぶ人たちがいます。とても悲しく残念に思います。イスラム教の国では死刑になる国もあるのだから、そんな国に生まれてしまった人たちは想像もできないほどの罪悪感と自分の本当の性的指向の間で苦しむのだと思います。
      僕は、その人が自分自身で変えることのできない性的指向によって、差別されることはおかしいことだと思っています。なぜならば、性的指向はその人が選び取ったものではないからです。
      かつて世界では黒人が差別されていた時代がありました。女性が差別されていた時代がありました。でも人間は長い時代の流れの中でそれらが間違っていたことに気づき変わってきました。
      性的指向で差別されることも、これらと何の変わりもない人権に関する問題だと思うのです。

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