猫の太陽は、隙さえあれば狭いところに入り込んでしまう。
中でもかごが大好きみたいで、かごを見つけると丸まってすっぽりと収まっている。
その姿が愛らしく、なんてかわいいのだろう・・・と思う。
普段はイタズラばかりでムカつくことしかしない太陽も、
かごに入っている時は本当にかわいい。
外苑前→熱海→宮古島 年の差ゲイカップルの宮古島生活。
猫の太陽は、隙さえあれば狭いところに入り込んでしまう。
中でもかごが大好きみたいで、かごを見つけると丸まってすっぽりと収まっている。
その姿が愛らしく、なんてかわいいのだろう・・・と思う。
普段はイタズラばかりでムカつくことしかしない太陽も、
かごに入っている時は本当にかわいい。
オクラは宮古島で長い間店頭に並ぶ大切な野菜。
そんな身近な野菜なのに、今まであまり本物のオクラが栽培されている状態を見たことがなかった。
オクラは実がなり始めるとあっという間に大きくなってしまうため、
一日中に何度も収穫するというのをラジオで聞いたことがあった。
海を連れて散歩をするコースに、ふとみるとオクラがなっていたのを見つけた。
その姿は予想に反して、実が空に向かって実っていたのだ。
野菜や植物のこともまだまだ知らないことだらけですね。
コンサルをお願いすることにした。
コンサルと言っても、主にWEBでの集客をするためにどうしたら良いか?ということ。
ここ数週間で何人かの人にお話しを伺って一人の人に決めたのだけど、
果たしてこれが良い結果が出るか、どうなるのかは半年後1年後のことかもしれないな。
宮古島には、平良(ひらら)という町の中心部に小高い丘があって、「カママ嶺公園」という名の公園がある。
町に出かけた時に時々海さんと散歩に行くのだけど、見晴らしが良くてパイナガマビーチや平良港まで見える。
その公園にはなぜか大きなシーサーの遊具があって、時々子どもたちが遊ぶ姿が見える。
今日は海さんをシーサーを対峙させようと何度か試みたのだけど、海さんはカメラ目線を崩すことはなかった・・・。
家の裏には空き地があって、手入れされないまま雑草が生い茂っている。
いつかこの空き地と隣の空き地も手に入れたいと思いながら、そのままになっている。
僕たちは宮古馬や山羊を育ててみたいというのと、小さな畑を持って野菜を栽培したいとも思っている。
空き地の向こうには農家さんの倉庫があって、その向こうには高い針葉樹が見える。
僕たちはその家の裏っ側の景色も気に入っていて、時々キッチンから眺めながら美しいなあ・・・と思っている。
畑に囲まれた我が家の暮らしが、何もないけど豊かなものに感じられるのだ。
犬の海と猫の太陽は、最初に太陽が外に捨てられていた日に家に招き入れると、
太陽が海を怖がって毛を逆立てることがあった。
海はやさしいので太陽に尻尾を振っていたが、太陽は必死で自分の身を守ろうとしていたのだ。
でも、時間が経つ中で二人はどんどん近づいていった。
時々太陽にいうことを聞かせようと首根っこから頭をがっぽりと海が口の中に入れてしまったり、本気で追っかけっこをすることはあるものの、二人はすっかり家族のように見える。
動物同志のやりとりはわからないのだけど、見ている限り一度たりとも本気でお互いを傷つけようとしている場面を見たことがない。
そして今では二人で一緒にいる場面もよく目にするようになった。
犬と猫の間にはきっと言葉なんて存在しない。
それでもこうやって家族のように親しくなれるのかと思うと、無闇に殺し合いをしている人間の方が下等な生物であると思わざるをえない。
ヘチマをご存知だろうか?
僕だって知っている。ヘチマとは、お風呂で身体を擦って洗う繊維質でできた植物の実だ。
宮古島に来て驚いたのは、このヘチマを夏から秋にかけてよく食べるということ。
こちらではヘチマのことを、ナーベラーというのだけど、主に味噌で炒める料理が多いみたい。
お店でヘチマが並んでいても、昨年は僕たちは買うことはなかった。
なんでなんだろう?と改めてヘチマのことを考えてみたのだけど、
イメージとして、「ヘチマ🟰食べられるものがない時に食べる食材」
と勝手に思っていたからかもしれない。
それが、今年になって軽い気持ちでヘチマを買って料理をしてみたら・・・
そのおいしさと使い勝手の良さ、万能さに驚愕したのだった。
宮古島は初夏まではあらゆる野菜がたくさんとれるのだけど、盛夏をすぎると野菜がとても少なくなってくる。
でもそんな時にいつまでもあり続ける野菜が数種類あって、その中の一つがこのヘチマだ。
ズッキーニなんておしゃれな野菜がなければ、ヘチマを食べれば良い。
なすが暑さで高騰していたら、迷わずヘチマを買えば良い。
きゅうりが店頭に並んでいなかったら、ヘチマを買えばいいではないか。
ヘチマは無人野菜売り場では百円で3本入っているくらい安い。
それでいて、煮て良し。焼いて良し。トロッとしてなんという触感。
食わず嫌いというのは結局人生で膨大な損をしているということなのだ。
10月か11月からランチのテイクアウトをしようとしていることはここに書いた。
容器を色々と探している最中で、WEBで注文しようとしたら、送料無料と書かれていたのに、いざ注文しようとすると離島なので送料が5千円かかると言われてムカついたりしていた。
テイクアウトの容器だから、お客さんによっては食べた後にその容器を捨ててしまうかもしれないとも思う。
自分たちが提供したランチの容器が海なんかに捨てられてしまうかもしれないと思うと、容器もできる限りエコな素材にしたいと思う。
完全に土や水にすぐに溶けるような素材はなく、エコ素材と書いてあったとして、割合的にエコ素材が含まれているということで、完全な自然素材ではないことがほとんどだ。
食材には水や油を使うので、それらがシミ通らないことを考えればそうならざるをえないのだろうけど。
それにしても、なぜ平気で海や道端にゴミを捨てる人がいるのだろうか?
そんなこと、人から教わることでもないし、本当に信じられないのだけど・・・。
時々散歩をしていると、ヤシガニを見かける。
ヤシガニは海に近い陸地に住んでいて、大きなハサミを持ち食べることができる。
お店でヤシガニを食べると、きっと1万円以上するに違いない高級なカニの一種。
カニと言っても、どちらかというとザリガニに近い形。
海と散歩していると、時々茂みからガサガサと大きな音がして、ヤシガニが後退りして逃げようとしているのを見かける。
海はヤシガニに驚いて、それでも好奇心から鼻を近づける。
僕は海の鼻が挟まれないように、必死になって海を遠ざけようとする。
散歩をしていてヤシガニに出会える生活をしているのかと思うと、なんて楽しい生活なんだろうと改めて思ったのだった。
時々眠れない夜がある。
夜中に目覚めて、言いようのない不安に襲われる。
不安は、目に見えないから不安なのだと思う。
将来のこととか、これから先のこと、漠然としたものを不安に思うようだ。
その不安は、まず現実化しないことも頭の中でわかっているのに、人間の脳は時々こうして不安に陥らせる。
新しいことを始める時とか、今までとは違った自分のやりたい選択を選んだときとかに不安にさせる。
脳は、安定を求めるからどうにか新しい選択を阻止しようとシグナルを送ってくる。
不安になった時は、その道を選んで正解だったのだと思った方が良い。