1月だというのに宮古島では紫蘭が咲いている。
マゼンタ色の紫蘭は、明るい緑色の葉とのコントラストが美しい。
前に住んでいた旦那さんがこの庭を作った際に植えたのだと思うけど、
紫蘭は毎年誰に言われなくても季節がやってきたら顔を出すのだろう。
昔は山の雑草のように思えた花に、今になってその美しさに気付かされたのだ。
外苑前→熱海→宮古島 年の差ゲイカップルの宮古島生活。
1月だというのに宮古島では紫蘭が咲いている。
マゼンタ色の紫蘭は、明るい緑色の葉とのコントラストが美しい。
前に住んでいた旦那さんがこの庭を作った際に植えたのだと思うけど、
紫蘭は毎年誰に言われなくても季節がやってきたら顔を出すのだろう。
昔は山の雑草のように思えた花に、今になってその美しさに気付かされたのだ。
今まではシャッター付きの車庫として活用して来た場所をキッチンにリフォームした。
なぜそうしたかというと、自宅のキッチンでは宿泊者に提供する食事は作ってはいけないということだったから。
そのために業務用コンロを買って、3つのシンクを設置して、冷凍冷蔵庫も買って、手洗い場を作り、更衣室を作った。
そしてシャッターだけしかなかった開閉部分にガラス戸をつけた。
本当は木のドアにしたかったのだけど、宮古島の台風や雨を考慮してまずはアルミサッシにした。
少しずつ宿の形が出来てきたところ。
家の裏側に駐車場を作ったのだけど、夜に家に帰って来たら真っ暗だった。
周りはサトウキビ畑ばかりだから夜は暗いのだけど、こんなに真っ暗だとは。
そこで、電気屋さんにお願いして外灯をつけてもらうことにした。
防水できて外でも使える外灯というのは、調べてみるとデザインがかなり限られていて気に入った照明がなかなか見つからない。
でもこんな風に次々と問題が起きては解決していく過程こそ新しいことにチャレンジしているようでワクワクするものだ。
旅館業と飲食業を開業するにあたり、宮古島の保健所に書類を提出して来た。
旅館業も飲食業もそれぞれに面倒な手続きが必要で、消防署に行って許可をもらったり、土木課に行って家の証明書をもらったり、時間をかけてやっとここまで来た。
今度は保健所が実際に家にやって来て一つ一つチェックをしていくことになる。
窓には網戸が付けられているか。客室に入るお客さんの顔がビデオカメラにきちんと映っているか。更衣室はあるか。手洗い場に石鹸があるか…
来週の保健所チェックまでまだまだ気が抜けない。
半年くらいかけて塗ってきた家のペンキ塗りが、ようやく終わった。
夏の暑い中のペンキ塗りは地獄のようで、午後はいつも使い物にならなくて昼寝をして凌いでいた。
10月くらいからかなり塗りやすくなってきたものの、養生して、高圧洗浄して、養生して、シーラー塗って、ペンキを塗って、乾いてからもう一度ペンキを塗る。この工程がとても大変で思ったように進まないのだ。
本当のところ、外側から見えない家の裏側はまだ塗れていないのだけど、ひとまずこれで完成としよう。
真っ白に塗られた我が家を見て、本当にきれいだなあと、我ながら惚れ惚れしたのだった。
元旦に海を散歩していたらウミガメを見つけた。
散歩をしていると時々Kがウミガメを見つけることがあるのだけど、元旦なんて縁起がいいではないか。
ウミガメは海の中から上がってきてほんの数回水面に顔を出す。
写真を撮ろうとスマホをいじっているうちにまた水中に沈んで行ってしまうくらいほんの一瞬なのだ。
今年はこのウミガメがきっと僕たちを幸福へと導いたくれるに違いない。
写真の上下左右のセンターからほんの少し左に顔を出しています。
叔母の誕生日で小さな胡蝶蘭を送っておいたのだけど、夕方になって電話が来た。
叔母には子どもがいなくて、僕が小さな頃叔母の養子にするかという話がたびたび持ち上がった。
結局母も父も2人しかいない子どものうちの1人を手放すことが出来ず、養子の話は立ち消えとなった。
叔母は今日で83歳。
今日も目の見えないお爺さんの案内人としてボランティアで出かけていたようで、足腰もしっかりしている。
「ただしちゃん、おばちゃんとただしちゃんは目が見えるから幸せなんだよ。目が見えない人は本当に大変なんだから」
ボランティアで関わっている人たちの苦労を僕に話して聞かせてくれる。
僕の祖母は92歳まで生きたので叔母もそれくらいは長生きしそうな気もする。
毎年叔母の誕生日にお花やお菓子を送っているのだけど、電話越しにとても喜んでいるのがわかって僕もほっとするのだ。
家族に先立たれて一人になってしまった叔母には、きっと僕ぐらいしか誕生日のお祝いを送る人もいないのだろうと思う。
沢山働いて苦労してきた叔母には、健康で長生きしてほしいと電話で話しながら思ったのだった。
大学の同級生のYとランチをしたのは、北谷のアメリカンヴィレッジにあるおしゃれなカフェ「VONGO&ANCHOR」。海に面した店内はまるで外国にいるみたいな錯覚に陥るくらいアメリカ人ばかり。
サラダもサンドイッチも何もかも量が多く、アメリカ人のお客さんに合わせた量なのだろう。
夕方の便で宮古島に帰らなければならない僕たちはあまり時間もなく、結局2時前にお店を後にした。
僕もYも話したいことが多すぎて、相手の話を遮って同時に話す場面も多かった。
それを見ていたKが、2人とも久しぶりに会ったおばさん同士みたいだったと後で言っていた。
◯ VONGO&ANCHORhttps://instagram.com/vongoandanchor?igshid=YmMyMTA2M2Y=
沖縄本島に来て楽しみにしていたことは、今帰仁にある「SOMOS」という宿に泊まることだった。
SOMOSは、以前宮古島でパームリーディングをしてもらった時に紹介された宿で、2室限定の素敵な宿。
キューバ人の奥さんと日本人の旦那さんがやっている宿で子どもいる。
今帰仁の小高い丘の上にあり、窓からは海が見える。
宿は入口からして原生林のように植物が生い茂り、部屋の調度品はアンティークなものばかり。
浴槽もあるしベッドもクイーンサイズで広々しているしとてもリラックスできる宿だった。
今回ここに泊まったのは、いよいよ僕たちの宿のオープンが迫ってきているから。
宿の奥さんとご主人に素朴な疑問をいくつか投げつけて、丁寧に教えていただいた。
SOMOSのような宿にはできないけど、僕たちらしい宿を作るヒントをたくさんもらうことができた。
沖縄本島でどこに泊まろうかと考えたのだけど、結局今帰仁村に泊まることにした。
夜になって宿に近くのレストランがないかと聞いたのだけど、教えてもらったお店はどこもお休みで、結局チェーン店のステーキ屋さん「STEAKE HOUSE 88」に行った。
沖縄の人は飲んだ後にステーキを食べることは有名で、僕たちはラーメンとかならわかるのに何でステーキなのかといつも不思議に思っていた。
今回鉄板で運ばれてきたステーキは思った以上に重たくなく、口の中に入れると中はとても柔らかく美味しかった。
ステーキの肉自体も厚みがあるため、中まで比嘉いさや通らないので柔らかさが保たれているのだろう。
これなら飲んだ後にも食べられそうかと考えてみたけど、僕にはやっぱり重たい気がする。
◯STEAK HOUSE 88http://s88.co.jp/88chura.html