今回、宮古島に引っ越しすることを、自分の口からきちんと伝えておこうと思っていた人がいる。
それは、新宿三丁目の「タックスノット」のタック。
僕のお母さんのような人で、同性婚裁判においても何度もその名前を出してきた人。
他の人は、Bridgeのマスターからだいたい聞いていたようで、友人たちはみんな知っていた。
土曜日、ISETANメンズの8階にあるカフェでお茶をすることに。
タックは宮古島への引越しにまつわる話を、ゲラゲラ笑いながら楽しそうに聞いていた。
所々で、「え?浸透式って…⁉︎」とか、「え?引越しで150万?」とか、びっくりするような出来事を聞きながらまるで喜んでいるように。
タックが心配していたのは、Kが仕事はどうするのかということ。大分から病院を辞めて出てきたKは、東京から熱海への引越しも経て今度は宮古島に引っ越すなんて、この先どうしていくのだろう?と思ったようだった。
「とりあえず2人で宿と飲食店を立ち上げようかと思っているけど、医療の求人はあるみたいだから働きに出ることもあるかもしれません」
Kの話を聞きながらタックも安心したようだった。
その後、タックが製作を続けている作品の話を詳しく解説してもらって、あと4年後の自分の78歳の誕生日までにまだまだ多くの作品を作り個展をやりたいと言うのだ。
タックは多才な人で、ゲイバーのマスターであり、文筆家であり、ゲイリブの第一人者であり、アーティストである。
74歳の今もみなぎる創作意欲を持ちながら、4年後までその炎を燃やし続けるのかと思うと、僕までも勇気づけられてまだまだがんばれる気がしたのだった。