Kとお母さん。

お父さんが手術になり、急遽九州の実家に帰っているKからLINEが来た。

K「お母さんがKちゃんが帰ってることおじさんとかに隠そうとするから、ちょっとうんざりしちゃった」

僕「なんで隠そうとするの?」

K「沖縄に移住してることとか言ってないし、ゲイということを知ってほしくないんだと思う」

僕「淋しいね」

K「一回嘘つくとまた嘘を重ねるようになるよって言っちゃった」

僕「うん。結局お母さんであっても時間がかかるんだよね。うちの親もきっといまだにただしくんのことかわいそうとか恥ずかしいとか、他の人より劣っていると思っていると思う」

K「Kちゃんは職場で大変だったよと言ったら、そしたらそれは自分のことでしょ?って言ってた」

僕「うちの母もきっと親戚には恥ずかしいと思っていて言ってないけど、従兄弟とかは気づいて向こうから言ってきたりしてる」

僕「お母さんも少しずつ変わっていくよ。Kちゃんが今必要以上に怒ったり傷ついたりしなくていいからね。お母さんはお母さんのペースがあるから」

僕「でも、一番近い親がそう思っているのはつらいよね…今まで色々なところで自分を隠したり、傷ついてきたのにね」

K「うん、だって自分の存在を否定されてるようなもんだもん」

僕たちは、たとえ親にカミングアウトをして受け入れられたように思っても、親が本当の意味で僕たちの存在をあるがままに受け入れることが出来るのは、ずっと時間がかかるのだと思う。うちはもう難しいと思っている。

こんな風に日本のあらゆるところで、同じような悲しいことが無数に起きているのだと思う。

その大きな原因は、法律で平等が認められていないからだ。

この国のセクシュアルマイノリティに対する差別意識は、国の差別意識を国民が反映し続けていることの表れに他ならないのだ。

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