第10回 口頭弁論期日

「結婚の自由をすべての人に」訴訟が始まってから、早いもので3年3ヶ月が経過した。そして今日は、10回目の裁判の期日で、この場所で法廷に立つのも10回なんだと感慨深く思われた。

今日は、結審の日。今日予定されている意見陳述を行ったら、今後もう何も裁判所には申し入れる機会はないということ。

原告の意見陳述は、大江さん→小野さん→西川さん→ただし
の順番で、1人5分という持ち時間の中で陳述が行われた。

僕は今日、老眼のせいか原稿を2行ほどすっ飛ばして読んでしまい、席に戻ってから気づいて酷く後悔したのだけど、弁護人の意見陳述の後にもう一度前に出て抜け落ちた文章を読むことができた。

僕の陳述の中では肝となる2行だったので、最後に読むことができて本当にホッとした。

判決は、11月30日。泣いても笑ってもこの日に僕たちの大切な裁判の判決が下されることになる。

◯原告や弁護士による意見陳述全文はこちらhttps://www.call4.jp/file/pdf/202205/5ce0f86872850ecab10d98e6fb367667.pdf

〈以下は、僕の意見陳述より抜粋〉

僕は今53歳ですが、いつか自分が死んでしまってどこかで神様に会ったら、神様が僕に「あなたは地球でいったい何をやって来たんだね?」と尋ねることを想像することがあります。

今のところ僕の人生は、パッとしない人生のような気がします。でも自信を持って神様に話すことがあるとしたら、パートナーのかつを心から愛したこと。そして、この裁判の原告になったことです。

性的指向や性自認に関わりなく、誰もが結婚できる世の中は、いつかこの国にやってくるのでしょうか?

答えはYES。100%やって来ます。それは、世界を見れば明らかなことです。

でも、実現するのは近い将来なのか、もう少し先なのかはわかりません。そしてその扉を開くことができるのは、ここにお座りの裁判官のみなさんなのです。

僕は物心ついた頃から、好きになる人も興味の対象もずっと男性でした。その頃からいつも思っていたことは、「自分は人間の出来損ないなのだろうか?」 「自分なんか生まれて来なければよかった」ということでした。

そして、そんな気持ちを抱えたまま30年以上、僕は自分のセクシュアリティを人に言うことなく息を殺しながら生きてきました。

自分の好きな人と結婚することができない。パートナーを社会から家族として認めてもらえないことによって、自己肯定感が持てず、自分の将来が思い描けず、長い間僕は自分のことを他の人よりも劣った存在のように感じてきました。

でも、これからの若い人たちには、僕と同じような思いを誰ひとり味わって欲しくないのです。

今、こうしている間にも、学校でいじめを受けているセクシュアルマイノリティの若者が、生命の危険にさらされているかもしれません。会社で偏見の目に晒され、夜も眠れずにもがき苦しんでいる人がいるかもしれません。

これは、一刻を争う人権問題です。

世界の国々では、セクシュアルマイノリティにおける結婚の道は、ことごとく裁判によって開かれて来ました。

その日がこの国に1日でも早く訪れるように。セクシュアリティに関わりなく、誰もが自分の愛する人と結婚できる権利が与えられるように。

どうか今、この時代の日本で生きる裁判官にしか出来ない決断をお願いします。

そしていつか神様に会うことがあったら、この裁判の話を裁判官の口からしていただきたいと思います。

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