叔母へのカミングアウト。

僕の父方には叔母が1人いる。叔母には子どもがいなくて、現在82歳、10年近く前に叔父を亡くしていて今は独りで横浜で暮らしている。

叔母夫婦は子どもに恵まれなかったため、父はたったひとりの妹である叔母のことを不憫に思い、僕が産まれてしばらくした後に僕を叔母の養子にしようか?という話があったらしい。

それは正式なお願いではなくて会話の中で出たことだと思うけど、その時に僕の母は絶対に養子には出さないと断ったそうだ。

それがあってなのかわからないけど、叔母はどちらかと言うと僕のことを兄よりも可愛がるようなところがあって、庭に小人の人形を置いては、僕だと思いながら見ているということを話していたことがあった。

僕が原宿の学校に通う高校生の頃、1年生の時に停学になってしまい、その頃なぜか僕を心配した叔母が高校の担任に会いに行っていたという話は後から聞いて驚いたのだった。

叔母は少し激情型な性格で、美容院を経営していたのだけど、全身美容なども手がけて仕事では成功を収めた。

高校生や大学生の僕は、時々叔母の元を訪れては、お手伝いをしてお小遣いをもらったりしていた。

そんな叔母が宮古島に遊びに来たいとずっと言っているので、どこかでKのことを話しておかないとと思い、今回の上京を機にカミングアウトをすることにした。

LGBTQに関する本を2冊買い、僕が裁判で意見陳述した原稿をプリントアウトして、話す順番は現地で臨機応変に対応しようと決めて叔母の家に向かった。

叔母は会うなり現在やっているボランティアの話をし始めて、その後自分の旦那さんやおばあちゃんの話、そして僕の父が亡くなって行った時の話をし続けた。

どれも何度も聞かされている話だけれども、叔母にとってはそれらが世界を形作っているものだと思いながら聞いていた。

すると叔母は、「ただしちゃん、子どもの頃ただしちゃんがおうちで聴いていた曲覚えてるよ。確かCDがあるから聴いてみようか?」

そういうと叔母は棚の中からオフコースのアルバムを探し出してスイッチを押した。

「ただしちゃんが中学生の頃かな?好きで聴いていたのを覚えていて、これを買って聴きながらただしちゃんはいったい何を考えているんだろうって思ってたの…」

僕は全然覚えていなかったのだけど、オフコースを小学生から中学生にかけて聴いていたのを思い出した。

それから僕は大切な話をはじめた。

「ずっと母にも父にも兄にも叔母さんにも言わずにいたことを今日話そうと思って来たんだ…

僕はね、子どもの頃から女の人を好きになることがなくて、自分は病気なんじゃないか?変態なんじゃないか?と思いながら、もしかしたらいつか治るかもしれないと思ってたんだ。

高校生の頃は彼女を作ってなんとか女性を好きになれるんじゃないかと努力したんだけど、結局変わることは出来なかったんだ…その後も大学も会社に入ってから何十年間も周りの人には秘密にして過ごして来たんだ…

自分の性的指向を周りに言ったら、自分はもう父にも母にも叔母さんにも愛されなくなるんじゃないかと思いながら今まで言えずに生きてきたの」

結局僕は、小さな頃からの自分の話を淡々とした。

話しながら涙が出てきて、ふと見ると叔母も泣いていた。

「ただしちゃん、話してくれてありがとう。おばちゃんは絶対にただしちゃんを嫌いになることはないからね。それよりももっと早く話してくれたらよかったのに…」

それから大切なKの写真を見せながらKの話、そして今行われている裁判の話を丁寧にした。

結局、僕が悶々と眠れずに思い描いていた最悪の事態は起こらなかった。

叔母は僕のセクシュアリティを聞いて、叔母なりに受け止めてくれているようだった。

もちろん、僕が帰った後で、叔母のLGBTQに関する疑問や嫌悪や悶々とした気持ちは湧き上がって来るだろう。

でも、僕は叔母に正直に話すことによって長年の罪悪感から解放された。

そして何よりも、大切なパートナーのKをちゃんと紹介出来ると思って安堵したのだった。

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