自分の案を押し通そうとする人。

僕の仕事は、広告のアイデアを考えて、形にすること。

その中では、アイデアが一番重要であり、誰でもできれば自分のアイデアで押し通したいと思うものだ。

今日の打ち合わせの会議で、僕と一緒に仕事をしている人が、自分のアイデアを押し通すためならば手段を選ばないほど、周りを蹴落としながら主張するほど押しが強かったので、僕は一気に引いてしまった。

打ち合わせのあとで、「ああ、僕ももっと自分の意見を譲らずに押し通せばよかったのかな・・・」と一瞬考えてしまったけど、もしあの場で無理に自分の案を押し付けるようなことをしていたら、きっと今以上に後悔が残っただろう。

僕はもう、そういう場面で自らの考えを押し通すことよりも、一歩引いたり譲ったりする方があとあと心地いいということがわかるようになって来たのかもしれない。

あまりにも強く自分の案を押し通そうとしても、得ることよりも失うことの方が多いのだ。

時々、Kを思う時に。

時々、ふとKのことを思う時に、急に泣きたくなることがある。

それは、Kのやさしさや素直な心を思い出すから。

今まで過ごした色々な場面を思い出して、愛おしくなるから。

仕事が忙しく僕が疲れているのを感じると、僕のことを心から心配してくれる。

そんな姿を見ると、こんな人が僕のそばにいてくれるなんて奇跡のようなことだと思うのだ。

今日も急に泣きたくなって、早く帰ってKに会いたいと思った。

荷造り。

自動車を買った直後から、Kが急に引越しモードに目覚めた。

僕は連日の疲れから、家に帰って来てもヘトヘトでいるのだけど、Kは俄然張り切って、一人で黙々と荷造りをしている。

僕の家の荷物の量は、なんでも4人家族よりも多いようで、特に、食器類と本がちょっとした量なのだそうだ。

Kは週末に、重くて面倒な本棚を2つも空にしてくれて、尚且つ持ち前の几帳面さから、本棚のどこに入っていた本なのか、分類までダンボールに書いていてくれる。

前回、一人でやった引越しは、気が遠くなるほど大変だったけど、今回の引越しは、Kのおかげでスイスイとはかどっていきそうだ。

クルマを買う。

土曜日の午前中は、埼玉県まで中古車を見に行った。

お目当は、スバルのフォレスターかレガシーで、迷ったあげく燃費が悪いということで決断はせずに帰った。

翌日、今度は江東区まで車を見に行って、結局そこでフォルクスワーゲンのpoloを買うことに決めた。

なんせ、中古車を買うということも初めてで、一体どんな手続きがいるのか、ナンバープレートはどうするか、車庫証明や陸運局はどうするか、自動車保険はどうするか、全くわからないことだらけ。

そして引越しが3週間後に迫って来た中で決断に至った。

中古車を見に来る人は、80パーセントくらいはその場で即決で車を買って行くようで、そんな話を聞きながら、みんなすごいなあ・・・と思った。

中古車と行っても僕にとっては高い買い物なので、慎重に慎重に選んでいたのだけど、車には多様な種類があるし、まして中古車となれば、何を優先して何を諦めるかがとても難しく、なかなか踏ん切りをつけられずにいたのだった。

冷蔵庫に続きクルマを決めたことで、僕たちの引越しはまた一歩進み始めた気がする。

レスリーの撮影に。

写真家のレスリー・キーが、「OUT IN JAPAN」のプロジェクトで出会ったジョシュアと恋人になり、その後アメリカで籍を入れて、日本でも渋谷区のパートナーシップ制度に登録をした。

そして、間も無く結婚パーティーを開くことになり、僕とKも招待にあずかり、二人の写真を撮影していただくというありがたい機会に恵まれた。

スタジオに15時に入ったのだけど、その後メイクをして羽織袴に着替えてのインタビューと撮影が終わったのは、18時半だった。

日本で同性婚がなかなか認められないことや、問題などをじっくりと話し合った。

写真はいつかどこかで公開されると思うけど、顔を思いっきりメイクしているので、Kなんてまるで歌舞伎役者のようだし、僕たち二人で頬を寄せ合ったりしているので、見ている方が恥ずかしくなる写真だった。

それでも、レスリーとジョシュアが結婚パーティーをやるということ、そしてそこに参加して一緒にお祝いすることができるということ自体が、僕たち二人にとってもとても嬉しいことに感じられた。

Cが家に遊びに来た。

僕には、かれこれ12年以上の付き合いにある仲の良い46歳くらいの女の子がいて、僕が熱海に引っ越す前にと、家に遊びに来た。

Kもよく知っている子で、Kが東京に来て一時期は一緒に南青山のマダムの英会話に一緒に行っていたので、Kのことをどこか弟のように思っているところがある。

夕方まで僕も仕事が忙しかったので、今回はKの作る「たこ焼き」にして、久しぶりに楽しい一夜だった。

Cは、僕が前に付き合っていた恋人と別れた39歳の時に、僕が独り身になってとても不安で辛かった時にいつもそばで寄り添ってくれた子だ。大晦日もお正月も二人で一緒に過ごしたし、正月にCの友人が入院している病院にお見舞いに行ったりもした。

Cは僕が弱っていた当時、僕に慰めの言葉をかけてくれたというよりも、ただひたすら一緒にいてくれた。

そのやさしさを、僕はこれから先も一生忘れることはないだろう。

二人で新居を探すということ。

Kと僕は、九州と東京という遠距離恋愛を3年少し続けたのち、Kが九州での仕事を辞めて東京に出てきて、東京の僕の家に一緒に暮らすようになった。

気づいたらそれから5年が経ち、今度は東京ではなく静岡県の熱海市に二人で引っ越そうとしている。

引越す家を探すことから始まり、引越し業者さんに見積もりをとったり、インターネットのプロバイダをどうするかとか、一緒に冷蔵庫を買いに行ったり、今は車探しもしながら、今後は犬もどこかのブリーダーから引き取ろうと考えているところ。

新しい家に引っ越して新しい生活を始めることは、色々と面倒なこともたくさんあるけど、そんな面倒なこともひっくるめて、僕たちはこの引越しの準備をワクワクしながら楽しんでいる。

こうして新居への引越し準備をしていて気づいたことだけど、僕たちゲイやLGBTQの人たちはこういう楽しみさえも、なかなか味わえずに暮らしているのではないかということ。

男女であれば当たり前の、新居を探すことや一緒に暮らすための準備なんかを、僕たちはあらかじめ自分の人生には想定していなかったり、実際にそういうことになったとしても、大家さんや不動産屋さんや車屋さんいも言えずにやり過ごしているのではないかと思ったのだ。

僕たちが、ゲイやLGBTQであるというだけで、男女であれば当たり前にある楽しみを、初めからないものとして生きていたなんて、とても勿体無いことだと思ったのだ。

Kからの贈り物。

朝、出かけようとしてカバンの中を確認したら、Kの手紙と小さな紙包みが入っていた。

中を開けてみると、僕の財布と同じ色の小さな小銭入れが。

僕がずっと小銭入れを使わず、布製の小さな袋に小銭を入れて持ち歩いているのを、Kはずっと気になっていたらしい。

8周年だったのに僕からは特に何もプレゼントは買わなかったのに、こっそりとプレゼントをカバンに入れておくなんて。こういうところがかわいいところなんだよなあ・・・と改めてありがたく思った。

朝、仕事で憂鬱な気分でいたのだけど、小さなプレゼントのおかげで元気になれた。

今の仕事がたとえうまく進まなくったって、僕には大切なKという宝物があるのだ。

母の小包。

午後になって母から電話があり、野菜を送ったとのこと。千葉県からの宅配便は、その日のうちの届くので最近は驚いてしまう。

小包の中には、ミョウガとピーマン、ナス、その上には手作りのマスクがいくつも入っていた。

不思議な柄ばかりのマスク

先日、Kを連れて母の家に遊びに行った時に、母からもらった手製のマスクをしていたので、母は嬉しかったのかもしれない。目が老眼でなかなか見えにくいだろうに、ざっくりと縫ってこんなにマスクを作ってくれたのだ。

K「お母さん、こんなにたくさんマスク作ったんだね・・・」

僕「つけきれないくらいあるね」

お金では買えないものを、母はいつも届けてくれる。

8周年、ありがとう。

10月12日で、Kと付き合い出してから8周年を迎え、9年目に突入した。

僕たちは、Kがまだ大分県に住んでいた時にネットで知り合い、8年前に初めて大分で会ったのだった。当時、27歳だったKは、今年の12月に36歳になる。

今日は僕も仕事が慌ただしく、ご飯を用意する時間もなかったので、高島屋でシャンパンとチーズとケーキも買って、冷凍庫から牛肉を解凍して食べた。

世界で800本しかない、手作業で作られたシャンパン


正直、つきあい初めは、まさか僕とKが8年間も続くなんて思ってもみなかった。遠距離恋愛だったし、将来のことはまるで霧の中だったのだ。

それが、今ではKは東京に出てきて一緒に暮らしているし、「同性婚訴訟」の原告にもなっているし、今度は熱海に引っ越すというのだから、つくづく人生、先のことはどうなるかわからないものだと思う。

シャンパンを飲みながら、大して贅沢もさせてあげられないけど、こんな二人の小さな暮らしを8年間も無事におくることができたのだと、改めて感謝した。