25年ぶりの電話。

午後のテレカンが終わり夕方、スーパーで買い物をしていると、会社の電話がなった。

「Iです。元気にしてる?」

久しぶりに驚いた声の主は、もうかれこれ25年前に退社した僕の上司のIさんだった。

Iさんは、僕の面接官であり、配属もIさんの下で、当時54歳のIさんを、僕は自分の父のように慕っていたのだった。

Iさんは55歳で退職して、韓国の会社の役員のようなポジションになったと聞いていた。

年に一度、年賀状のやりとりをしていたが、僕の引っ越しや喪中でいつの間にかIさんとの連絡は途絶えてしまい、その後、引退してからは長野県の八ヶ岳に家を構えていると風の便りに聞いていた。

「なんで電話したかわかる?」

「いや、わかりません。お元気でしたか?」

「会いたいねえ…」

「コロナが落ち着いたら会いに行きます」

「実はね…
君が家に遊びに来た時に持ってきてくれたクレマチスがあったでしょう?
あれを挿木をして地植えにしてたのは知ってるよね?
あのクレマチス、引っ越すたびに持って行ってて、今、一輪目が咲き出したところ。君に電話しようと思ったんだ」

「あんな、25年も前のクレマチスがまだ生きてたんですか?びっくり!うれしいなあ!」

その後、スマホにクレマチスの写真が送られて来たのだけど、それは紛れもなく僕が持って行った濃い紫のクレマチスで、写真を見た瞬間に過ぎ去った時間が蘇った。

Iさんとのメールのやり取りで、奥様は3年前の夏に癌で亡くなられたことを知った。今は八王子で一人暮らしをしているという。

僕が家で咲いたバラの写真をいくつも送ると、八ヶ岳にいた時は40本もバラを育てていたのだけど、今は4本だけ選んで育てているとのこと。

80歳になったIさんが、クレマチスの花を見て僕を思い出し、電話をくれたことをありがたく思った。

若い頃は、人生なんて永遠に続く気がしていたし、出会う人も無限にいて、会えなくなってしまった人のことも、またどこかで会えるような気がしていた。

でも今思うことは、人生には終わりがあり、人との出会いは永遠に続くものではなく、いつか必ず会えなくなってしまう時が来るということ。

コロナの騒ぎが落ち着いたら、必ず八王子にIさんを尋ねて行こうと思ったのだった。

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