母の写真

母と食事をした時に、母がデジタルカメラからXDカードを取り出して持ってきて、僕にプリントしてほしいと言うのだ。
考えてみたら、僕は随分デジカメをいじってなくて、自分ではアイフォンでの撮影ばかりで、プリントアウトなどもう何年もしていないことに気づいた。パソコンのプリントアウトでは色がすぐに劣化すると思い、会社近くのヤマダ電機に行きプリントアウトの仕方を聞いた。
時々指が写ったりしていたので30分くらいかけてじっくり写真をセレクトし、省いたりしながら、またプリントアウトが出てくるまでに30分以上かけながら待った。
母のデジカメには、母や父の写真は全然なく、何気ない旅行中の景色とか、庭の写真、紅葉している木々、家に咲いている花とか、家に飾った咲いたばかりのランの花だとか、家の窓から見える景色などが写っていた。
そんな写真を1つひとつ見ながら、僕はなんだかせつなくなってしまった。
今年79歳になる母も、毎日のさもない風景を写真という形で撮影していたのだ。
それは、他の人から見たらなんということのない生活の中のシーンや景色なのだけど、母が見てきれいだと思ったものや、感動したものなのだろう。
いくつになろうとも、過ぎ去って消えて無くなっていく一瞬を美しいと思ったり、たいせつに思えることは素敵なことだと思う。
母の175枚の写真をプリントアウトしながら、79歳になる母の毎日のことを考えた。

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