同性婚訴訟: 第一回意見陳述(原告)

東京地裁において、同性婚訴訟の第一回意見陳述が行われた。
朝早くからKとふたり、白シャツにネクタイ、ジャケットやスーツを着てタクシーで手を繋ぎながら弁護士会館まで。
裁判の傍聴席は抽選で早くから人が駆けつけて満席になった。今日、意見陳述をする原告はふたり。ゲイとレズビアン一人ずつで、僕やKは後ろで座っている。(Kは顔出ししないように傍聴席にいた)
裁判が始まると、法廷内で2分間の撮影が行われた。撮影がどうやって撮られているのかわからないまま、皆が無言のまま席で身動きせずに異様な佇まいで座っていた。
そして一人ずつ意見陳述が始まった。
僕は、原告仲間たちの意見陳述を聞きながら、とめどなく涙が溢れ出して、途中からハンカチを持って涙を拭い続けた。
意見陳述には、重病を患った彼らの人生が書かれていた。ふたりは明らかに、自分の人生の終わりを覚悟していたのだ。
どうかふたりの陳述をお読みいただきたい。これを読んで、泣かない人がいるだろうか?
(以下抜粋)
自分がゲイであることに気づいたのは中学生の時です。当時、学校では同性愛について何も教えらえず、インターネットもありません。テレビで、男性を好きな男性が「おかま」と呼ばれてあざ笑われている姿を見て、自分がゲイであることは誰にも言えない、と思うようになりました。
ゲイであることは恥ずかしいことではない、笑いものにしたり差別をする社会がおかしいんだ、と考えられるようになったのは、30代になってからです。
同性同士の婚姻が認められることは、私が若いころに持っていた、自分自身に対する否定的な気持ちを、これからの世代の人たちが感じなくてもよい社会にすることなのです。
同性同士で結婚できないことによる不都合はたくさんあります。万が一パートナーが意識不明になった場合、病院は、私ではなくパートナーの親族に連絡をしたり手続きをさせたりするでしょう。
パートナーの最期の時に、私がパートナーの手を握ることは許されないかもしれません。パートナーが亡くなった場合、私は葬儀に参列すらできないかもしれません。パートナーは、周りに対してゲイであることを伝えていないので、これらのことは私にとって現実的な懸念としてのしかかっています。
私はHIV以外にも病気を抱えており、寿命はあと10年あるかどうかだろうと覚悟しています。
死ぬまでの間に、パートナーと法律的にきちんと結婚し、本当の意味での夫夫(ふうふ)になれれば、これに過ぎる喜びはありません。
天国に行くのは私の方が先だろうと思っていますが、最期の時は、お互いに夫夫となったパートナーの手を握って、「ありがとう。幸せだった」と感謝をして天国に向かいたいのです。(佐藤さん)
3年前、私に乳がんが見つかり、抗がん剤治療と左胸全摘の手術をしました。法律で守ってもらえない家族を支えるためになんとかここまで頑張って来たけれど、自分にとってがんが見つかるとは全くの想定外でした。がんはリンパ節にも転移し、目の前が真っ暗になりました。
がんだけでも十分すぎる恐ろしさなのに、西川が家族と認めてもらえるのか、手術の同意書や入院の身元引受人に西川を書いて大丈夫か、手術室までの見送りはできるのかと、次から次へと不安が襲い、自分が潰れてしまいそうでした。男女だったら、こんなに悩まなくて良いのにという考えると、歩いていても涙が止まりませんでした。
抗がん剤の治療は精神的にも肉体的にも厳しいものです。今でも再発の不安は消えません。しかし、わたしは同性カップルなので、パートナーの扶養に入るという選択肢もありません。
また、死を身近に感じても、西川に相続権はなく、私の子供に対する権利や義務はありません。そのような状況で西川に子どもを託していくのかと思うと、死んでも死に切れない思いです。(小野春さん)

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