想像する力。

月曜日、いつもよりも会社に早く行き、真っ先に後輩にメールを打った。
週末からの集中豪雨による甚大な被害が、西日本で広がっていた。後輩は、岡山の倉敷出身で、ご家族が倉敷で暮らしているのだ。
後輩からすぐに返信があり、ご実家の場所は災害は免れることが出来たと。(でも残念ながら、学生時代の友人の何人かが住む場所は、酷い濁流にのまれてしまったようだと書いてあった)
阪神淡路大震災の時は、テレビやネットのニュースで映像を見ながらも、東京で暮らす僕たちには、なんだか映画の中の世界のようで、地獄のような大惨事であるにもかかわらず、実感として大惨事であると感じることができずにいたのを覚えている。
でも東日本大震災の時は、東京での被害も大きく、見たこともないような津波となって大惨事を繰り広げはじめた。そしてそれは、僕たちにトラウマを残したのだ。
東京で暮らす僕たちは皆一様に傷つき、東北の恐ろしい映像を眺めながら、自分たちの無力さやこれから先の見えない未来を信じることさえ出来ずにいた。
その時に思ったのだ。
「東北の被災地に想いを馳せる気持ちを、悲惨な状況にいる人々の暮らしを想像することを、何があってもこれから先も忘れてはならない」と。
でも日々の暮らしの中で、忘れていくことは、人間の特技なのだろう。
あの時の思いは、きっと皆それぞれに風化してしまい、今回の集中豪雨の映像を見て、僕のようにハッと思い出した人も多いに違いない。
ネットのニュースでは早々に、倉敷市長が「着替えが足りない」と言っていた。
それを見た僕は、すぐに洋服の着替えの送り先を検索し続けたのだけど、結局このような非常事態の時には、必要な物資や手伝いの正確な情報が出るまで、何もしない方がいいということさえ忘れていたのだった。
避難されている方々や酷い暮らしを強いられている方々が、1日でも早く、安穏な暮らしを取り戻せることを祈っている。

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