どうしても欲しいものに出会った時に。

日本橋の三越の屋上にあるチェルシーガーデンで、美しい枝ぶりのジューンベリーの木を見つけた。
高さはおよそ3メートル。
株立ち状になり、悠然と空へ伸びる枝々は穏やかで、これから来る花の季節、美しい葉っぱの芽出し、秋の黄金の紅葉を考えるとなんともいられなくなった。
「家の北側に置こうかな…」
北側といえども最上階なので、僕の北側のベランダも春から秋にかけては十分に陽が当たるのだ。
でも冷静に考えると、今の家に永住するわけでもないのに、大きな樹木ばかり増えてしまうと、また引越しの時に酷い目に合うことになる。
それに、僕の家にはすでにジューンベリーが一本あるではないか…。
一旦はそう自分に言い聞かせて家に帰り、何事もなかったかのように過ごしていたのだけど、何をやっていても、ふと、あのジューンベリーのことが頭に浮かんで来て、頭から離れなくなってしまった。
「もう一度見に行ってみて、売れ残っていたら買おうかな…」
果たして、ジューンベリーは売れずにそのまま僕の帰りを待つかのように、ちょっこり残っていた。
今度は写真を撮り、高さを図り、KにLINEで送ってみる。
僕「これ、大きいけど買おうかと思って迷ってるんだけど」
K「ジューンベリーなら、もう既にひとつあるじゃん。あれを北側に持っていけば…」
そう言われて、またしてもその場で諦めて家に帰ったのだけど、昔ならば迷うこともなく、好きだと思ったならば後先考えずにそんな大木でさえも、その場で即決して買っていたと思うのだ。
今は年をとって変わったのか、考え方が変わったようだ。
『どんなに欲しいものであっても、それを買ったところで、究極のところそれを自分の手に入れることは出来ないのだ』と思うのだ。
この地球にあるすべてのものは、いくらお金を払ったところで、本当の意味では自分のものにはならないのだと思う。
今は、その美しいジューンベリーが、どこかやさしい家にもらわれていって、健やかに育っていけばいいではないかと思えるようになったのだ。

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