『ありがとう作戦』その2。

土曜日は、Kは昼過ぎまで仕事ということもあり、不意に母に会いたいと思い、金曜日の朝に電話を入れた。
母は、二つ返事で行くと言い、いつものようにお父さん(再婚した父)と一緒にと言うのだけど、僕はなんだか久しぶりに母とふたりだけで会いたいと思い、今回はお父さんには内緒で母と会うことにした。(内緒にしたのは、父が傷つくかもしれないから)
父と母は僕が小学校を終えると別居して、高校を出てから離婚した。その間、兄は父と、僕はずっと母と親子ふたりで生きてきたのだ。
母の好きな中華料理をコースでいただきながら、なんとなく昔話になった。
父がどんなにエキセントリックだったかとか、母をとても苦しめたこと、事業に失敗して酷い目に遭ったこと、家族を崩壊させたこと…。
僕が美術大学になかなかは入れずに浪人した時に、支え続けてくれたのは母だったし、高い多摩美術大学の学費を払ってくれたのも母だった。
お嬢さんのように世間知らずで育った母は、離婚した後女手一つで起業して、その当時の僕には言わなかったけど、その苦労は並大抵のものではなかったと今ではわかる。
そんな話をしながら、僕は周りを顧みずにボロボロと泣きはじめていた。涙がとめどなく溢れて、そんな僕を見ながら、母も静かに泣いていた。
そして、父が亡くなった今でも、僕は、本当の意味で父を許すことが未だに出来ずにいると思うということ。いつも父の墓参りに行って、その話をお墓の前ですること。
浪人時代や大学生の時、そして今に至るまで、ずっと母が僕を守り支え続けてくれたことに対して、面と向かって母にきちんと言葉にして伝えることが出来た。
「お母さん、今までこんなこと言わなかったけど、
僕はお母さんに心から感謝しているんだよ。
ありがとう。」
お会計をして、駅まで歩きながら、そのまま昔のことが次から次へと思い出されて、そんな話をしながら僕の目からはまた涙が溢れはじめた。
つられて母も泣いているのがわかった。
母は、照れ臭そうに、「そんなの、親子だからいいんだよ」と何度も言った。
「子どもは、どうやら生まれる前に両親を自分で決めて生まれて来るんだって。僕は、お母さんの子どもに生まれてきて、本当によかったよ。」
こうして書くと、なんだか酷く照れ臭い言葉だけれども、そんなことを、きちんと言葉に出して母に伝えることが出来たのだった。
『ありがとう作戦』は、この先、どこへ向かうのだろうか…。

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