PRAY FOR ORLANDO

アメリカのオーランドのゲイバーで銃が乱射され、53人が負傷し、49人が射殺されたというニュースがあった。
その後、このニュースが頭から離れず、事件はなぜ起こったのか?どんな背景があるのか?犯人はどんな男で、どういう家庭環境なのか?なぜゲイバーだったのか?なぜ無差別に大勢を巻き込み乱射をしたのか?次々と疑問が沸き起こった。
犯人は、アフガニスタン系の両親に育てられたアメリカ人で、敬虔なイスラム教徒の家庭で育った。事件の直後に犯人の父親のインタビューを読むと、重度のホモフォビアだとわかった。
その後、犯人がゲイだったのではないかという情報が流れた。乱射したクラブには前から通っていて、何人もの目撃者や話したことのある人がいたこと、Jack’dをはじめとしたゲイの出会い系アプリをいくつも使用していたことが明るみに出てきた・・・。
彼がゲイであったかどうかは今のところ実際にはわからない。でも、今ある情報を繋げてみると…
敬虔なイスラム教徒の両親に育てられた男は、自分がゲイであるということを自分自身が受け入れることが出来なかったのだろう。
両親をはじめ、周りに自分のセクシュアリティを言うことも出来ず、イスラム教徒の皆がそうするように女性と結婚をした。
やがて結婚生活は破綻して、奥さんには暴力まで振るうようになり、ついに離婚をした。
自分は本当は男性が好きであるという自分の中の内なる声を聞きながら、ゲイのアプリで出会いを探し、ゲイのナイトクラブにも出入りしていた。
自分の本当の姿を受け入れることが出来ない人を、いったい他の誰が受け入れることが出来るだろうか?
やがて男は、過激なISの思想に傾いていき、ISを攻撃するアメリカを攻撃するという報復に出たのだった。それも、セクシュアルマイノリティで賑わうゲイバーで。
そして、この事件をきっかけにして、犯人のお父さんの酷い言葉をはじめ、キリスト教側からも、耳を疑うようなことを言う人が出てきた。
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/11647801/
こんなニュースを読んで、傷つかないゲイがいるだろうか?この事件の後、僕の周りでも心のバランスを崩している友人が何人もいた。
自分がゲイだとわかった日から今まで、ずっと自分がもうこれ以上傷つけられないようにと鎧をつけて生きてきたのに、ゲイであるというだけで嫌悪と憎悪、暴力を振りかざす人たちの存在を知ったからだ。
この事件は、例えば僕が、新宿二丁目のBridgeで、友人たちと楽しくお酒を飲んでいる時に、いきなり銃が乱射され、夥しい数の人が亡くなってしまったような、そんなおぞましい事件なのだ。
今、僕が出来ることは、「憎しみに対してNOを言うことではない」
正確な知識をきちんと広めることや確かな教育こそが必要なのだ。ゲイやセクシュアルマイノリティがこの世界には自然に存在するということ、それは、善悪などの話ではないということ。
憎しみに対してNOを唱えることは、憎しみに憎しみのカウンターパンチをしていることにしかならないからだ。憎しみは次の憎しみへと繋がってゆく。
渋谷のハチ公前に行き、僕は、オーランドで亡くなった人たち、大切なパートナーや家族を失ってしまった人たちにひたすら祈った。
PRAY FOR ORLANDO

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