石巻。

日和山から見る石巻の町。

日和山から北上川を見る。

津波が押し寄せた小学校の跡地。

門脇小学校は、毎年毎年、避難訓練をしていたそうだ。
緊急時に津波が来そうだと判断されると、裏の日和山の小高い山を上がった緑地に避難するという。
3月11日、14時46分に地震が発生して、警報が出た直後には、先生たちは生徒を引き連れて校庭に集まったが、すぐに校長先生の判断で日和山の緑地に全員が避難した。ちょうど下校の時間だった低学年の生徒は、慌てて学校に戻ってきて一緒に日和山に避難した。高学年の生徒は、避難訓練でやっていた通り、ブルーシートを持って日和山を登った。
津波は、今まで見たこともない高さで押し寄せ、引いてはまた押し寄せ、すぐ下の石巻の家や車ごとなぎ倒し、人間を飲み込み、瓦礫は山となり町を破壊し続けた。
海沿いの冷たい風が吹き、3月だというのに雪が降り続き、眼下の石巻の町では、地獄のような悲鳴が聞こえていたに違いない。やがて、みんなが緑地に集まると、高学年の生徒は肩の位置でブルーシートを広げて持ち、全員を一周取り囲むように丸く連なって立ち、その輪の中に低学年の小さな生徒たちを含む300人を入れた。ブルーシートで小さな子供たちを取り囲み、恐ろしい景色を決して見せないように彼らを守り続けたそうだ。
被災後の石巻の町に、はじめて行ってみた。
現地に実際に行くことで、はじめて震災の被害の大きさを想像することができた。テレビの映像で見るのと、実際にその土地に足を運ぶのとでは、そのリアリティにおいて、比べることもできないのだと思い知った。
石巻の復興は、5年経った今も、まだまだスタート地点にすぎなかったのだ。

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