ケンカをして気づくこと。

実はKとつきあってから、今までに3回くらいケンカをしたことがある。
ケンカと言っても、突然Kが噴火してしまい、僕は言葉を返すのだけど、まともな話し合いにはならずに終わることが多い。笑
これは、ふたりのコミュニケーションの違いでもあるのだけど、Kは日頃から、自分の感情を表に出さない性格で、いつも平静でほんわりしているように見える。
僕は、思ったことや話したいことはなるべくその場で言うし、感情がすぐに顔に出るからわかりやすいとは思う。またそれがかえって、鼻につくこともあるだろう。
二人でいても、なんでも受け身のKは、どこに行くか、何をするか、自分から何かを言い出すことはない。ご飯も、映画も、どこに行くかも、決めるのはすべて僕だ。(年齢の差もあり、Kはあえて僕を立てているようなところもあるのだけど)
でも、まったく違う人間のすることを横で見て従っていると、色々とその『違い』が気になりはじめて、それがある極限まで行くと噴火するようだ。そして、それはいつもとても些細なことで始まってしまうものだ。
今回の大分では、前回の福岡で起こってしまったケンカを、なんとかふたりできちんと話し合いたいと思っていたのだけど、結局、ふたりでゆっくりと時間を過ごしているうちに、ふたりとも、なんであんなことで言い合いになったのだろう…と思えて来た。
2年間近く、ふたりで色々なところに旅行をしたこと。美味しいものを、ふたりで食べたこと。失敗をして笑ったこと。様々な思い出が蘇り、それを話して笑うことが出来たし、ふたりが出会った頃のことも思い出すことが出来た。そして、今までよりももっと強く結ばれた気がする。
でも、僕が本当に思ったことは、たとえふたりがいつか離れ離れになってしまったとしても、ふたりで経験したことはなくならないだろうということだ。
誰かとつきあうということは、そんな宝物のような瞬間を、いくつもいくつも重ねることなのだ。
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