良心。

先週末にどこかで、PASMOの定期券を落としてしまった。
PASMOはいつも裸で持ち歩いていて右のポケットに入れていたのだけど、ある瞬間にそこにないことに気づき、鞄に入れたものと思っていたのだけど、月曜日に会社に行く時に見つからなかった。学生のとき以来、定期券など買ったことのない僕は、先日券売機で定期券を買えることを知り、その場で半年分(36000円くらい)の定期を買ったのだけど、3ヶ月分まるまる残ったまま紛失してしまったわけだ。
帰宅して上着やズボンなど、思いつく限りのポケットを探しても見つからず、「もう、二度と定期券など買うものか・・・」と思っていたら、友人が、「Suicaなんかだったら再発行できると思うよ」と教えてくれた。
火曜日に新橋の駅で再発行の手続きを済ませ、翌日に取りに来てくださいと言われた。その時に、「チャージされていた金額は、使われているものは戻ってきません」と言われ、僕も、「そうですよね。落とした僕が悪いんです」と話して駅を後にした。
水曜日の朝、8時前にiPhoneが鳴り、なんだろう?と思って出ると、原宿警察署からの電話だった。「PASMOが届けられていますので、受け取りに来た際に7272という番号を告げてください」と言われた。原宿警察は歩いてすぐなので、朝、そのまま行ってみると、僕のPASMOが無傷のままそこにあった(これはもう使用できなくなっているのだけど)。書類にサインをして、今度は新橋駅に行き、ことの次第を伝え再発行していただいたPASMOを受け取った。
帰り際に何気なく改札を通る時に新橋でPASMOの残高を見ると、チャージしてあった4000円くらいの残高は、そっくりそのまま残っていた。
僕はそこでちょっと驚いて、「日本って、まだまだいい国だな」と思った。
僕の中では勝手に、そのPASMOのお金は、拾った人が何かで使っているのではないかと思っていたのだ。そんな風に人を疑ってしまっていた自分が、なんだか恥ずかしく思えた。
『良心』というものは、人が生まれながらに持っているものであろう。それは人に教えられるものではなく、人生の中でそれぞれが守ってゆくもののように思う。
嘘をついたり、人を傷つけたりした時に伴う罪悪感を、『良心の呵責』というけど、人間がその心のありように、きちんと名前を付けて明確にしてきたこともすごいと思う。
PASMOを拾った人は、誰にも知られずにそのPASMOでコンビニで買い物も出来るし、タクシーで支払うことも出来るのだ。
でも、僕のPASMOを拾った人は、自分の名前や住所も告げずに警察を後にしていたので、どんな人だったか分からない。けれども、『良心』のある人だった。

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