自分を隠しながら生きること。

昨夜はMの昇進祝いで久しぶりに銀座の店に集まった。
Mは僕の同期。色白でぽっちゃりしているプランナー。入社以来20年一緒にいるけれども、僕はMのことをずーーーっとストレートだと思っていた。それは、飲み会の席などで、若い大学生の彼女に450万円貸したのに、そのお金が戻ってこないとか、その子とは、ネットの出会い系で知り合ったとか、およそだめ男が若い女に貢ぐ酷い話をしていたからだ。
それが3年くらい前に僕が赤いアプリを会社で広げた時に、Mがすぐそばに写っているのを発見して腰が抜けるくらい驚いた。
『あいつ、ゲイだったのか?今まで若い大学生の女子とばかりつきあっていると言っていたのは、大学生の男子だったのか?』と。
昨夜は、またMの若い恋人の話をみんながおもしろがって突っ込んでいた。僕はなんだかいたたまれなくなり、トイレに立ったり、遠くに席を外したりしてあえて聞かないようにしていた。遠くにいてもMは、周りに聞かれると、「彼女」と言う発言を繰り返していた。
もしかしたらそんなこと、Mにとってはわけのないことなのかもしれない。けれでも、会社に入って20年以上それを貫き通して、ずっと『彼女』と言い続けて来たであろうMのことを考えると、なんだか心穏やかではいられなかった。
僕はもう、こんな存在だからか、周りから恋人のことを聞かれることはまずない。聞かれても、絶対に彼女とは答えられない自分がいる。彼女などと言ってしまうと、嘘をついた自分が居心地よくなくて、後々罪悪感が頭をもたげてきて胸の中がもやもやでいっぱいになってしまうだろう。
誰もが、その人のセクシャリティのまま周りにも受け入れられる日はいつになったら訪れるのだろうか?
誰かを好きになるという純粋な気持ちさえ、ひた隠しにしながら生きるしかなかった、星の数ほどいるであろう僕らの仲間のことを想う夜だった。
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