修理して使う喜び。

サイドテーブルの天板の裏

震災で折れてしまった脚

時々気がついて、壊れてしまったものを修理してもらう。
今回は、フードセーバー(食品をビニールの中に空気を抜いて保存出来る器具)が吸い取りが悪くなったのと、卓上カセットコンロの足が一つ取れてしまったので、それぞれ修理に送った。
週末に、家にある他に修理すべきものを考えてみたら、靴の底を替えたいと思っている靴が3足あったり、破れたGパンが2本あったり(下半身が太くなったので)、そういえば、一番上の収納に何年も上げたままになっていたサイドテーブルが、震災の時に足が取れたまま使わずに収納してあるのを見つけた。
日頃は忙しさで忘れたまま使わずにいるものが、こんな風に意外と家の中に溜まっているのがわかった。
今日、フードセーバーの修理担当の方から丁寧な電話をいただいた。「器具の中の、空気を吸い取る管の中に水分が入ってしまっていたので、それを取り除いておきました」とのこと。修理代も3000円と安く、また今までと同じように使うことが出来るのがとてもうれしく感じられた。
端っこが欠けてしまった和食器に、金が接いであるのをご覧になったことはあるだろうか?先日金沢に言った時に、思いがけずそんな食器に出くわした。
昔は、欠けてしまった食器など価値のないものだと思っていたのだけど、今の僕は、欠けてしまったものでさえも、また金で接いでまで使っているという持ち主の愛情を感じられて、それを美しいものだと感じることが出来る。
生きていれば傷もつく。
遅かれ早かれものは壊れ、使えなくなり、いつの日かこの世界から消えてなくなるのだ。
使っていたものが壊れて、それを修理に出して戻って来ると、思いのほかうれしい。
それは、これからも丁寧に使ってゆけるというものに対する愛情であり、もしかしたら物からの愛情さえも感じることが出来るからなのかもしれない。

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