出来事は、自分の心の捉え方が決める。

ランチを食べようと店に入ったら、4人がけの席に座らされ、「もうひと方と相席になるけどいいですか?」と聞かれ、「いいですよ」と答えた。すぐに男性が入って来て、僕とは違う注文をした。
間も無く店員さんが、僕の所に、頼んでいないサラダを持って来て、「お待たせしましたセットのサラダです」と言うので、「僕のではないですよ」と答えた。驚くことに相席の人のでもなかった。
暫くしたら、今度はまた頼んでいない食事を持って僕の前で、「お待たせしました。Bセットです」と言われ、「僕のではないと思います」と答え、結局その品物は相席の人のものでもなく、店員さんは謝りもせずそそくさと奥に引っ込んでいった。
僕も、毎回間違ったものを持って来て、いちいち聞かれることにイライラして、帰りにレジで事の次第を注意しようかとふと考えたら、やがて頼んでいたものが来てくれた。
でも、「僕も疲れていて余裕がなかったんだろうな…」と思い直してみた。
そして。いつも通りに「ごちそうさまでした」と言って店を出た。
店を後にする時に気づいたことだけど、自分の気持ちが不思議なくらいスッキリとしていた。
もしもあの時、店員さんに注意をしていたらどうだっただろうか?
お店は今後、同じようなことが起こらないように努力はするかもしれない。でも、肝心の僕の心の中は、モヤモヤした言いようのない気持ちが残っていただろう…
人の行いを目の前にした時に、良い悪いと裁こうとしたり、怒りや憎しみ、嫉みなどを感じるのは、人間だからしょうがないことだろう。
でも、そんな時に難しいことかもしれないけど、自分の心の状態をじっくり観察してみる余裕が持てたらいいのかもしれない。
大抵、自分の心に余裕がなかったり、疲弊している場合が多いのではないだろうか?
目の前の出来事は、きっと、自分の心がそれをどう捉えるかによって、変わってくるのだろう。
もしも今度、同じようなことがあったら、「次はどんな違うメニューが来るかな!」と言って、笑えたらいいなぁ。(でも、もうその店に行かないというのが賢明かもしれないけど…笑)

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