自分らしくあること。自由であること。

10年くらい前になるだろうか。僕がよく行く東京の割烹料理屋さんで、大将がいない時は、いつも、20代半ばの背の高い好青年Mが相手をしてくれていた。
その頃、僕は、年上の人とつきあっていたので、その店には二人で訪れることが多かった。
その青年Mは、精悍な顔立ちで、話の機転もきくため客あしらいもうまく、職人気質の多い店の中でも重宝がられていたと思う。
それがある日、いつものカウンターで食べていると、いきなり大将に相談された。「Mが夜逃げをして行方不明になってしまったんです…携帯だけは、持って出てるんですけど…」
よくよく聞くと、結婚を約束した彼女と同棲していたのだけど、Mはある日、男に出会って、すべてを捨てて夜逃げしたということだった。大将には、恩があるので、電話で泣きながら話したそうだ。
「つまり、あいつは、ゲイだったんです…」
僕は、こんな内輪の話を僕にしてくるには、きっと大将も、僕たちがゲイだと気づいているのだろうと思ったのだけど、僕の彼の手前、それを言い出すことは出来なかった。
僕も職場では、あえて自分のセクシャリティーに関してオープンにしていないように、多くのゲイが多かれ少なかれ、自分のセクシャリティーを隠しながら生きているだろう。一生隠したまま、死んでゆく人も沢山いるに違いない。
地方に働き口が見つかったというMは、今頃どうしているだろうか?
その町で新しい割烹料理屋を訪れるたびに、Mに会えるのではないかとワクワクしているけど、今のところまだ会えていない。
自由になって、Mらしく幸せに暮らしていたらと思う。
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