自分と違うものを認め、敬うこと。

カンボジアの田舎町に行って、村の待合所というか、ちょっとした休憩をする時に座れるような日除けのある吹きさらしの小屋で休んでいた。
そこの家族はおばあちゃんと孫娘ふたり、そしてお母さんが座っていて、農作業を終えて帰ってくる男衆を待っている感じだった。
雨がじゃんじゃん降っていたので、彼らのご厚意で、ちょっと間借りして休ませてもらっていたのだけど、その時に歯が抜けたようなおばあちゃんがガイドに聞くのだ。
「この人たちは今日はどこか泊まるところがあるの?」
まだ電気の通らないような家で暮らす人たちに、僕たちが泊まる場所を心配されて少し驚いてしまった。
「ここに泊まっていけと言われたら、どうしよう…」
そう僕は思ったことを口にしてしまったのだけど、それを聞いていた通訳のカンボジア人が言った。
「これは彼らのホスピタリティであり、おもてなしなんです。貧しくても、精一杯のおもてなしなんです…」と言った。
僕は、彼らを馬鹿にするつもりはなかったのだけど、カンボジアの人たちには言外にそんな意識を感じ取ってしまったのかもしれない。
「彼らのおもてなしは色々あって、いきなり鳥を目の前でさばいて、鍋に入れて料理をはじめて、これを食べてください。と言われることもあって、そんな時、向こうの気持ちを害さないように断ることが難しいんです」と言っていた。
戦後、経済発展を遂げた日本から来た僕たちは、カンボジアの田舎の貧しい暮らしを実際に見ると、「ちょっと、ここで暮らすのは無理…」と思ってしまうのだけど、たとえ文明が進んでいないから、貧しいからといって、彼らか僕たちに比べて劣っているわけでは全くないのだ。
自分と違う文化やその国のありようを認め、敬意を持って尊重すること。
そんな当たり前のことを、僕もふと、忘れていたようで、カンボジア人の通訳の方のお陰で、旅の途中で改めて自分を戒めたのだった。
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