耳の聞こえない人。

僕の小学校や中学校や高校や大学では、知的障害の子どもや、耳の聞こえない子どもは、健常者とは全く別のクラスで勉強していた。
身近に障害を持った人がいなかったため、そういう人たちと触れ合う機会もほとんどないまま大人になってしまった気がする。
大人になってここ数年で、LGBTの関係で様々な障害を持つ人と会う機会が増えてきた。
実際に知人になった耳の聞こえない人たちは何人かいて、時々そんな人たちと接する時に、筆談を織り交ぜながらなんとかコミュニケーションを取ろうとする。
そしていつも思うのは、彼らの日常生活を想像した時に、いかに他の人とコミュニケーションをとることが難しいかということだ。
グループで話していても、つい耳の聞こえない人のことを忘れてみんなでゲラゲラ笑っていることがある。後から気づいて筆談でその内容を伝えても、過ぎた時間は戻すことも出来ず、ちょっとした気まずさが残るのだ。
本当は、小さな頃から、様々な障害を持つ人も耳の聞こえない人もみんな一緒に過ごしていたら、今とは違ったのではないかと思うのだ。
身近にそういう人がいることで、他者を想像したり、コミュニケーションの難しさを学んだり、自分とは違う人がいることを知る機会になるのだと思う。
実は、ずっとこのことを書こうとして、書いてはやめ、書いてはやめて夏休みの宿題のように時間が過ぎた。耳の聞こえない人や、障害を持つ人とのことは、まだまだこれから僕自身が考え、学んでいくことなのだと思う。

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