不安は、現実化する。

僕の上司に、不安症の人がいる。
四六時中身の回りのこれから起こりうる色々な不安を想像しているのだ。
たとえば、
原稿を入稿したら、掲載された時に何かの手違いがあって逆さまに掲載されるのではないか…。
探している稀少な映像はあまり残っていない上に、あったとしてもなかなか許可が取りづらいから、このまま見つからないかもしれないので今のうちに別の案を考えた方がいいのではないか…。
その選手は協会が許可を出さないかもしれないから、別の種目を考えた方がいいのではないか…。
彼の頭の中では、常にこれから先の未来に起こるかもしれない事故に備えて様々なシミュレーションが行われ、土曜日や日曜日であっても、不安が爆発するとたくさんのメールと酷い時は電話が来たりする。
生真面目で神経質だったり、完璧主義の人に多いようだけど、あれほど日常的に様々な心配をして生きているのも、きっとつらいに違いないと思う。
僕だったら、
掲載した時に万が一反対に載ってしまったら(そんなことは今までの人生で聞いたことのない話だが)、それは何かの事故であって、僕にはどうすることもできないと思う。
想定していた映像や写真が散々探した挙句なかったとしたら、そこからどうするか次の手を考える。
選手の許可がおりなかった場合は、その時に別の選手なり種目を考える。
彼の不安は波動となり、やがてこの世界に現実化されることになる。
はじめは、なんだかはた迷惑な人だと思って見ていたのだけど、今となっては、彼の不安具合を横目で見ながら、今度はいったい何が現実化してくるかと思えるほどになって来た。
彼の不安の現実化を目の当たりにしていると、人間の意識は、こんなにもハッキリと現実化するものなのかと感心してしまうのだ。

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