おじの危篤。

母から電話があり、母の兄妹の一番上の兄が危篤状態であることを知らされた。
母は男3人女3人の6人兄弟の下から2番目で、一番上の兄とは、10歳くらいの年の差がある。
毎年健康を気にして、健康診断や検査を受けていたのだけど、ふと思い立って癌専門の病院で検査を受けたところ、膵臓癌が見つかり、癌は身体中他にも転移していて、もう手のつけられない状態だったようだ。
そんな話を聞いた母たち三姉妹は、一番上の兄の家に久しぶりに訪れたそうだ。
おじは、親戚の中ではとても強欲な人で知られていて、裕福だった母の一族に代々伝わる家宝を、自分の兄妹のようにはほとんど分けずに、すべて自分のものにしてしまうような人だった。
一度、すぐ下のおじに屏風をあげたことがあったようだけど、その屏風を鑑定に出したところ、驚くほど高価なものだとわかり、それを上のおじに伝えると、その屏風をもう一度奪い返したこともあった。
祖母が亡くなる時も、自分のところでは祖母を看取らずに、実際には長い間一番下の弟のところで祖母は面倒を見てもらいながら亡くなった。それにも関わらず、葬儀は世間体を考えて自分の家で出すと言って、遺体を運んで葬儀をした。
そんなことがいくつかあって、母も他の兄妹たちも、一番上の兄のところには、全く寄り付かず、交流もほとんど途絶えていたのだった。
おじに癌が見つかり余命もそれほどないと聞いて、母たち三姉妹が元の実家を訪れ、おじの息子に会い、おじに会いに来たから取り次いでくれと告げると、その息子は、お父さんに、他に誰か会いたい人はいないのか?と聞いたのだけど、誰も会いたくないと言っていたと言われたらしい。
結局、母たち三姉妹は、おじに会わずに帰ってきたらしく、「これでも兄妹なのかと思ったわ…」と、母は悲しそうに僕に話していた。
「兄は、とてもお金に執着した人だったけど、最後に幸せだったのかしらね…」
母は、そんな風につぶやいて、ため息をついた。
どんな風に生きようが、その人の人生なのだけど、40を過ぎたあたりから益々思うことは、人生って意外と短いということだ。
死んだ後に大金は残らなくても、できれば、やさしさや温かさのようなものが残るような生き方をしたいと思ったのだった。

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