もう会えない人たち。

2丁目の新千鳥街に、『Oh!』という飲み屋があった。
同じように古くから僕が通っている店『ぺんぺん草』に飲みに行った後、ふとOh!のことを思い出し、昔Oh!があった場所を通ってみた。
僕が10代の終わりから20代にかけて学生の頃よく行っていた店だけど、飲みに行くたびにマスターと映画の話で盛り上がったのを懐かしく思い出す。
マスターは僕からするとかなり年配だったけど、当時、多摩美の学生だった僕を、学生だからと言ってバカにすることなく他のお客さんと同じように扱ってくれた。
マスターは1年に200本以上の映画を鑑賞していて(今は僕がマスターに近づいていて、毎年100本から150本の映画を観るようになってしまった・・・)、その頃何か映画を観るたびに、映画のことをすぐにでもマスターと話したくて、急いで出かけて行った。
パトリス・ルコントの『髪結いの亭主』を観た時は、「いったいなんであの亭主は、幸せの絶頂で、川に自ら身を投げてしまったの?」などという僕の単純な質問にも、マスターなりに真摯に答えてくれたことを、まるで昨日のように思い出す。
その店には、僕がお兄さんのように慕っていたKeiさんも来ていて、六本木のKeiさんの豪華なマンションで一緒に寝たことを懐かしく思い出す。Keiさんはその後、サンフランシスコに移住して、癌の手術をしたのは聞いているけど、その後、メールの返信も来なくなってしまった。
マスターがこんにゃくゼリーを喉に詰まらせて、2丁目のバーで飲んでいる時に亡くなってしまったのを聞いたのは、もう何年前になるだろうか?
あの町で、多くの人に出会い、もう会えなくなってしまった人もたくさんいる。すべては過ぎ去ってしまったことだけれども、こうして時々、もう会えなくなってしまった人々や過ぎ去った日々を懐かしく思い出すのもいいものだと思う。
僕の考えでは、時間にも絶対なんかない。たとえ過ぎてなくなってしまったからといって、彼らとの日々は暗闇の中に消えてなくなったりはしないのだ。
こうして、ふと、あの頃の彼らを思い出す時は、今のこの時間よりも、むしろ鮮明に、楽しかった日々が胸に甦る。
★”FOR ALL WE KNOW”Joe Sampe & Lalah Hathawayhttp://www.youtube.com/watch?v=n-Srp1turQ8
ジョー・サンプルのピアノに、ダニー・ハサウェイの娘レイラ・ハサウェイの質感のあるヴォーカル。信じられないくらい美しいアルバムです。
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