四半世紀の僕の仕事。

今週末に、局全体の移動があり、社内で別のフロアへの引っ越しがあるため、溜まりに溜まった持ち物を整理し続けている。
引っ越し先に持っていけるものはダンボール二箱。この会社に四半世紀いる僕の荷物はダンボール二箱内に収まるわけもなく、資料として大きなロッカーに沢山入った書籍を買い取りに送ったり、今週はTシャツ姿で血眼になっている。
一番の懸念は、B0というサイズの巨大ポスターの束の整理と、今みでの過去に制作しては取り置きしてある膨大な広告を整理し直して必要最小限の量にすること。
プロダクションのデザイナーに手を借りながら、ポスターはなんとか1束に収めることが出来て、次は新聞広告と雑誌広告の仕分けへ。
50歳が目前に見えて来た僕にとって、過去に自分が制作したものなど、紙として取っておく必要などないのではないかと、実はずっと思っていたので、思い切って全てを廃てしまおうと考えていたのだ。
『広告』とは、その時代その時代を反映して、すぐに忘れ去られて消えていくものだから。
でも実際には、入社一年目で苦労して作った広告賞応募作品だとか、先輩コピーライターに尻を叩かれながら作った作品だとか、ひとつ一つを見ていたら、
「誰になんと言われようとも、捨てることなんか出来ないや…」
と思いはじめていた。
過去の自分が作った制作物を眺めながら、ちょっと涙目になるくらい感動してしまったのだ。
それは、今まで自分が漠然と働いて来た証であり、胸に迫って来たものは、一緒に制作をしてくれたコピーライターやデザイナーの人たちへの圧倒的な感謝の気持ちだった。
新しいフロアに収まりきらないと怒られるかもしれないけれども、この膨大な量の制作物と一緒に、今回は引越しをすることにした。
地味で全く評価されることのなかった仕事でさえも、どれひとつ無駄な仕事ではなかったのだと、この年になってはじめて思い知らされている。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。

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