宮古島で家探し。1

朝の便で宮古島へ。
今回宮古島を訪れたのは、購入しようとしている物件のライフラインを確かめるためと、経年劣化が何処かに来ていないか建築物をチェックするというのが目的。

今日は飛行機が空港に着いたらレンタカーを借りてそのまま保健所へ。
保健所では住居として使われていたこの物件が飲食店や宿泊施設をするためにどんな設備が必要なのかをチェックする。30分もたたないうちに慌てて物件へ移動する。
そこには宮古島に移住して20年以上になる知人の宿をやってらっしゃる方と、その方の知り合いの土木作業をしてくださる会社の社長さんがいらっしゃって上水下水を見てくださる。

宮古島は全体でも16パーセントの家にしか下水が通っていない。下水のない場所では浄化槽を設置することが半ば義務のようになっているのだが、未だに浸透式と言って地面に下水を浸透させている家が多い。
今回僕たちが購入しようと考えている物件も浸透式なので、それを浄化槽に変えるのに150万円くらいかかると言われている。

家の裏のシークワーサーの木がある場所に浄化槽を設置しようということが決まりほっとした。
今回初めて気づいたのだけど、家の2階から海が遠くに見えることがわかった。

宮古島で家を買う際に、海辺の家は格段に値段が高くなるので諦めていたのだけど、思いがけず遠くに海が見える家に住めそうなことがわかりうれしくなる。神様に感謝だな。

叔母が真鶴にやってきた。

父の妹である叔母が急に真鶴まで来ると言うのでお昼前に真鶴に行く。
鄙びた真鶴駅で待っていると、年を取って小さくなった叔母がやってきた。

叔母は今年の春に熱海の我が家に遊びに来たけど、今回は前から大好きな真鶴に行きたいとやってきたのだ。
真鶴では「うに清」と言う有名店でお魚が何種類もふんだんに使われた定食をいただく。

叔母と話しているといつも亡くなった父の話になり涙ぐむことになる。
おばが3歳、父が5歳の時に祖父が戦争から帰ってすぐに亡くなり、祖母は女手一つで二人の子どもを育て上げたのだった。

叔母は、僕と兄に幾らかの財産を遺そうと思ってくれているようだ。そのやり取りで銀行と喧嘩をしたことを聞いて笑ってしまう。

81歳になっても未だに気が強く、商売をやっていたから男まさりなのだ。

真鶴半島の突端に上がり海を見下ろす。今日の美しい天気は神様からの贈り物に違いないと叔母がいう。
叔母と二人で写った写真を見ながら、「本当に親子みたいね」と言って叔母が喜ぶ。
叔母は子どもに恵まれなかったため、いつも僕のことを養子に欲しいと父に言っていたのだ。
帰り際に叔母が、「ただしちゃんも早くいい人に会えるといいわね。きっと会えるから大丈夫よ」

僕にはKと言うパートナーがいるのだけど、81歳の叔母には理解し難いかもしれないと思いまだ話していない。

いつかKのことを話せたらいいけど、それも無理にではなく、そんな絶妙なタイミングが来たらでいいかもしれないと思う。

自分が年老いてもいつまでも僕の幸せを気にかけてくれている叔母に感謝した1日だった。

海の毎日。

海が家にやってきた時から、毎朝僕が海の散歩に行って1時間近く歩いてから、家に帰って海のご飯をあげる。
その後、昼は僕がご飯を食べて、海には朝ごはんの残りをあげて、家で僕が仕事をする傍ら海は寝たり戯れたりしつつ、夕方には散歩に行きたいと急かし始め、また僕が海を連れて散歩に出る。
夕方6時半頃になるとK が帰ってくるのを今か今かと待ちわびながら、海はずっと窓辺でKの車が帰ってくるのを探している。
Kが帰ってくると、海は全身で喜びを表して、気も狂わんばかりに鳴いて喜ぶ。
僕たちがご飯を食べる時に海にも一緒にご飯をあげて、デザートを食べる時も一緒で同じものが食べられない時には別の食べ物をあげる。海は果物が好きで、甘いものを食べている時に本当に幸せそうだ。
海は散歩に行って近所の「ハシ蔵」というゴールデンレトリバーに会うか、「ララ」というコリーに会うのを何よりも楽しみにしている。
海の毎日はこんなさもないことの繰り返しなのだけど、海はつまらなそうにすることもないし不平をいうこともない。それどころか、毎日、毎瞬を全身で思いっきり楽しんでいるのがわかる。
海は、他を羨ましがることもないし、自分にないものを数えることもない。
僕やKと一緒にいることがただそれだけでうれしくて幸せだと教えてくれる。
そんな純粋な海を見ていると、心の底から愛おしいと思う。

家を買おうか?

「宮古島に家を買おうか?」

と探しているうちに、昔、占い師に言われたことをふと思い出した。その当時僕は30代の終わりか40代はじめの頃で、「いくつになったら自分の家を持つことができるのでしょう?」と聞いたことがあった。

占い師は僕の生年月日や生まれた時間を見ながら、「ずっとずっと後の52歳以降です」と言ったのだった。

僕はその頃、一生家を買うことはないと思っていたから、「そんなことはないな・・・」と思ったのを覚えている。
東京で長いこと神宮前や千駄ヶ谷で暮らしていた僕は、東京で住むなら外苑前近辺だけど、自分で家を買うことはあまり考えなかった。夢想することはあっても実際の家の値段はあまりにも高すぎるし、そもそも同じ場所に長く住み続ける自信もなかった。

それが、ここへ来て急に宮古島に移住することを考えて、家をどうしようか?と考え出した時に、宮古島ならば家を買おうと思ったのだった。宮古島は「宮古バブル」と言われていて、ここ5年くらい家賃や地価が上がり続けていてリゾートマンションの建築ラッシュが続いている。

土地を買ってから家を建てようと思っても、上物にかかる費用は1坪につき120万円などと言われていて、50坪の家を建てようと思ったら土地の代金以外に建物だけで6000万円はかかると言うことになる。それなのにそれなのに、宮古島に家を買うなんて正気なのか・・・。

自分でも理由はわからないのだけど、それを選択する時期がやってきたとしか言いようがない。
占い師は知っていたのだろうか?僕が53歳で家を買うことを。

1週間遅れのバースデー。

10月10日は海の誕生日。

1歳の誕生日は僕たちは裁判の準備で東京に行っていたため、海をお祝いしてあげることができなかった。

1週間遅れではあるけど海の1歳の誕生日をお祝いしようと、Kは昼からキッチンに立ち何やら一生懸命に作り始めた。

K「ただしくん、これ蒸したいんだけど、どうやればいいの?」

K「マッシャーで潰せばいいかな・・・」

K「ただしくん柿を細かく切って!」

出来上がったのは、紅芋とさつまいも、ヨーグルトを使ったケーキ。

トリミングから帰ってきて可愛くなった海に、Kはケーキをそっとあげる。

「ハッピーバースデー海さん!♪」

二人でハッピーバースデーの歌を歌いながら、海は美味しそうにケーキをあっという間に平らげてしまった。

海のトレーニング。

隔週末の土曜日に海のトレーニングを行っていて今日は2回目だった。

前回は僕が海に指示を出したので、今回はKにお願いして他のワンちゃんや飼い主さん達と一緒になってしつけのレッスンとアジリティ(障害物競争)のトレーニングをした。

今日の海はなぜか興奮が強くて、途中Kの手を離れて場内を自由に走り回ってしまったり、全体としてはあまりうまくトレーニングができ図に終わった。

Kはトレーナーのやり方や他の飼い主さんのありようがあまり好ましく感じられなかったようで、終わった時点でもうこのトレーニングには参加したくないと言い出した。

僕はKがそんなに嫌がっていたとは思っていなかったので焦ってしまったけど、なんとか気を鎮めて次回からは僕が担当するということにした。

Kは僕と違ってとても周りの人々に気を遣う性格だ。周囲に迷惑をかけることを極端に嫌い、いつも周囲を気にしている。

僕はどちらかというと周囲に迷惑をかけてしまっても時と場合によってはしょうがないと思って生きているようなタイプ。

人間、生きている中では周囲に迷惑をかけてしまうこともあるし、周りから迷惑をかけられることもあると思っている。

海が何度か脱走したことで、Kは周りに対して申し訳ない気持ちになってしまったようだった。その上にトレーナーからちょっと嫌味っぽい言い方をされたようで、すっかりKは怒ってしまった。

人はみんな感じ方や物差しが違っている。9年以上付き合っていてもまだまだわからないことがあるものなんだと思った一日だった。

引越しの値段。

先日ふと、「熱海の我が家から宮古島に引っ越しをしたら一体いくらくらいかかるのだろう?」と思い、とりあえず見積もりをとってみることにした。

今はコロナの影響もあって、LINEで部屋の中の家具や棚の中を見せながら見積もりをとるのが主流になっているようで、丁寧に押し入れなんかも開けながら30分くらいかけて見積もりの打ち合わせをした。

その後、一週間近く経って見積もりが送られてきた金額は「148万円」だった。

離島への引越しは高いとは聞いていたものの、およそ150万円って・・・汗。

その見積もりを出した時点で、業者さんは乗り気ではないのが分かるのだけど、今度は大型家具だけ引越し業者さんにお願いして、段ボールは自分で宅急便で送るという方法でいくらになるかやってみることに。

やたらと大きな家具が多いだけに、離島への引越しはまだまだ先行きが見えてこない状態・・・。どうなることやら。

健康診断。

年に一度の健康診断を受けるために、今回は慈恵医大病院に行った。

健康診断をする時はいつも、「今回の診断で恐ろしい病気が見つかったらどうしよう・・・」と思う。

いつもは会社に入っている病院だったのだけど、今回の慈恵医大病院では検査項目が増えていて丁寧だった。

緑内障の検査もあるし、聴覚の検査も慎重。内視鏡は麻酔をして寝ている間に済ませてくれるし、疑わしいポリープなどがあったらその場でつまんで検査用に摘出してくれる。

それにしてもこの年になると、健康診断って結果がとても怖い。怖いけど、逃げずに年に1度はきちんと受けておかないと。

僕の身体は僕だけのものではなく、僕の家族のものでもあるのだから。

本人尋問での最後の言葉。

月曜日の本人尋問で、「最後に裁判官に伝えたい言葉はありますか?」という質問があった。

原告それぞれが思い思いの言葉を話したのだけど、僕はいつも暮らしの中で思っていることを話した。

性的指向や性自認に関わらず誰もが結婚できるようになったら、法律的にできることや保障はたくさん享受できるようになるのだと思う。でも、本当に僕が欲しいのは、偏見や差別のない毎日の暮らしだと思うのだ。

●本人尋問最後の言葉。10月11日東京地方裁判所にて。

かつと二人で飛行機に乗っている時に、
急に飛行機が揺れて思わず手を繋ぐことがあるんです。
でも僕たちはその時、ふと周りを気にするんです。
桜が咲いていたり樹々が紅葉する季節に外を歩いていると、
ふとかつと手を繋ぎたくなることがあります。
でも周りを気にして手を繋ぐことはありません。
僕たちはこんな風に、いつもいつも周囲の目、
偏見や差別を気にしながら毎日暮らしています。
性的指向や性自認に関わらず、
誰もが愛する人と結婚できる社会になったら、
この国もきっと変わっていくと思うのです。
僕が願うことは、誰もが自分の愛する人と手を繋ぎたい時に
手を繋ぐことができるそんな世の中になることです。

Kと一緒になって10年めに入りました。

Kと出会ったのは、Kがまだ27歳の時、僕は43歳だった。

大分と東京という長距離で離れて暮らす僕たちは、最初に会った時にこんなふうに一緒に人生を歩むようになるなんて正直思いもしなかったのだ。

Kはまだ子どものようなあどけなさが残る青年で、福岡や大分、東京でたびたび会い、長崎、熊本、鹿児島、宮崎、京都、大阪と、日本の様々な場所を旅するように月に1度か2度会っていた。

旅の終わりに駅や空港で二人が離れ離れになるときに、Kはじーっと瞳の奥で悲しそうに僕を見ていた。楽しい時間が過ぎるのはとても早く、僕も別れるのが耐えられないくらい辛かったのを覚えている。

付き合い始めて3年が過ぎてからKは思い切って東京に引っ越してきて、その後は駅や空港で悲しい別れをしなくても良くなったのだった。

その後、二人で大きな裁判にも参加して、どういうわけか今は熱海に住むようになり、大型犬の海を飼い始めて、来年の頭には今度は宮古島に移住することになった。

この9年間、僕の人生も大きく変わっていったけど、僕以上にKの人生は急展開と大きな方向転換をしていったことと思う。

大分での大病院での安定した仕事をやめて、僕のもとに来たことは人生の大きな賭けだったに違いない。

Kは昨日の裁判の最後に弁護士からこんな質問をされた。

「あなたにとって、ただしさんはどんな人ですか?」

「いつも僕を守ってくれる人です。安心を与えてくれる人です。僕もただしさんを守りたいと思います」

僕も弁護士に「あなたにとって、Kさんはどんな人ですか?」と聞かれた。

「僕の生命のように大切な人です」と答えた。

9周年、おめでとう。そして、ありがとう。

新しい1年も、海と一緒に3人でたくさん笑おうね。