青島食堂

水餃子

麻婆茄子

腸詰め

国際通りをほんの少し入ったところに、新しい屋台村が出来ているのだけど、その屋台村のすぐ前に、『青島食堂』がある。
予約は出来ない店で、お店は外から中を覗けるのだけど、結構いつもお客さんで埋まっている。テレビに出たこともあり、『キタナシュラン』でも紹介されたらしく、オープンから夜遅くまで、ひっきりなしにお客さんが訪れている。
今回、国際通りに宿を取ったため、通りがかって入れそうだったら『青島食堂』に突撃しようと決めていたのだけど、運良くたった1つだけテーブルが空いていた。
お店は狭く、カウンターに5人くらいすわれるだろうか?二人がけのテーブル席が3つと、4人がけくらいのテーブル席が1つある。
大将は、ほとんど愛想もなく、目の前の料理をコツコツと作り続けている。誰にオーダーしたらいいのかもわからずにいると、お店の常連の人が、お水を運んでくれてわざわざオーダーを取って大将に伝えてくれた。
はじめて行く人は、この店のルールがわからないから、きっと戸惑ってしまうだろうけど、どうやら早い時間は基本的には大将独りですべてやっていて、遅めの時間になると助っ人のおばちゃんが入るようだ。
有名な水餃子を頼み、他にも麻婆茄子、腸詰、湯葉巻き(肉巻き)を頼んでみた。
僕たちの運が良かったのか、すぐにメニューは通されて、ほどなく水餃子が出て来た。水餃子は、手作りの皮が熱々で、肉汁をたっぷり含んでいた。
麻婆茄子は、きちんと辛味が効いた四川料理だったし、腸詰も台湾で食べたような複雑な美味しさだった。
十分満足して会計をする時にふとカウンターを見ると、まだ何にも料理が運ばれていないお客さんが不機嫌そうに大将の手際を睨むように見つめているのが見えた。
こんな時、「この店のサービスなんて信じられない!」と怒りのあまりSNSなどに書き込む人もいるのだろうなあと思うけど、大将に悪気があるわけではなく、この店で一人で作って一人でサービスもやっているのだから、しょうがないと思うのだ。誰がなんと言おうと、このお店は独特のこの大将のお城なのだ。
僕たちは、「今度は麺類まで行きたいね」と行って、大満足でお店をあとにした。
⭐︎青島食堂
098-868-6090
沖縄県那覇市牧志3-9-9
https://tabelog.com/okinawa/A4701/A470101/47001609/

メキシコ

沖縄本島に来たからには、ちょっと那覇からは離れているのだけど、どうしても宜野湾市にある『メキシコ』に行きたいと思っていた。
『メキシコ』も、前回の沖縄旅行の時に食べに行ったお店なのだけど、東京に帰ってからも時々思い出していたほど、ここのタコスに惚れてしまったのだった。
沖縄から帰る最後の日に、朝の10時半から営業と書いてあったので、朝ごはんを食べずにレンタカーで『メキシコ』を目指した。
メニューはタコスのみ。お皿に4つで600円。
オリオンビールと、Kにはアルコールフリービールを開けた。
運ばれて来たタコスは、ほんのりと柔らかい皮の上にシンプルでちょっとスパイシーな挽肉が乗っていて、ほんの少しラー油のような辛味のあるオイル、レタスの千切りにスライスしたトマトが乗っただけのタコスに、一緒に運ばれてくるトマトソースをかける。
出て来たタコスを頬張ると、胸の奥がジーンとした。
「おいしい…って、こういうことなんだよな。」
特別な味付けなんてなんにもなくても、ここのタコスは、この沖縄の米軍基地の隣にあるここの風土の中で確立していったのだろう。
沖縄本島に行くことがあったら、ぜひ『メキシコ』に行ってみてほしい。「美味しい」って、こういうことなんだ。って、きっとわかってもらえるに違いない。
⭐︎メキシコ
098-897-1663
沖縄県宜野湾市伊佐3-1-3 1F
https://tabelog.com/okinawa/A4703/A470404/47000173/

うりずん

ゴーヤの肉詰め

グルクンの唐揚げ

イカスミ焼きそば

急に決めた那覇だったので、いくつか行きたいお店に電話をかけたのだけど、ゴールデンウイークのためかどこもいっぱいで、沖縄料理の老舗『うりずん』へ。
『うりずん』のことは、以前にもここに取り上げた、泡盛と沖縄料理の地位を、日本の中で復活させたようなお店。ここのお店が、那覇の沖縄料理店を牽引しているといっても過言ではないだろう。
一階の合席に座り、泡盛を頼んで島らっきょの天ぷらと豆腐ようをつまむ。なんとも言えない沖縄を感じる瞬間だ。
スーチキは、塩豚を茹でたもの。とても奥深い味がする。
スクガラスの豆腐のせは、塩辛いけどつまみに最高。
島ダコの刺身もうまいし、グルクンの唐揚げは、頭からバリバリ食べられる。
ゴーヤの肉詰めは天ぷらになっていて苦味がとても美味しい。
イカスミやきそばを頼んだら、周りの人が羨ましそうに見ていた。
また那覇に来たら、必ず寄りたいなと思わせる素晴らしい老舗。
⭐︎うりずん
098-885-2178
沖縄県那覇市安里388-5
https://tabelog.com/okinawa/A4701/A470101/47000019/

CORI OLIS

那覇に行くと、ゲイバーはまず、バナナカフェを訪れる。
他のお店も何軒か行ったことがあるのだけど、たまたま僕が行った時間が人がいなかったのか、再訪したいと思うようなお店はなかったのだ。
今回、他のお店も開拓したいと思い、バナナでどこか面白いお店ないかな?と聞くと、『CORI OLIS (コリオリ)』という店を紹介してもらった。
マスターのエディさんは35歳くらいだろうか。一見ハーフに見えるけど、イタリア系アメリカ人とのクオーターで、おじいさんが沖縄の人だという。濃い系の顔が好きな人にはきっとモテるに違いない。バタ臭い顔してバリバリ大阪弁なのは、出身が大阪とのこと。大阪人らしいトークが全開で、本人曰く巨根らしい。
お店で飲んでいると、「ここは大阪だったっけ?」と思うほど、エロトークが面白くて大笑いしてしまう。お客さんは20代から30代40代と少なくなって行く感じで、若者がメインのお店だ。
結局帰りの前日まで3連ちゃんでお店に飲みに行ったのだけど、内装は洒落ているのに、なんだか懐かしい昭和風なゲイバーのトークがとても居心地が良かった。
★CORI OLIShttps://twitter.com/coriolis_oki

雑貨屋そ

沖縄の那覇市からそう遠くない宜野湾市に、大学の同級生Y が移住してはじめた雑貨屋さんがある。その名も『雑貨屋そ』。沖縄最後の日曜日、『そ』を訪れた。
お店は外国人用の平屋を改築して作られたスタイル。店内には、素敵なカゴやほうきなんかがのんびりと並び、オーナーのこだわりを感じさせる。横浜出身のY は、恋人と一緒に沖縄移住を決めたのだった。
「そういえば、国際通りのそばに、Sがアクセサリー屋さん構えてるよ。Sの奥さんのDなんだけど、ディズニーによってたった数人日本人として許可されたイラストレーターとして活躍してるんだよ」
「へー、あのふたりも沖縄に移住してたんだ…知らなかった」
それからYは、僕の仕事のことを聞いてくる。「やっぱり忙しいんでしょう?」僕は、テレビで言われているほど忙しくはないし、辛いこともないよと答える。
大学を出て25年くらい経ったのかと思うと、改めて自分の来し方を振り返って思う。
「自分の人生の選択は、もしかしたら間違っていたのかもしれない…」
沖縄で、のびのびと地に足をつけて暮らしている友人たちの話を聞きながら、なんだかそんな不思議な気持ちになる。
そうして束の間、沖縄で暮らすことを夢見てみるのだ。
⭐︎雑貨屋そhttp://sso-design.jp/zakka.html

渡嘉敷島のおじさん。

阿波連ビーチ

渡嘉敷島に着くと、阿波連ビーチまで行ってくれるバスが待っていた。ビーチまでは山道を上り、眼下に真っ青なトカシクビーチを眺めながら20分くらいかかって400円。
ビーチに着くと、海に入るぎりぎりの道端のところに、一休という食事も出来て海の道具もレンタルできるようなお店があったので、オリオンビールを買い込んだ(座間味島の方は、アルコール禁止が徹底していたので、町で簡単にアルコールを買うことは出来なかった)。すると、一休の超沖縄顔のおじさんがつぶらな目を輝かせながら言うのだ。
「何かレンタルしてくれたら、帰りは港まで送って行ってあげるよ」
その言葉につられて脚ひれを借りようとするがサイズが合わず一旦諦めた。天気は出るときはあいにくの小雨だったのだけど、渡嘉敷島に着く頃は曇り空で、薄日もさすようになってきていた。
渡嘉敷島も座間味島と同じようにふたつの有名なビーチがあって、阿波連ビーチはこじんまりとしていて、魚を観たりシュノーケリングやマリンスポーツ中心のビーチ。トカシクビーチは、60%の確率くらいでウミガメに会えるようだ。阿波連ビーチでは、遠浅ではないもののいろいろな種類の魚たちがいた。
お昼ご飯を居酒屋さんのようなところで食べて、帰りがけにまた一休に寄ってみた。そして、ライフジャケットを借りることに。ライフジャケット2つで1000円ということは、帰りのバス代800円とほぼ同じ額で借りることが出来るのだ。
4時のフェリーだったため3時に一休へ行くと、沖縄顔のおじさんがつぶらな瞳で店の外を指差して「ここで待っててください」という。そこには中国語を話す4人の女子大学生が同じように待っていた。
おじさんがやってきて女の子たちと一緒にクルマに乗り込むと、急に音楽は『夏川りみの涙そうそう』に。おじさんは、僕たちの沖縄の思い出をなんとか盛り上げようとしているみたいなのだ。
おじさんは英語は全くしゃべれない。だから女の子たちに身振り手振りと時々紙に何か書いたりしながらで言葉を伝えてる。峠の途中、おじさんが不意にクルマを止めた。中国人の女の子たちは不審に思って僕に聞いた。
女の子「あなたたちもフェリーに乗るんですよね?大丈夫かな?」
僕「はい。時間はあるから大丈夫ですよ」
おじさんが運転席から降りて来て、おもむろに女の子たちが座っているバンの横の両側の扉を全開にした。そして身振りで上のハンドルを掴むようにと伝えた。
僕「どうやらオープンのまま走るそうだから、しっかりと上の持ち手を握っておいてね」
おじさんは大音量で『長渕剛のとんぼ』をかけながら、山道をものすごいスピードで走りはじめた。真っ青な海が遠く下の方に見える山道を、気持ちよく走ってゆく・・・(でも、なんで長渕剛なのだろう?)。
僕たちは大笑いしながら、女の子たちはきゃあきゃあ言ってはしゃいでいた。するとおじさんがふと展望台で止まった。どうやら写真タイムを取ってくれたらしい。
おじさんに言われるままに、もう二度と会うことのないであろう中国人の女の子たちと一緒に写真を撮ってもらった。
港に着くと、おじさんは名残惜しそうに笑顔で見送ってくれた。
おじさんは、自分の愛する渡嘉敷島を、僕たちに少しでも好きになってもらいたいというように、つぶらな瞳を輝かせていた。

座間味島へ。

古座間味ビーチ

朝から座間味島へ。
島が近づくとぐんぐん海の透明度が増してきた。慶良間諸島は『慶良間ブルー』と言われるほど、美しい海が広がっている。
座間味島には大きくは2つの有名なビーチがある。魚が見たかったら『古座間味ビーチ』。ウミガメに出会いたかったら満潮時を狙って『阿真ビーチ』。
満潮を調べたら午後遅めだったので、先ずは市営バスに乗って『古座間味ビーチ』へ。
フェリーには人が沢山乗っていたのだけど、古座間味ビーチは思ったほど人気がなく、青い海が眼下に一望できる。
右側の岩場に近い方が魚が多いというので、すぐに僕たちはシュノーケリングをはじめる。気温27度・水温26度…足をつけると海水はまだ冷たく感じるけど、思い切って入ってみると、体も慣れて寒さを感じなくなった。
小さい瑠璃色の魚から、50センチを越える魚まで、思った以上に違った種類の魚が沢山いる。それもこれも、ビーチの岩場全体にサンゴが生息しているからだろう。
2時前になり、バスに乗って15分くらいで『阿真ビーチ』へ。阿真ビーチは、テントを張ってキャンプをしている人たちで賑わっている。
古座間味ビーチほど人出は多くなく、こじんまりとしている感じ。「ウミガメに会いたいなあ…」と思いながらも、内心「ウミガメなんか、人が泳ぐビーチではなかなか会えないんじゃないだろうか…」と思っていた。
ライフセイバーがウミガメに会えそうな場所を話していたのを聞いていたので、そちらに行って潜ってみる。サンゴが少なくて魚はあまりいない。しばらく潜って一旦諦めてビーチへ。
再度ライフセイバーのお姉さんに聞いてみると、ウミガメに会えそうなポイントを3つ教えてもらい、今度は右側へ行ってみた。Kとふたりで目を凝らすも、ウミガメらしきものは泳いでいない。僕が声を出して、「ウミガメさーん出てきて!」と言うと、Kは笑った。
そしてまた潜ったらKが僕を呼んだ。「ただしくん!ここ!ここ!」。振り返ってKが指差す方を見ると、80センチくらいだろうか、ウミガメがすぐそばにひょっこりといたのだ。
僕はてっきり、ウミガメはスイスイと優雅に泳いでくるものだと思っていたのだけど、実際にはのんびりと下の藻を食べているようであまり早く動く様子はない。
しばらくウミガメを観察しつつ、周りの人たちにも教えてあげようと声をかけると、どんどん人が寄ってきた。
美しい座間味島の自然が、この先も守られていきますように。
Kは、会えるかどうかわからない…と思ってたウミガメにも会えて、「Kちゃんのおかげでしょ?」と、鼻高々だった。

みるく

Kが医療関係のためこれから先も連休がそれほど取れないこともあり、GWの直前になって沖縄行きを決めた。那覇空港に降り立つと、生暖かく湿度の高い風が迎えてくれた。
夜はアグー豚のしゃぶしゃぶを食べようと『ミルク』へ。
鰹のお出汁には、ほんの少し甘味がついている。器に溶き卵を溶いて胡椒を振り、お出汁にくぐらせたアグー豚を食べると、なんとも言えない旨味が口いっぱいに広がった。
なんだろう…この、卵の旨味と、豚肉の甘味と、胡椒のスパイスは…
「あ、これ、カルボナーラに似てる!」
しゃぶしゃぶなのに、なんだか和風カルボナーラを食べているよう。お野菜もたっぷりついて来て4000円のコースは、コスパにも優れている。
島らっきょうと海ぶどうをつまみながら泡盛を飲む。
なんという至福の時だろうか。
「沖縄に今年も来れたね!」と言って、Kとふたりで乾杯をした。
⭐︎みるく
098-866-1566
沖縄県那覇市松山1-33-2 はましんビル 1F
https://tabelog.com/okinawa/A4701/A470101/47013637/

チキン南蛮

たっぷりのタルタルソース

Kは、とり天や唐揚げが有名な大分出身だからなのか、鶏肉がとても好きなようだ。
牛肉・豚肉・鶏肉・魚・たまに羊肉…という感じで作っていく家の食事なのだけど、鶏肉の日には目の色が変わり、食いつきが明らかに違うのだ。
普通の家庭は、二人だったら鶏のもも肉を一枚で済むような気もするけど、うちは必ず二枚買って調理するようにしている。(たとえ3枚でも、Kはぺろっと食べてしまうと思う)
〈チキン南蛮の材料(大食い2人分)〉
◯鶏肉用
鶏もも肉2枚か胸肉2〜3枚
塩胡椒
小麦粉
卵2つ(溶き卵用)
揚げ物油適量
◯南蛮酢
濃口醤油100ml
薄口醤油100ml
酢200ml
砂糖200g
味醂50ml
鷹の爪2本(種を取って細かく切る)
◯タルタルソース
マヨネーズ100g
砂糖10g
ケチャップ大さじ1/2
ゆで卵1
玉ねぎ1/4(みじん切りして塩もみ水洗い)
ピクルス小を2本(みじん切り)
〈チキン南蛮の作り方〉
1.鶏肉は余計な脂肪を取り、食べやすい大きさに切って、塩胡椒しておく(20分以上)。卵をバットに溶いて溶き卵にしておく。
2.鍋に南蛮酢の材料を入れて火にかけて、かき混ぜながら砂糖を溶かす。南蛮甘酢の完成)
3.ゆで卵は、アボカドのようにぐるっと一周包丁を入れて黄身を取り出し、白身だけを食感が残る程度に刻む。玉ねぎはみじん切りして塩もみして水洗い、ピクルスはみじん切りにする。
4.黄身を潰しながらタルタルソースの材料と、3を一緒に混ぜ合わせておく。(タルタルソースの完成)
5.鍋に入れた油を火にかけて170度にする。
6.1の鶏肉すべてに小麦粉をはたき、先ずは半分の鶏肉を1の溶き卵に漬けて、揚げる。温度計を見ながら170度近辺を守りながら6分揚げる。最後に1分強火で揚げる。
7.揚げたての6をボウルに入れて、すかさず2の南蛮酢を適量かけて30秒くらい漬けてお皿に盛っておく。残りの半分の鶏肉も6,7を繰り返してお皿に盛る。(南蛮酢は少し多めにあるので、かけることで量を調整出来る)
8.揚げた鶏肉にタルタルソースをかけて完成!(ロメインレタスなどの生野菜に塩とオリーブオイルにレモンを絞り添える)

お酒を飲む人生。

一週間という禁酒が終わって「やっとお酒が飲める!」という金曜日、満を持してKと焼肉を食べに行き、鼻息荒くチューハイを頼んだ。
数杯飲んだ後、二丁目のぺんぺん草に行きまたチューハイを何杯か。
それからBridgeに流れてふたりでワインを一本。
そのまま家に帰って眠りにつき、土曜日に起きたら今まで経験したことのないくらい酷い二日酔いだった。
しばらくお酒を抜いた後に急にアルコールを飲むと、お酒に対する耐性が弱くなるのだろうか?
一週間禁酒をすることが出来て思ったことは、
「ああ、僕はアルコール中毒ではなかったんだ…」ということと、
「お酒がなくても、結構生きていけるのではいか…」という今までにない発見だった。
とてもいい機会なのでお酒のことを考えてみた。そもそも僕がお酒を飲んで来たのは、小さな頃から父が毎晩日本酒で晩酌をするのを見ていたせいだろう。
北九州生まれ、下関市育ちの父の影響で、『大人の男=お酒』という考えが無意識のうちに刷り込まれたのだと思う。
学生の頃から飲みはじめて、何度も二日酔いになりながらもことあるごとにお酒を飲んで来た。ゲイの出会いは新宿二丁目にしかほぼなかったし、『新宿二丁目=お酒』でもあったと思う。また会社人生も、ことあるごとにお酒とともにあった。
「二丁目で落とした酒代があったら、今頃お城が建ってたわ…」
友人たちとよくそんな話を今でもするものだけど、お城とは言わなくても家くらいは買えたかもしれないと思う。
でももし、もう一度若い頃に戻れて、お酒を飲む人生とお酒を飲まない人生を選べるとしたら、どちらを選ぶだろうか・・・
僕は迷わず、お酒を飲む人生を選ぶと思う。
お酒を飲みながら経験したことは、他では決して経験出来ないものだったと思うのだ。
みんなで楽しい時も、友達と真剣な話をする時も、辛い失恋の時も、お酒はいつも僕のそばで寄り添っていてくれた。
そうそう、忘れてはならないのは、美味しい食事には、美味しいお酒が必要だということ。お酒は、食事の半分を占めていると言っても過言ではないだろう。
僕の健康を心配するKによって、月曜日を禁酒デーに決められたが、これからも健康である限り、お酒を飲みながら楽しく生きていきたい。