メッセージ

なんにも見ずにこの映画『メッセージ』を観に行ったら、驚愕して、そのまま画面から目が離せなくて、胸の奥にある何かをぎゅっと掴まれたままエンディングまで動くことができなかった。
巷では「ばかうけ」に似ていると話題になっている『メッセージ』は、漠然と抱いていたSF映画のイメージとは全く違っていて、どちらかというとSFという技法を使ったせつなく美しいヒューマン映画だった。
この映画は、予告編もあらすじも何も観ずに行った方がいいだろう。エイミー・アダムスがすぐに映画の中に連れて行ってくれるから。
もしかしたら今まで僕が勝手に勘違いしていたのかもしれない。子どもの時に読んでいたレイ・ブラッドベリも、星新一も、SFというジャンルであっても、描いていることは人間だったのかもしれない。
今の時代を巧妙に捉えた秀作であり、映画の中に制作者がとてつもない秘密を隠しているので、その秘密を見つけに行ってもらいたい。
原作もきっと素晴らしいんだろうな。
⭐︎メッセージhttp://www.message-movie.jp/

マンチェスター・バイ・ザ・シー

今年はまだ5ヶ月しか経っていないのだけど、心に残る映画がすでにいくつもあったように思う。そんな中でも僕が今年一番むせび泣いて、愛おしく感じた映画は、この『マンチェスター・バイ・ザ・シー』だ。アカデミー賞の主演男優賞と脚本賞を獲得したこの映画は、今回のアカデミー賞の中でも隠れたダークホースだったのかもしれない。
リー(ケイシー・アフレック)は、ボストンでアパートメントの排水管を直したり鍵を直したり、いわゆる便利屋をやっている。リーには地元マンチェスター(ボストンの北。ニューハンプシャー州)に兄がいて、とても仲の良い兄弟なのだけど、ある日兄の病状が悪化してマンチェスターに急遽帰ることになる。マンチェスターでリーを待ち受けていたものは、リーが捨てて逃れて来たリーの人生だった。
この映画は、絶望の淵とそこからなんとかもう一度生きていこうとする人間の姿を描いている。死ぬことさえ出来ずに息を殺して生きている人間の、とてつもない悲しさと痛みを描きながら、愛する人たちによって癒され変わってゆく人間が描かれている。
僕はこんなリアリティのある映画が好きだ。
この映画のリアリティは、優れた脚本によるものであり、有名なお兄さんのベンアフレックにも負けないケイシー・アフレックの演技と、大好きなミシェル・ウイリアムスをはじめ俳優たちの素晴らしい演技によるものだと思う。
美しい長編小説を読み終えたような、なんとも言えない読後感をぜひ劇場で味わってほしい。
⭐︎マンチェスター・バイ・ザ・シーhttp://manchesterbythesea.jp/

泌尿器科へ。

健康診断では健康だということがわかったものの、僕には1つ気になっていることがあった。
それは、『尿が、近くなってきたこと』。
昔から少し神経質なところもあり、映画を観る前や会議の前なんかには小便に行く方だった。それにしても、旅行に行った時なんかに16歳下のKと比べると、僕の尿の頻度があまりにも多い気がするのだ。そこで、これはいい機会だととらえ、今まではなんだか怖くて行くことが出来なかった泌尿器科を探して予約を入れてみた。
新宿にある『新都心クリニック 東京前立腺センターhttps://www.tutrp.com/sp/』は、新宿駅から遠くなくすぐに見つかった。(それにしても、「前立腺センター」って…笑)
僕の予約時間がかなり押してしまったのは、患者さんの中に結石の人がいて、緊急の手術を余儀なくされたから(恐ろしく痛いらしい)。僕の番になって医院長に詳しく容態を聞かれた。医院長は細かくパソコンに打ち込んでいく。一通り質問が終わると、前立腺を見てみましょうと言って、ベッドの上でズボンを少し下げるように言われる。
はじめはエコー検査。おへそのかなり下のあたりをエコーで調べるのだ。「前立腺は特に問題なさそうですね・・・」
その後は、触診と言われ、ベッドの上でズボンを足首まで下ろして膝を抱えるように言われる。なんだか赤ちゃんになったようなポーズだが、そこへいきなり先生が「はい、お尻に指を入れていきますので、変な感じがしますが我慢してくださいね・・・」
先生の指が入って来て、触診がはじまった・・・と思ったけど、すぐに終わった。
「前立腺は腫れてもいないし問題ありませんね」
「尿が我慢出来るように、2週間分のお薬を出しておきましょう。それで様子を見てくださいね」
『泌尿器科』という名前や、よくニュースで目にする『前立腺肥大』という言葉をあまりにも恐れてずっと行けずにいたのだけど、結局思いきって行ったことでみつかったものは『安心』だった。(たとえ、結果的に何か病気の兆候が見つかったとしても、それはそれで見つかってからどうしようか・・・と次の手が打てるのだと思う)
今回、勇気を出して『泌尿器科』のドアを開けてみて、本当によかったと思っている。

懐かしい字。

昔から仲のよい友人Tの家にいく用事があり、お酒を飲みながらつまみを食べていたら、急にTが緑色の紙ナプキンを出した。
それは見覚えのある文字だった。
3年前に亡くなった、僕の昔の恋人Nの書いた祇園の地図。
地図はおそらく祇園のえんという飲み屋を教えたのではないかと思うのだけど、通りの名前や一力など、祇園の目印になるところは間違えないように書かれていた。
T「昨日、この紙ナプキンが急に出て来て、今日あんたが来るから、見せようと思ってたの…」
Nは、超世話焼きで、周りの友人たちがどこかに旅行に行くと知ると、美味しいお店や素敵な場所を紹介しまくったのだ。
紙に地図を書くときの真剣な表情や、口を尖らせる仕草、額に汗をかきながら必死に書く姿を思い出させた。
Nは僕がTの家にはじめて行くのを知って、Tに紙ナプキンを思い出させ、もしかしたら僕たちと一緒にそばに座っていたのかもしれない。
帰り道、紙ナプキンを財布に挟んだまま、Nのやさしさを懐かしく思い出した。

魔法のフライパン

小さめ24センチのフライパン

北京鍋

以前にもここに書いた『魔法のフライパン』。その当時、「2年待ちです」くらいに言われていたのだけど、小さなサイズと北京鍋を頼んでおいたものが、少し納期が早まったようで昨日届いた。
この『魔法のフライパン』の何が良いかと言うと、
1,鉄で出来ていて、熱伝導率が良いこと。
2,1.5ミリという薄さで驚くほど軽いこと。
3,焦げ付きにくいこと。
熱伝導率が良いのは、鉄の中に炭が混じっているからだそう。これが遠赤外線のような効果も出してくれるみたい。
以前使っていた中華鍋はとても重く、僕でさえチャーハンなどで振り回すのは困難だったので軽い北京鍋を買いたいと思っていた。
テフロン加工やフッ素樹脂加工のように焦げないわけではなく、使い方を間違えたら焦げ付くのだけど、完全に熱してから少し冷まして使うようにするとほとんど焦げ付くことはない。(焦げ付いたとしても鉄なので簡単に焦げ付きは取れる)
ステーキなどのお肉を焼いても、とても美味しく仕上がるのは、やはり鉄だからだろう。目玉焼きだってカリッと仕上がる。
今は1年3ヶ月待ちと書いてあるけど、アマゾンの転売などで買わずに待ってよかったな。
⭐️魔法のフライパンhttp://www.nisikimi.co.jp/

心のありよう。

本当は、いつも心が満ち足りて幸福な状態であればいいのだけど、僕たちの心は、立ち上がってくる目の前の出来事や目にしたり耳にする情報に左右されて、刻一刻と上がったり下がったり、膨らんだり縮こまったりを繰り返している。
そんな毎日の中で、自分の今の心の状態を知るいちばんいい方法は、自分が目の前のものや周りの人をどう見ているか。どう感じているかではないだろうか。
何かうまくいかないことで、誰かを責めていたり、目の前にいる人のマナーが悪いからとその人を非難する気持ちでいたり、タレントの不倫が発覚して、そのタレントを批判したり・・・
誰かを批判したり、非難したり、否定したりする気持ちでいるときは、100%間違いなく自分の心がネガティブな状態にあると思って間違いないだろう。
もしも自分が満ち足りて幸福な状態ならば、他人のことを批判したり責めたりしようとは思わないだろう。人がその人の人生において何を選択しようとも、その人の自由なのだから。
今日の自分はどんな状態だろうと問いかける。
もしもあれこれ周りが気になるときは、口を開かずに、そのさざ波が通り過ぎるまでただじっとしていよう。

麻布十番 郡司

鯖の胡麻和え

お造り

太刀魚

仕事のつきあいで、麻布十番にある『郡司』へ。
エレベーターを開けるとすぐに店内で、まだ新しい内装の綺麗なカウンターが見える。
この和食店は、麻布十番では有名な『とらくまもぐら』の板長さんが新しく今年からはじめたお店。九州の食材を中心に、メインのお料理は魚だがお肉もそろっている。
ワインの品揃えは、コート・デュ・ローヌが中心に揃っていて、和食に合うように計算されているのだろう。
野菜もふんだんに使ったメニューは身体にやさしく、それでいて肉じゃがなどはしっかりと濃い味つけがされている。クジラも入ったお刺身の盛り合わせで歓声があがる。美味しい食材をほんの少しずつたくさんの品々をいただくことのできるお店。
ゴージャスな和食屋さんは多いけど、こんな手頃な和食屋さんが、なかなか東京にはなかったので、今後利用したいお店。
★麻布十番 郡司
http://www.bacca.net/azabugunji/

ピープルデザインストリート

我らが神宮前二丁目では、半年に一回くらいの割合で神宮前2丁目商店街におて『ピープルデザインストリート』なるものをやっている。
商店街の通りを通行止めにして、出店が出て様々な催しも行われるのだけど、町をゆくあらゆる世代の人たちが参加出来るようなお祭りを目指している感じなのだ。
神宮前二丁目にはポット出版というのがあって、そこが発行する神宮前二丁目新聞というものをちょっと手伝っていることもあり、日曜日のピープルデザインストリートに参加をした。今回は『ボッチャ』というパラリンピックの正式種目を、通りに青いビニールを敷いて行うという取り組み。
『ボッチャ』は、身体の大きさや体力に関係なく誰でも参加出来る競技で、赤い玉チームと青い玉チームに別れて、どちらが白い玉に少しでも近づけることができるかと競う競技。玉は、お手玉を少し硬くしたようなもので、老人でも子どもでも投げたり転がしたりすることが出来るのだ。
11時半にはじまると、ボッチャをやりたいと言う人が次々と押し寄せ、家族連れ、友達同士、カップルなど、様々な人たちが思い思いに玉を転がして楽しんだ。
ボッチャを見ていて本当にいいなあと思ったことは、きっと普段は体育や運動会などであまり活躍出来ないような子どもが、ボッチャでは思わず勝ち抜いたりして活躍出来ることだ。スポーツにおいて勝った経験などないような子どもが、目を輝かせている光景を見て、お父さんやお母さんも同じようにうれしそうにしている姿がとても印象的だった。
あるお父さんなんかは、「この玉はどこに行けば売っていますか?」と、僕がボッチャの関係者と思ったのか、我が子にすぐにでも買ってあげたいと思ったようで熱心に聞いてこられた。
ボッチャをやっている隣には、テーブルに椅子がいくつも並べられていて、僕の高校時代に売店で働いていたおばあさん(当時はおばちゃんだった)がいて、久しぶりに挨拶することが出来た。売店のおばちゃんは、僕が不良グループにいたにも関わらず、当時の僕の彼女ともども世話を焼いてくれたのだった。
30年以上ぶりに会うおばちゃんは、覚えていてくれたことをとても喜んでいるようで、「○○とは今も元気にしてるの?」と、当時の僕の彼女の名前を出すのだけど、僕は卒業してから電話でしか話していないしか伝えられなかった。
『ピープルデザインストリート』が素晴らしいなあと思うところは、こんな風に小さな子どもから家族連れ、通りがかりの外国人や若者たち、老人まで、誰であっても参加出来ること。高齢化が進み、町によっては過疎化が進むこれからの時代に、自然と様々な世代や人種が交わってゆく機会があるということは、とてもたいせつなことだと思うのだ。

セカンドライフ。

55歳の友人Fは、一昨年から昨年の週末にほとんど毎週のように日本語教師になるための学校に通い続けて、この春に計450時間の授業を終えて卒業した。
そこでFが資格を取得したことを祝うために、この週末に友人たちで集まり食事会をした。
Fは今日が資格を取ってはじめてのボランティアだったそうだ。でもボランティア団体とはいえ、中には昔からいる人と新参者との間に確かなヒエラルキーがあって、終わった後に『反省会』なるものもあって息苦しく、とてもこれからそこの団体で続けていけそうにないと思ったとのこと。
ボランティアとはいえどんな団体でも、徒党を組むと必ずそこには面倒な人間関係が存在するのかもしれない。
それにしても今年56歳になるFが、週末に頑張って学校に通い続けて日本語教師の資格を取ったことは誇らしいことだと思う。(僕だったらきっと、2回くらいで面倒くさくなって行かなくなってしまうに違いない)
それもこれも、Fが真剣に退職後のセカンドライフを考えているからだろう。
退職した後に、自分がいったい何をして残りの人生を生きてゆくのか。60歳の後の人生は、僕たちが想像しているよりも遥かに長い時間なのかもしれない。
僕にとってもそう遠くない60歳以降の人生。僕はどうやって生きてゆくのかと、そろそろ真剣に考えはじめる時期に差し掛かってきたようだ。

フェリシテ・パルマンティエ

「一番好きなバラは何ですか?」
と聞かれたら、とても迷いながらいくつかの育てたことのあるバラの名前をあげる。
その中のひとつが、『フェリシテ・パルマンティエ』。
オールドローズの中でもアルバ系に属するフェリシテ・パルマンティエは、花の時期は他のバラに比べて少し遅いけれど、マットな美しい葉と、棘の多い奔放な枝の中に、貴族のドレスのように繊細で美しい花を咲かせる。
花はピンクから白に向かう美しいグラデーションで、このバラの魅力は何よりも爽やかな芳香にある。
何百年も前から姿形を変えずに愛されて来たオールドローズの魅力を今の時代にも伝える、まさにオールドローズの中のオールドローズのひとつだ。
メイデンズ・ブラッシュというバラともとても良く似ているけど、こんなオールドローズのバラがたわわに咲くお庭があったらいいだろうなあと、毎朝香りを嗅ぎながら夢見ている。