NEW BALANCEという定番 3

左『1300』右『996navy』

以前にもここに、NEW BALANCE のことを2回ほど書いたことがあるのだけど、僕は高校生の頃から、ニューバランスを履いている。
矯正靴の製造をしていたというNEW BALANCEの履き心地は驚くほどで、『1300』という品番を履いたラルフローレンが「雲の上を歩いているようだ」と評したことで一躍話題にもなったことがある。また、僕が高校の頃は、その足をスッポリと包み込むような触感から、『百恵ちゃんの唇』とも言われていた。
僕の中で定番となているものは、このブルーグレイを基調にしたクラシックな『1300』。そしてライトグレーがかったシルバーの『996』で、どんな服にも合わせやすく、形が少しほっそりとしていて美しい。
Kとつきあい出してから、Kと一緒に違う型番のものを買うことがある種の習慣になってしまった。というのも、履きやすいためほとんど毎日のようにNEW BALANCEのスニーカーを履いているので、3足くらいで回しながら履いていたとしても、1年くらいするとくたびれてくるのだ。
映画を観た帰り道、久しぶりにNEW BALANCEの店舗を覗いてみようと竹下通りを出たところにある原宿店へ。すると目の前に、数年に1回くらいしか復刻販売されない『1300』があったのだ。
僕「おおお!これの8ハーフありますか?」
新しいスニーカーを買った時って、なんでこんなにワクワクするんだろう?
Kは『996』のネイビーを買って、ふたりでお店を後にした。

LABOUR AND WAIT

日本製

ロンドンの『LABOUR AND WAIT』に行ったのは、かれこれ10年近く前のことだろうか。『LABOUR AND WAIT』は、2000年にロンドンで立ち上げ評判になった雑貨屋だ。
ブラシやバケツ、ちりとり、はさみなど、機能性を追求した道具たちが並び、暫く時間を忘れて店内をじっくりと観察したのを覚えている。その時にわざわざロンドンから買って帰ったアルミ製の質実剛健なちりとりは、今でも我が家のベランダで活躍している。(ロンドンに行って、わざわざちりとりを買って帰るなんて、今から考えると変人)
先月のはじめ、Kと千駄ヶ谷小学校の周りを散歩している途中に偶然『LABOUR AND WAIT』の文字を見つけた。
最初僕は、日本人がロンドンのお店を知ってか知らずか、全く同じ名前の店を開いたんだなあ・・・と思ったのだけど、中に入ってみると、あのロンドンで見かけた美しい道具たちが並んでいたのだった。僕の家にあるちりとりもあったので「あー!うちのちりとり!!!」と声を上げてしまった。
商品は、機能的で美しく、時代が経った後にも残るものばかりオーナーの2人によって厳選されていて、イギリス以外ではこの東京の千駄ヶ谷が初出店なのだそうだ。イギリスのものに限らず、たとえば日本製のちりとりやほうきなんかもセレクトされていて、ちょっと誇らしく思うほどだ。
中には僕の大好きな『BRADY』のバッグもあって、そろそろ買い直したいと思っていたモデルまであったので、久しぶりに手に取り見入ってしまった。店内を見ていたKが、家のほうきの先っぽがが抜けてしまって使い物にならないと訴えるので、美しい日本製のほうき(1800円)を買った。お会計の時に、
「それじゃあ、今日はこれに乗って帰りますね!」
と言ったら、お店の人たちがみんなで大笑いしていた。
★LABOUR AND WAIThttp://bshop-inc.com/news/6354/
http://100life.jp/regular/interior/28769/
http://100life.jp/regular/interior/28955/

向かいに引っ越して来た男。

大きな道を隔てた向かい側に、うちとは違った高級マンションがある。
なぜ高級マンションかというと、外に洗濯物を干せないようになっているのと、住人のほとんどが外国人だから。
僕の住んでいる部屋とちょうど真向かいのマンションの部屋には、僕が入居してからずっとだれも住む気配がなかったのだけど、この3月の終わりにどうやら住人が引っ越して来たようだった。ある日、カーテンが取り付けられて開けられていて、そのうち右端に人影が見えたのだ。
K「ただしくん、向かいのマンションに人がいる。テレビかなにか見てる・・・」
僕「どんな人だろうね・・・見えたら教えてね」
向かいのマンションまでは直線距離にして150メートルくらい離れているため、家でメガネをかけていない時の僕には見えにくかったのだ。
K「あ!ただしくん!向かいの人が見えた!ハゲの男の人!」
そう言われてメガネをかけて見ると、寝室の方に完璧なスキンヘッドの30代くらいの白人の男性が見えたのだった。(以後、この男性をハゲの人と書くが、それは馬鹿にしているわけではなく、彼はスキンヘッドでどちらかというととてもセクシーな白人だ)
僕「ほんとだ。他に家族はいないのかね?」
そのマンションは100平米以上あるので、家族がいるのではないかと思っていたのだけど、1週間くらいの間、時々マンションを見ている限りでは、ハゲの男の人以外に人影は見当たらなかった。
K「ハゲの人、やっぱりひとりみたいだね。彼女は来ないのかね?」
僕「ハゲの人はきっとゲイだよ。
アメリカのウイスコンシンかどこか田舎町から単身赴任でIT企業に働きに来ていて、慣れないアジアの町でひとりぼっちで暮らす羽目になってとまどってるのかもしれないね。友達もまだ出来ないのかもね。そのうちこの家に招待しようか?」
K「出た・・・。ただしくんの妄想・・・男なら誰でもゲイにしちゃうんだから・・・」
僕「だって、その方が面白いじゃん」
そして去る週末の土曜日の夕方、僕が和歌山から帰って来て、家でカサブランカやパンジー、アマリリスの水を取り替えていた時に(いかにもゲイっぽいでしょう?)、ハゲの人がこちらを見ているのが見えた。
その後上半身裸で寝室のベッドの上で寝っ転がって、靴下をはいた脚が上に組まれて本か雑誌を読んでいる感じ。なんというか、週末なのにどこにも行く宛がなく悶々としている感じとでもいうか・・・(あくまで僕の妄想の限りなのだが)
K「ハゲの人、週末なのに、ひとりなのかね?」
僕「あ、着替えて外に出かけていった・・・夕食をひとりでイタリアンでも食べに行ったのかもね・・・」
僕たちはそのまま外食に出かけ、また日曜日の朝を迎えたのだけど、あいにく日曜日は雨が降りしきっていて、午後の映画の時間までのんびりと家で過ごしていた。すると向かいのカーテンが開いたのだ。
K「ただしくん、大変!金髪の女がいた!」
僕「えええ!!!あのハゲの人、ストレートだったの???」
K「だから言ったじゃん。きっとやっと彼女が到着したんだよ」
僕「・・・でも、金髪ってこと自体何かおかしい・・・。元々白人に金髪はあんまりいないし、いても染めている人がほとんどなんだよね。もしかしたらコールガールだったりして。土曜日で悶々として、思わずネットで呼んじゃったんじゃない?」
K「あ・・・、でも、窓辺に2つお花が飾られてる・・・今までお花なんかなかったのに・・・」
僕「彼女が持って来たのかな・・・昨日僕が花の水を換えるのを見ていたから、もしかしたらあの後花を買いに行ったんじゃない?それか、やっぱり引っ越しパーティーをやって、友達が押し掛けて泊まっていっただけなんじゃない?やっぱりあの人はゲイなんだよ・・・」
K「あああ!!!ただしくん!ハゲの人スッポンポンで立ってる!!!」
僕「えええ???」
僕が「逃すものか!」と慌てて見た時はもう遅く、全裸の姿は見れなかったのだけど、その後、上半身裸で歯を磨く姿が見えた。ハゲの人はこちらを見ながら歯を磨いていたのだけど、きちんとシックスパックに割れていたのだ。そして、なにやら他の人の影も向こう側にちらほら・・・。
本当のところ、ハゲの人がゲイなのかストレートなのかはわからない。それでも僕が面白いと感じているのは、マンションがそんなに至近距離ではないため恥ずかしいといった感じはなく、適度な距離で夜などに光の具合で向こうが見えるので、いろいろと妄想していること自体が楽しいのだ。向こうからは僕たちがゲイのカップルであることはほぼ間違いなくわかるだろう。
これからどこか近所の街角で、偶然ハゲの人に会うかもしれない。その時が来るのを、僕はとても楽しみにしている。
ふふふ。

Nに会いに、和歌山へ。2

予報ではあいにく雨と書いてあったのだけど、幸いにも雨は降っておらず、お寺に着くと、なんとも言えない山の匂いがした。
「N、会いに来たよ」
紅白の美しい椿が咲く寺を歩いて墓前に着き、お水をかけ、線香をつけて、お酒を開ける。戒名には、懐かしいNの名前が一文字象徴的に使われている。
途中の駅では、もしかしたらNのお母さんがいるのではないかと、キョロキョロしていた。やさしくて美しいNのお母さんには、和歌山でも会っていたし、東京でもNが入院した時に会ったことがある。
道中思い出していたのは、僕の母が突発性難聴になり入院した時のこと。Nは母のために唐揚げや卵焼きが入ったお弁当を自分で作って持って来てくれたのだった。
2年前に突然知らされたNの死が運んできたものは、今までの人生で経験したことのない痛みと悲しみ、そして喪失感だった。
はじめてここへ来た時は、涙でぐしょぐしょになり嗚咽のような状態だったのを思い出す。
今年で3回目となるお墓参りでは、アメリカの精神科医エリザベス・キューブラー・ロスが書いた『永遠の別れ』の中にあったように、
1. 否認・拒絶
2. 怒り
3. 取引
4. 抑鬱
5. 受容
という5つの段階をなぞるようにゆっくりと時間をかけていくことで、自分の中でようやくたいせつな人の死を少しずつ受け入れはじめているのかもしれない。
お墓参りの帰り道、のどかな畑の中を歩いていると、遠くの山々が煙って美しく、山桜が所々淡い色を添えていた。道端のえんどう豆の白い花や水仙が雨に打たれながらもやさしく僕を見守っている。
人は死んだら、どこへ行くのだろう?
いつか僕も死んだら、先に逝ってしまったNにまた会うことが出来るのだろうか?

Nに会いに、和歌山へ。1

子どもの頃、お墓参りに行くのが嫌いだった。
会ったこともないおじいちゃんは、お墓の中にいると言われても、そこにおじいちゃんはいないということを、子ども心に感じていたのだ。
でも祖母はお墓参りを何よりも楽しみにしていて、お墓参りに行く日には、出かける1時間も前に準備を済ませ、玄関で待っていた。
大人になったいま、祖母がなぜそんなにもお墓参りに行こうとしていたのかがわかる気がする。
僕にとってお墓参りは徳を積むことではなく、自分の愛した人たちのそばに行くこと。自分の愛した人たちに思いを馳せること。それは極めて個人的な行為であり、言うなれば自己満足なのだと思う。
昨年のこの外苑前日記を読み返していたら、こんな不思議なことがあった。
ある夜ベッドでKが飛び起きて、「ただしくん!ただしくんの横に、パジャマを着た大きな人が立ってる!」と叫んだのだ。
僕が、「見えないけどどんな人?」と聞くと、「僕たちと同じパジャマ着てた」と言うのだ。
それで僕は、きっと僕が10年間連れ添ったNだろうな…と思ったのだ。それは、不思議と怖いことではなく、出来るならば僕に姿を見せて欲しいとさえ思ったのだった。
昨年は、Kが東京に出て来たこともあり、Nのお墓参りが遅れている時だった。その後5月に入ってやっと行くことが出来たのだった。
昨日、KからLINEが入った。
「Nさんに僕からもよろしく伝えてね」

昔好きだった人。

夕方の便で大阪へ。
10代の終わりから20代にかけて、胸が張り裂けるほど好きになった人がいる。時々飲み屋で見かける5歳年上のHは大阪出身で東京勤務、物静かで落ち着いた人だった。
Hとはその後、一緒にドライブをしたりデートらしいことも繰り返したが、結局Hの大阪転勤でしばらく疎遠になり、僕が働き始めて10年くらいしてから、東京の町中で偶然すれ違ったのだった。
その後、たまにメールで連絡を取り合い、数年に一度は東京か大阪で食事をしたり飲むようになっていった。
今日は久しぶりにHと食事。僕の近況、共通の友人たちの話、Hの恋人の話、Hの海外での仕事の話、話は尽きることない。
Hは極度のクローゼット(自分のセクシュアリティを隠す人)で僕の知る限りずっと最近まで女性と結婚すると言っていた。
それは母親のためであり、会社でやっていくために必要なことなのだと、自分に言い聞かせるように僕に話していた。
僕は、「それでHさんは、本当に幸せになれるの?」と何度も問いかけたこともある。
昔は自分がゲイであるために幸せになることは出来ないと愚痴ばかり言っていたHも、今では自分の半生を振り返って、今まで第一線で営業として活躍して来た仕事や自分自身に対して誇りを持っていた。
Hの今の関心ごとは、これからの老後をどうやって充足感を感じながら生きてゆけるかということ。
Hとの恋愛は結局叶わなかったのだけど、ふたりが出会ってから30年近く時を経てこんなに温かな友人関係になれたことをうれしく思ったのだ。

イタリアの貴婦人。

Kと一緒に12月に植えたパンジーがずっと咲き続け、桜の咲く暖かさを迎え溢れるほどに咲き誇っている。
その後を追うかのように、チューリップの蕾が見え始めたコンテナは春を凝縮したように華やかだ。
どの花も太陽の光欲しさにどんどん背丈を競うように伸ばしているので、後の花々に場所を譲るために伸び過ぎたパンジーを少し切ってリビングに飾ってみた。
繊細でシックな微妙な色合いといい、美しく波打つフリルといい、まさに『イタリアの貴婦人』と評されるパンジー『ムーランフリル』は、僕たちの家の中に、気品を運んで来た。

ねがはくは

ベッドで朝、目覚めた時に呟いた。
「今日は、Nの命日だ…」
それを聞いていたKは、「そうなんだ…」と呟いた。
週末は天気も不確かだし、桜も盛りを過ぎてしまいそうだから、今日は仕事が終わったら青山一丁目で待ち合わせして、千鳥ヶ淵に花見に行く約束をした。
東京の桜で、どこが一番美しいかと聞かれたら、迷わず「千鳥ヶ淵」と答える。
それは多分、父がことあるごとに靖国神社や千鳥ヶ淵に連れて行ってくれたからだろう。
僕が10年間つきあったNも、千鳥ヶ淵の桜が好きで、この時期になると車に乗りながら何度も桜を見に行ったことを覚えている。
Nはイラチ(関西では短気という意味らしい)だったので、混んでいて動かない車の中でいつも悪態をついていたのを懐かしく思い出す。
Kとふたりで歩きながら見る千鳥ヶ淵の桜は、これが2回目。
九段下の駅が込み合うことも、九段下からの人の流れが進まないことも知っている僕は、いつも半蔵門のイギリス大使館側から千鳥ヶ淵に入っていくようにしている。
山桜と違って品種改良されて出来上がったソメイヨシノの寿命は、60年が目安だということもあり、戦後植えられたこの辺りの桜も、そろそろ寿命が来ているようで、この先維持してゆくことが難しいらしい。
高校、浪人生、大学生の頃は、この千鳥ヶ淵の桜にただただ圧倒されて、桜の時期に何度も何度も足を運んだものだった。
そして今、千鳥ヶ淵を歩き、桜を眺めながら思うことは、もう二度と会うことのない人のことだ。
三年が経った今、それは喪失感だけではなくて、ふたりで過ごしたさまざまな記憶をもう一度思い起こしている時間だった。
ねがはくは
花のもとにて春死なむ
その如月の
望月のころ
西行法師のうたを、Nに何度も聞かされたことを思い出す。
Kは、ところどころ、咲いている桜と、まだ蕾ばかりの桜を見つけては、「どうしてだろうね…?」と、首を傾げていた。
来年もまた、千鳥ヶ淵に来ようね。

ゲイのセックス。

新宿2丁目の場末のバー
『ぺんぺん草』で飲んでいたら、お客さんが話しはじめた。
客A「ねえ、マスター聞いてよ。
私のこと訳知りの女がね。
○○さん、いったいどんなセックスされるんですか?
って聞いてくるのよ。どうしたらいいの?こんな時・・・」
マスター「そうねえ・・・。あたしだったらその女に言ってやるわ。
あんたが先ずはどんなセックスやってるか話しなさい。
そしたらその後に、私のセックスを教えてあげてもいいわっ」
世の中のLGBTブームや、おねえタレントの活躍も手伝ってか、ゲイに興味をもったり、もっと知ろうと思う人が増えて来ているのはいいことだと思う。でもそれにしても、いくらゲイだからといって、どんなセックスをしているのかを聞くなんて・・・
僕は笑ってしまったけど、どういう神経しているんだろう・・・。
セックスの仕方は男女でもそうであるように、人によって多様に、まさしく無限にあるのだと思う(書ききれないので敢えてここには書かないけれども)。よく勘違いされてしまうことは、ゲイはみんなバックをすると思われていること。男と男がするのだから、オカマを掘るなんて言葉もあるし、ゲイはみんなそういうセックスをしていると思う人が多いようだけど、これは大きな間違いで、人によって相手によって全然違うのだ。
客B「僕なんて、自分の父親にカミングアウトをせざるをえない状況がやって来た時に、ドキドキしながらカミングアウトしたら、ところでお前は、やる方なのか?やられる方なのか?って聞かれたんです・・・」
僕「えええ???自分の父親がタチかネコか聞いて来たの???
それって、お父さんもゲイなんじゃないの???」
客B「いや、それはないと思います。でもゲイのセックスって、
やる方とやられる方って、勝手に想像してるんだと思います」
僕「こわすぎる!!!で、なんて答えたの???」
客B「そんなこと関係ないでしょ!って言ってやりました」
そうやって、2丁目の夜はふけていったのでした・・・。

かぶきち

焼きそば(大盛り)

とん平焼き

歌舞伎町のTOHOシネマズ新宿で映画を観たあとに、「なんだか焼きそばが食べたいね」という話になり、前から目をつけていた斜め前にある『かぶきち』へ。
普段『焼きそば』自体を外で食べる機会はあまりないのだけど、大分県の日田に行った時に食べた『日田焼きそば』のパリパリ感が忘れられず、あんな焼きそばを東京のどこかで食べられないだろうか…と時々思い出しては探している。
『かぶきち』の焼きそばは、自家製の麺はパリパリとまではいかないけど、もやしのシャキシャキ感がいい感じで、ソース自体が甘くないのもうれしいところ。でもなぜか上に卵が乗っかって出て来た。
最初は周りの焼きそばをそのまま食べて、後半に卵をからめて食べてみると、焼きそばなのになんだかカルボナーラのような濃厚なコクが…。
24時間営業ということだけど、きっと真夜中過ぎの客層がすごいんだろうな。
⭐︎かぶきち
03-6228-0248
東京都新宿区歌舞伎町1-14-6 第21東京ビル 1F
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13164017/