裏の畑の先生。

僕たちの家の前の持ち主には3人の子どもがいて、長男は僕たちの家の裏の畑でビニール栽培をしていて、先日大きな冬瓜をいただいたのだった。

先ほど玄関の呼鈴が鳴ったので出てみると、今度はその妹さんが立っていて、「私は高校の教師をしてるんですけど、これ、よかったら食べてください」

そう言って、卵とレモングラスをくれた。

「お母さんも先生だったんですよね?親子で先生なんてすごいですね!」

「母は家庭科だったんですが、私は英語を教えています」

こうやってまたしても、宮古島の人からお裾分けをいただいてしまった。

ほんと、みんな、とても人懐こくてやさしい。

初マンゴー。

宮古島の島の駅で、マンゴーが並ぶようになった。

いつもはだいたい梅雨明けの宮古島に旅行に来て、その時にマンゴーは最盛期を迎えていたのを覚えている。

宮古島では5月の末くらいから少しずつだけどマンゴーは収穫されているようで、今のところどこでもマンゴーがあるわけではなく、「島の駅」に午前中くらいはポツポツと並んでいる感じだろうか。

母とKの実家に送り、僕たちの家用にもマンゴーを2つ買い求めた。

晩ごはんの後にマンゴーを切っていると、海が目を輝かせながらそばにやってきた。

昨年、宮古島で海にマンゴーを食べさせたのだけど、これが本当に好きだったようで、ちょっと泣き声になるくらい欲しそうに鳴いているのだ。

Kとふたり、今年も甘いマンゴーに驚き、海も横で物凄い勢いでマンゴーにかぶりついていた。

今年もマンゴーの季節がやってきた。

近所のおじい。

ピンポン♪
玄関の音がするので出てみると、見たことないおじいが玄関に立っていた。そして、手にカボチャとゴーヤーを持っていて僕に渡して言うのだ。

「これ、よかったら食べて」
「え?あの…どちらさまですか?」
「俺はあの広場のそばの宮國」
「え?どの広場?」
「うちの近くに越してきたからさ…」

僕たちの家の周りには家はなく、挨拶に行った左隣の家は100mくらい離れているだろうか?それから先は、別荘があって、その先はずいぶん先まで家はなかったと思う。

それに、僕の名前を知っていたのも驚いたのだけど、前のこの家の持ち主がもしかしたら話したのかも知れないし、どこかで不動産屋さんとか別の人と繋がっていて知ったのかも。

僕が会った宮古島の人はこんな風に、人懐こくて温かくて、恥ずかしがり屋だけど世話焼きな人が多い気がする。

宮國のおじいに、東京に行った時はお土産でも買ってこないとな…。

エアコンの修理。

家のキッチンとダイニングはリビングとつながり、その隣にある寝室まで繋がっている。

エアコンは2台あるのだけど、はじめに外壁を高圧洗浄機で洗った際に室外機に水が入ってしまったのか、大きなエアコンが壊れ、やがて小さなエアコンから氷が落ちてくるようになり、どちらも買い替えないといけないかな…と考えていた。

家に出入りしてくれている電気屋のおじさんに相談したところ、おじさんが直してあげるから3万円くらいで出来ると思うよとのことでお願いした。

おじさんは平日忙しいのか、日曜日の午後にやってきて、室外機を開けて中の部品を取り替えて試運転したものの、エアコンは直らなかった。

「部品を取り寄せてまた来週来るから」

その週の後半は僕は東京に行ってしまったが、宮古島は暑い日が続き、海もKも熱中症になるのではないかという眠れない日々を過ごしていた。

そして、やっとエアコン修理の日曜日が来たのだけど、おじさんはなぜか現れなかった。

月曜日に僕が電話をかけると、部品がまだ届かないから行けないとのことだった。いつになったら届くのかと聞いても、「週の半ばくらいかな?」と答えるだけで、それも確信は無さそうだった。

その週、何度か電話をしたのだけどどうやら部品は入らず、土曜日になっておじさんはやってきた。

「部品まだ来てないけど、小さい方のエアコンのガスを入れるから、漏れてなければちゃんと冷えるからね」

おじさんがガスを入れて漏れをチェックして帰っていくと、エアコンはきちんと作動して大きな部屋を十分に冷やしてくれた。

暑さの中でハアハア言っていた海も、これでまともに暮らしていけるように見えた。

その後、いつ部品が入るのかと思っていたところ、ある日急にした外気のあたりで音がすると思って見に行くと、おじさんが室外機を開けて直していた。

「これで直らなかったら難しいかもしれないな」

エアコンを作動すると、しばらくしたら冷たい空気が出てきた。

おじさんは、コロナという会社に電話をして、この古いエアコンの部品を取り寄せるべく何度か話していたみたい。

「荷物が届くには宮古島にはだいたい1週間くらいかかるから、こんなに遅くなっちゃったんだね」

当たり前だけど、宮古島には東京の時間とは別の時間が流れている。

いつになったら直るのかわからないエアコンと、おじさんの適当な返事にヤキモキしたけど、最後には無事に直ってホッとしたのだった。

宮古島での毎日。

宮古島に引越しして来て、4ヶ月と少しが過ぎた。

東京や熱海にいる時は、まだ広告会社で会社員をしていたので、頭の中にはいつも仕事のことがあって、週末であれ休日であれすっかり忘れることは出来なかった。

宮古島に来て、今はずっと家と宿のリフォームをしている最中で、僕もKも特に仕事はしていない。

こんなに長く仕事をしていないなんて人生ではなかったので、Kも僕もあまりこの状態に慣れることができず、はじめのうちは何もしていない自分たちに焦ったり、進まないリフォームに腹を立てたり、グルグルと思いが空回りするような感じがあった。

きっとそれは、東京での仕事のやり方が抜けていなかったからで、何かをやり続けていないと自分がおかしくなってしまうと思っていたのだと思う。

そして時間が経ち、今は、相変わらず何もしていないのに、リフォームが時間がかかるのはしょうがないかな…とか、このやり方で大丈夫だろうか?他の手段もあるかもしれないな…とか、ゆっくりとした時間に合わせて考えられるようになった。

東京にいた時と同じ時間が流れているはずなのに、時間の感じ方はまったく変わってしまった。

雨が降ったり、雷が鳴ったり、急に晴れ間が見えて慌てて海を散歩に連れ出したりしながら、この島の自然とともに暮らしている。

ホワイトアスパラガス。

羽田空港から帰る時に、北海道産のホワイトアスパラガスが売っていたので買って帰って来た。

オランデーズソースを作り、ホワイトアスパラガスの下の方の固い筋を削ってから、濃いめの塩水で4分間茹でる。

熱々にオランデーズソースをかけて、ほんの少しパルミジャーノとイタリアンパセリを散らした。

竹の子のようにアスパラガスの香りと味が凝縮していてホワイトアスパラガスならではの濃厚な味わい。

宮古島にいても、ホワイトアスパラガスを食べられたことがうれしかった。

こけし

母の家に帰った時に、色々な物を持たされて持って帰ったのだけど、実はその中に大きなこけしと小さなこけし2体があったのだった。

今までこけしのことなんて考えたこともなかった僕は母に言った。

「こけしなんて要らないよ。だいたいこけしって何に使うの?」

「いいから持って行きなさい。これは有名なこけし職人さんが作ったこけしなんだから」

そんなやりとりがあり、改めてこけしを見たところ、その顔がなんだか魔が抜けていて、「そんなに言うなら持って帰ろうか?」となったのだ。

この顔、なんだか「ちびまる子ちゃん」に出てきそうに見えませんか?

家の値段。

我が家には、一階に駐車場があって、電動シャッターになっている。

朝、僕が海を連れて車に乗って散歩に出かけた後家に帰ると、電動シャッターが閉まらなくなっていた。

Kに聞くと、閉まらないからリモコンでやってみてというのだけど、一向に動く気配がない。

出入りしている大工さんに聞いても、電動シャッターの故障はわからないと言われ、町中で見た「池間シャッター」というお店に電話すると、これから来てくれるという。

僕がキッチンにいるとシャッター屋さんは来てくれたようで、一瞬にして直してくれた。

どうやらシャッターのストッパーが効かなくなって上がりすぎてしまったとのこと。

僕は、修理代がまた高額取られるのではないかと思っていたので、それを聞いてホッとしたのだ。

おじさんは、「ここは前、◯◯さんの家だったでしょう?」「このくらいの家はいくらで買えるの?」と聞いてきた。

僕は正直に答えたのだけど、宮古島に引っ越してきて、この家の値段を聞かれたのはこれが初めてではなくて、もう4人目くらいだろうか?

宮古島の人は、本当に気さくに家の値段を聞いてくるのだ。

東京だったら知らない人の家に言って、「この家いくらで買ったの?」と聞く人はまず絶対にいないと言える。

それに不思議なことに、宮古島で会うおじいさんやおばあさんは皆気さくで、なんというか、親戚の人のような温かさがある。

東京で育った僕には、あまりにも違う人や風土に次々と驚かされている。

眠れない夜

昨夜はまた夜中に激しい雨と雷が鳴り出し、雷は夜通し続いた。

雷を酷く怖がる海はずっと怯え続けていて、なかなか止まない雷に翻弄されて眠れずにいた。

雷が轟音で鳴り響くと、停電になり、その停電は15分ほどで直るのだけど、また何度か停電は繰り返され眠れぬ夜を過ごした。

今年は記録にない5月の雨量だったようで、これほど雷が多いのも聞いたこともないという。

台風の季節は停電になると聞いていたので、今からそれに対応出来るように準備をしておかなくては…と思ったのだ。

大雨も雷も停電も、何もかも宮古島で暮らす醍醐味とも言える。

赤坂ふきぬき

先日宮古島のスーパーで鰻を買ってきて、いつものように温めて食べようとしたところ、鰻が固く、皮がまるでゴムのようになっていて落胆した。

それは僕の温め方に問題があったわけではないようで、そういう固い調理をしているのだと思われた。

東京で鰻を食べてきた僕は、「これは鰻ではないな…」と思い、鰻が大好きなKも悲しそうな顔をしていた。

東京から帰る最後の日、新宿の高島屋に寄って最後の買い出しをした。地下には「赤坂ふきぬき」が入っていたので、鰻を2尾買って帰ることにしたのだ。

今日、いつものように酒をふりかけて蒸すように温めてご飯に乗せると、お店で食べるようなふんわりとした鰻を味わうことができた。

鰻を頬張るKを見ながら、僕は例えようのないくらい幸せな気持ちになったのだった。