田中一村。

奄美大島で僕の知っていることといえば、日本画家の「田中一村」のことくらいだった。

田中一村は、僕がまだ美術学校の学生だった頃、NHKの特集で知った画家。東京芸術大学に入学するも2ヶ月あまりで中退、その後、添付の白い花で一度青龍展に入選するも、その後は一度も中央画壇に入線することはなかった。50歳で奄美大島に移住し、紬工場で染色工として働きながら絵を描き、貧しくも自分の描きたい島の植物や動物を描き続けた孤高の画家。

白い花


田中一村との不思議な再会は、実は今年の夏に訪れた宮古島で、田中一村の絵がレストランの表に飾られていたのだ。その絵につられて入ったレストランはとても美味しく、大将は一村の絵に憧れて奄美大島など各地を巡り、宮古島に辿りついたということだった。

奄美大島には、「田中一村田中一村記念美術館」があり、「田中一村の終の住処」も名瀬に移築されて展示されている。

奄美大島の建築様式を取り入れた美術館

田中一村田中一村の終の住処

田中一村の作品を纏って見られるのは、おそらくこの記念美術館だけだろう。奄美大島の湿度の高い気候の中で取り入れた高床式の建築物は美しく、水の上に浮かんでいる。

学生時代の作品から、南画、世間から忘れられて貧しい暮らしの中で描き続けた作品は、50歳を過ぎて奄美大島に移住したことで、新しい展開を見せ始める。

最後まで独身を貫いたのは、どうしてだったのだろう?ゲイだったのだろうか?などと夢想しながら、充実した時間を味わった。奄美大島に行くことがあったら、接待に訪れて欲しい素晴らしい美術館。

⭐️田中一村記念美術館http://amamipark.com/isson/

アマンデー

奄美大島で心が解け、すっかり魅了された帰りの日、僕たちは奄美大島の発祥の地とされる「アマンデー」を目指すことにした。

アマンデーとは、女神の阿摩弥姑(アマミコ)と男神の志仁礼久(シニレク)がはじめてアマンデーに天降りし、この島をおさめ、後、島伝い、浦伝いに南下し伝えていったというところ。つまり奄美大島に神様が降り立ったという場所。

この場所にたどり着くのがとても難しく、道でおじいさんやおばあさんに聞きながら、やっとの事でたどり着いた。

細い道を注意して歩きながら、30メートルくらい茂みを入って行くとアマンデーがある。古くなったお墓のようなところだけど、奄美大島がぐるっと180ど見渡せるような気持ちのいい眺めだ。

入り口の立て札

お墓のようなアマンデー
アマンデーからの眺め


また奄美大島に戻ってこられますようにと、Kと二人お祈りをして、美しい奄美を後にした。

鳥しん

名瀬の町に行き、また「鶏飯」を食べた。

「鳥しん」は、名瀬の町中にあり、地元の人も火曜鳥料理屋さん。鶏飯は、「ひさ倉」の鶏飯のように、スープにほんの少し甘みを感じる。

お店によって具材が少し違う

鶏ももの炭火焼

油そうめん

そうめんチャンプルーのようなものは「油そうめん」で、出汁とともに炒められた食べ物。そうめんチャンプルーとは全然違い、和食に近い味だった。

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金作原探索ツアー

奄美大島は、亜熱帯の原生林が残っていると言うので楽しみに「金作原探索ツアー」に申し込んだ。

「豊かな自然が残された島」だと思っていたのだけど、どうやらそれも間違いだったようで、60年代から80年代の高度経済成長期に森林の伐採が盛んに行われたようだ。

山の木々を伐採して本土に送り、お金をもらう。山は次から次へと丸裸になり、そこに棲む動物や植物たちも消えていった。

やがて、奄美大島の人々も自分たちのしてきたことが間違いであったと気づき、森林を守る大切さを知ることになる。一度丸裸になった山は簡単に元には戻らない。奄美大島はその後、なかなか国立公園には認定されず、国定公園のままであったが、つい3年ほど前に日本で34番えmの効率公園認定されたようだ。

落葉樹のほとんどないブロッコリーのような山々

奄美大島の蘭の一種
マングースの罠
樹齢数百年のウラジロカシ

日陰ヘゴ

そんな奄美大島の中で、未だに豊かな山々が残る場所が「金作原」の山々。そこには野生の黒うさぎやルリカケス(青い鳥)、イノシシやキツツキなんかも棲んでいる。

ゴジラの撮影にも使われたと言う亜熱帯雨林を散策しながら、勉強になる話を伺うことができた。

奄美大島北部。

僕たちが泊まったのは、奄美大島の北部で「龍郷町」という場所。

奄美大島は、沖縄本島より少し小さいくらいの大きさであるにも関わらず、人口が5万8千人くらいしかいない。(これは、石垣島や宮古島くらいの人口)

人口の多くは「名瀬」という町に集中しており、それ以外は昔からある集落に集まっているようだ。

今回、島の大きさがわかったので、一回の旅行で制覇することは最初から諦めていた。今回は北部で過ごし、また来た時に別の場所へ行けば良いではないか。

北部は、古くからの文化が色濃く残りながらも、昔からの集落があり、尚且つ、お洒落な宿泊施設や見所もあるような場所。名瀬は真ん中より少し北にあるものの、北部から名瀬までは30分以上車でかかる。従って、夜のご飯は名瀬に行くことは諦めた。

初めての奄美大島の感想は、沖縄の離島と似ていて海がとても綺麗だということ。それと、不思議なのだけど、宮古島のように珊瑚で出来た島ではないため、鬱蒼とした山々がある。


この山々に美しい海を見ていると、「一体ここはどこなんだろう?」と思ってしまう。石垣島にだっておかのような山はあるけど、こんなに木々が生い茂っているわけではないし、西表島の熱帯雨林のような山とも少し違っている。

それと、海が入江のようにリアス式になっているせいで、景色がとても多様で美しい。車で走りながらあまりの美しさに驚きっぱなしだった。

島とうふ屋

初日の晩御飯は、ホテルからも近い「島とうふ屋」にした。

島とうふ屋の豆腐は、沖縄の島豆腐とは違い、本州の豆腐のようにまろやかだった。柔らかく、それでいて味がしっかりとしている。だから、色々な料理に応用されても存在感がしっかりと残っている。

コロッケ

豆腐の春巻き
麻婆豆腐
塩豚と厚揚げ

揚げ出し豆腐

コロッケ、麻婆豆腐、揚げ出し豆腐、厚揚げと塩豚など、どれも豆腐が主役になっている。一つ一つのお料理が端正に作り込まれていて、食べ終わる頃にはお腹いっぱいになっていた。

奄美大島では、「ミキ」という飲み物がどこにでも売っていて、この豆腐屋さんでは甘酒のような感じのミキが置いてあった。

東京とは違う食べ物を味わう。この場所に来なければ出来ない贅沢だ。

⭐️島とうふ屋https://shimatoufuya.jp/shimatofu.html

奄美大島へ。

夏に旅行しようと思っていた奄美大島。コロナと仕事の都合で3回くらい予定をキャンセルしたのだけど、今回仕事の隙間に来ることが出来た。

奄美大島に来るのは僕たちは初めてで、僕の中で奄美大島といえば、「田中一村」という日本画家のイメージしかない。

空の上から見る海は青く、沖縄に来た時のように心が弾む。

ランチは早速奄美大島らしい「鶏飯」をいただく。

「鶏飯」とは、白ごはんの上に細かく割いた鶏肉や錦糸卵、海苔などを載せて、熱々の鳥のスープをかけていただく料理。


さっぱりとして美味しく、身体の具合が悪い時でも食べられそうなやさしい味わいだった。

この週末Kとふたり、海を見ながらのんびりするのだ。

⭐️ひさ倉 http://www4.synapse.ne.jp/hisakura/

日の出うどん

京都に来たからには、少しお早いとはいえ紅葉が見れないかと、永観堂へ。まだ1週間くらい早いようだけど夜のライトアップも始まり、もみじも赤く色づき始めていた。

お昼は永観堂のすぐそばに、京都で最も有名なうどん屋さんの一つ「日の出うどん」へ。

ここでは定番とされるカレーうどん。昔懐かしい出汁とカレーが溶け合った味で、牛肉は少し甘く煮てある。うどん自体は福岡のうどんのように柔らかく、コシがないけど、これがまた美味しい。

京都の寒い冬には、こんなあっついカレーうどんが美味しく感じられる。

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なな治

急に奈良に子犬を見に行くことになって、それだけで帰るのももったいないかと思い、京都に1泊することにした。

夜は初めてのお店に行こうと思い、ホテルから近い「なな治」へ。

狭い店内はカウンターにお客さんが4人。僕たちは後ろのテーブルへ。7串1350円の串揚げを頼むと、変わった食材を組み合わせた串揚げが出てきた。


野菜や肉、魚にとらわれることなく、チーズや果物も取り入れた串揚げは、外国人も美味しそうに食べていた。串揚げよりも、おでんがしみじみと美味しく、最後に頼んだグジ(甘鯛)は絶品だった。

短い時間だけど、京都を堪能した夜だった。

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L’ATELIER DES SENS

安曇野で、「L’ATELIER DES SENS」というフレンチを訪れた。

フランスの公邸料理人を務めていたシェフの作るお料理は、安曇野の野菜と信州の食材を使った優しいお料理。

ラムの煮込み

野菜が力強く、シンプルな味付けだからこそ、より一層美味しく感じられる。

安曇野は、広々とした田畑と、遠くに山々が連なる美しい風景の町。松本からは車で30分くらい。

お蕎麦も美味しいけど、フレンチやイタリアンも美味しいのは、きっとここの空気とお水が美味しいからだろうな。

⭐️

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