サーナヤオッリの浴衣。

友人のお店で、北欧のデザイナーの生地を見せてもらった時に、「この生地で浴衣を作ったら素敵だろうなあ…」と口走ったのだけど、それを聞いていた友人たちが、仕立て屋さんにお願いして、なんと僕の浴衣を仕立ててくれた。(以前ここにも書いた)
その浴衣を着て写真を送って欲しいと言うので、早朝、浴衣を着て、Kに写真を撮ってもらった。
前夜の酒が抜けていなくて顔はむくんでいたのだけど(笑)、その写真を送ると、北欧に住むデザイナーもとても喜んでくれたようで、彼らのホームページに載せてもいいか?との問い合わせがあった。
浴衣の柄も、伝統的なものから斬新なものまで、昨今では様々なデザインが溢れているけど、グラフィカルで、どこか日本の文様にも通じる北欧のデザインというのも、なかなかいいものだなぁと思っている。
この浴衣は、この夏に向けて、商品化されるようだ。
★サーナヤオッリhttp://www.ecomfort.jp/smp/item/SA420001.html

運命の人。

若い頃の僕は、いつか、自分にとって『運命の人』が現れるのをずっと待っていた気がする。
誰かと出会っては、「なんか違う…」「セックスがイマイチ合わない…」「この人とつきあっていく気がしない…」
様々な理由を見つけては、すぐに別れてしまって、また次の人を探すということを繰り返していた。
先日、友人が京都勤務になり送別を兼ねて食事会をした時に、昔から仲の良いMがふと言った。
M「変な話なんだけど、俺、今となっては、どんな人とでもつきあえる気がするんだよね…」
僕「僕もまったく同じなんだよね…前の男と長くつきあっている時に思ったんだけど、たとえばこの電車に乗っているどんな人とでも、自分はつきあえる気がするって思えたの…なんというか、人ってみんなそれぞれいいところがあって、それを好きになれたらつきあっていける気がするんだよね…」
誰とも長いことつきあわずに、一人で生きている友人と話すと、なかなか好きな人がいないとか、つきあいたいと思う人がいないと言うことがあるのだけど、僕がひとつ言えることがあるとしたら、「まずは、そばにいるちょっといいな…と思えるような人とはじめてみたらどうだろう?」ということだ。
僕が思うに、『運命の人』は、いつか突然現れるのではなくて、すぐそばのその人が、『運命の人』だと思えるようになるのだ。
誰かとつきあうというのは、そんなことのような気がする。

Kのお父さん。

僕が東京から鹿児島空港に向かう頃に、Kはお父さんとお母さんと一緒に鹿児島に住む親戚に会うために、車で大分から来ていた。
鹿児島空港に早めに着いたKとお父さんお母さんは、しばらく空港の上の階から飛行機の離発着を眺めていたらしい。
やがて鹿児島空港に着いた僕に、Kは言った。
「お父さんとお母さん、さっきまで飛行機見てたんだけど、もう帰っちゃった…」
僕はてっきり、お父さんたちが僕に会おうとしたのかな…と思ったのだけど、会わずに帰ってしまったと聞いて、やはり違ったのかな…と思っていた。
Kが日曜日に東京に引っ越してきて数日が過ぎた頃、夜に僕が料理を作っていたら、Kのお父さんから電話が入った。
お父さん
「かーくん(Kのこと)、こないだ空港で、東京の人に会おうかと思って待ってだんだけど、先に帰っちゃってすまなかったね…」
お父さんは、わざわざお母さんがそばにいないのを見計らって、Kにそのことを伝えるために電話をかけてきたのだった。
自分の末っ子が、男の人が好きだとわかった時には、その事実をすぐには受け入れることが出来ず、僕のことは決して話題に出さなかったお父さんは、数ヶ月が経ち、Kが東京に本当に行ってしまう頃になって、少しずつ変わって来ていたのだった。
お父さんが僕のことを気遣ってくれているのがわかり、とてもうれしかった。
このままだと、お父さんお母さんに会う日も、そう遠くないのかもしれないな。

味処 石蕗

きびなご

せせりの唐揚げ

豚骨の煮物

何か鹿児島らしい料理が食べたいと思い、天文館にある居酒屋『味処 石蕗』へ。
きびなごの刺身は全く臭みがなく、びっくりするくらい美味しい。
せせりの唐揚げは、お酒が進む。
豚骨の煮物は、甘い煮込み料理なのだけど、味が浸みていて深く、鹿児島らしい一品。
このお店が『食べログ』で高評価なのには、わけがある。それは、この店を切り盛りしているお姉さん(恐らく50代)がとてもいい人だから。
東京から来たと言うと、それじゃあ、豚骨も食べた方がいい。鰹の煮たものも食べた方がいい。どんどんお料理をサービスしてくれて、隣のお客さんも巻き込んで新しい焼酎を飲めと言ってどんどんお酒も注いでくれる。
帰る頃にはお腹はいっぱいになるし、お姉さんたちの情に心を鷲掴みにされる。
旅の醍醐味は、こんな風に偶然出会う人のやさしさなのだと、改めて思ったのだ。
★味処 石蕗http://s.tabelog.com/kagoshima/A4601/A460101/46003840/

いっしょに、家に帰る。

思えば Kとつきあいはじめて3年半、九州のどこかの町で会っても、京都、大阪、名古屋で会っても、東京で会っても、僕たちはいつも別々に帰っていたのだ。
京都や大阪で別れる時には、お互いに反対方向の新幹線に乗り、福岡では、Kのソニックを待ってから、僕が空港に向かったのだった。
「またね!バイバイ…」
ふたりで過ごす楽しい時間が終わりを告げ、さよならを言う時はいつもせつなかった。
別れて暮らしているのだから、旅行の後に別々の家に帰るのは分かっていることなのだけど、あの別れ際の寂しさは、何度経験しても慣れることはなかったのだ。
今回、鹿児島から、はじめて飛行機にKと一緒に乗った。
僕の後ろを歩くKは、どこかうれしそうにしていて、飛行機の中でそっと手をつないだ。

寿庵

鹿児島で、黒豚料理の有名店と言えば、真っ先に名前が挙がるのが、『寿庵』。トンカツやハンバーグ、そして、塩しゃぶが有名。
随分前に、台湾人の友人と行ったのが最後だったのだけど、東京に帰る日に、もう一度黒豚のしゃぶしゃぶを食べておきたくなり、久しぶりに『寿庵』へ。
塩しゃぶは、6種類の塩の中から、自分で好きな味の塩を選んで、スープを溶いて食べる食べ方。6種類の塩は、とうがらし、カレー、にんにく、バジル、ローズマリー、みかんである。
お出汁の中をさっとくぐらせた黒豚は、ポン酢などよりも、塩味の方がより甘みを感じるように思う。
『あぢもり』が鹿児島の黒豚しゃぶしゃぶの伝統的な店だとしたら、『寿庵』は、黒豚しゃぶしゃぶの新しい可能性に挑戦しているお店だろう。
★寿庵http://tabelog.com/kagoshima/A4601/A460101/46000004/

たまて箱温泉。

お風呂から写真が撮れないのが残念。

今まで行った、日本中すべての露天風呂の中で、最高の露天風呂を発見してしまった…。
鹿児島から、レンタカーを借りて指宿の方にずっと南下していくこと1時間半。山川駅を過ぎた鹿児島のほぼ南端に、ヘルシーランドという温泉があり、その上に『たまて箱温泉』という露天風呂がある。
入浴料は510円。身体を洗って外に出ると、
「なにこれ!」
思わず声を出すほどの圧巻の海が広がる。視界はおよそ180度右から左まで見渡す限り大海原なのだ。晴れていれば遠くに、硫黄島や屋久島、種子島が見える。
奇数と偶数によって、大きな風呂と少し小さめの風呂が、男女入れ替えになっていて、偶数で晴れていたら、男性は大きな方で、ここはもう、外国のどこか、別天地のようにしか思えない、美しい景色が広がる。
指宿という鹿児島から少し離れた場所柄か、人も少なく、これほど素晴らしい露天風呂があるなんて驚きだった。
鹿児島に来たら、必ず行った方がよい、素晴らしいスポット。
★たまて箱温泉http://www.seika-spc.co.jp/healthy/?page_id=337

あぢもり

花のような黒豚

黒豚の味噌漬け焼き

鹿児島には、町中に黒豚しゃぶしゃぶの店がある中でも、鹿児島で黒豚しゃぶしゃぶと言えば、『あぢもり』と言われるほど有名な店に、僕はかれこれ4回も訪れている。
ここのしゃぶしゃぶは、スープ自体に出汁の味わいと塩味がしっかりついているので、ぽん酢やゴマだれをいっさい使わない。
取り皿には卵を割り入れて、好みの量のスープを入れて、肉や野菜をつけて食べるのだ。
友人のシンガポール人カップルをはじめて連れて来た時に、この店のしゃぶしゃぶのあまりの美味しさに虜になってしまい、その後、彼らは鹿児島に来るたびに『あぢもり』を訪れている。
焼酎を飲みながら、黒豚しゃぶしゃぶを食べる。
「ああ、鹿児島に来たんだ…」
しみじみとした幸福を感じる。

町中の樹木。

まだ寒さは残るものの、東京でもようやく桜がほころびはじめた。
東京の町を歩いていてつくづく思うことは、町中の樹木の不格好さだ。家の角や街路にある樹木を、自然な形に枝を伸ばすことはいけないことなのだろうか?
落葉期に都の命令なのか、街の至る所で樹木を剪定している様子を見ると、不格好になった樹木がかわいそうに…とさえ思える。
それは、日本特有の、極度に人に迷惑をかけまいとするためなのか、小さな世界に自然を封じ込めようとする盆栽文化なのか。
僕の考えでは、歩行者や車の邪魔にならなければ、樹木の枝が道の上方にせり出していても全然構わないのではないかと思う。
道を歩きながら、上に満開の桜の枝が伸びているなんて、とても素敵なことだろう…。
余程その樹木が大きくなり、後ろの家の日照時間に影響を及ぼすなど悪影響がないのならば、その樹木本来の姿形をなるべく保ったままに見える剪定をするべきではないだろうか?
千駄ヶ谷小学校の角に、白く美しい山桜がある。その桜は昔から、ソメイヨシノよりも早く、葉と花が一緒に開きはじめるのだけど、その山桜を見るのが、僕はとても好きだったのだ。
先日通りかかった千駄ヶ谷小学校の山桜は、驚いたことに、腕の途中から無作為に切られたような痛ましい姿だった。桜は、切った枝から腐ったり、うまく肉巻きがしない、剪定に非常に弱い樹木なのだ。
この場所で、桜の木が大きいからといって、いったい誰にどんな迷惑を及ぼすのだろうか?
この国は、「規則」ばかりで、「美しさ」というものさしを、どこかに置き忘れてしまっているのかもしれない。

ベッドはひとつ。

Kは、先週末に大分のマンションを引き払って、今週いっぱいは実家に寝泊まりをしていた。
引越しには、お父さんとお母さんが手伝いに来てくれたようで、大きな家具も、段ボール箱も、すべて一旦は実家に持って行って、捨てるものは廃棄して、東京に送るものは実家から東京に送る準備をしていた。
そんなやり取りを聞いていると、3人兄弟の一番末っ子だからだろうか、ご両親にとても可愛がられているのがわかるのだ。
僕「お父さんとお母さん、何か言ってた?ただしくんのこと」
K「言ってない」
K「お父さんが、布団買わないといけないねって言ってた」
僕「なんで?かっちゃんの?」
K「うん。別々で寝てると思ってるみたい」
K「母は、部屋は狭くないの?って言ってた」
恐らく近い将来に、Kのお父さんとお母さんは、東京でのKの暮らしが心配になって、大分から東京に来ることになるだろう。
そして、我が家に来ることになるかもしれない。
やってきた家には寝室は1つしかなく、ベッドも1つしかなく、すべてのことがふたりの頭の中でハッキリとわかるだろう…。
その時、僕は、どこかホテルに泊まるのか。
それとも、その気まづい修羅場に鉢合わせることになるのか。
それはその時に考えるとしよう…笑。