えべっさん。

大阪に来てタクシーに乗ったら、「今日は、えべっさんの日ですよ」と言われた。
僕が、「え?えべ…?は?」と聞くと、どうやら恵比寿様のことらしい。
大阪では1月10日前後の3日間、この『えべっさん』をお参りして商売繁盛を祈願するらしい。東京で言うところの『酉の市』みたいなものだろうか。
友人のお母さんの施設に行く時に、西宮駅で沢山人が降りたので何があるのかと思っていたら、このえべっさんは西宮の恵比寿様が一番人で賑わうらしい。帰り道、他に予定もないので軽い気持ちで途中下車してみた。
屋台がどこまでもひしめき合い、あまりにも人が多いので警察が赤門から入れる人数を規制している。暫く群衆に囲まれて立ち往生しながらやっとの思いで本殿に辿り着いた。
大きな本物の本鮪が置いてあったり、グリコなど各社が食べ物を奉納していたりして、そのパッケージのせいかなんだかほのぼのとする光景だ。
熊手や笹が売っていて、僕もせっかく来たのだからと、笹(ニセモノ)を買ったのだけど、改めて東京とは違うなあと思ったのです。
東京の酉の市は、ほとんどの人が「あ、今日は偶然酉の市やってるみたいだから、ちょっと覗いていこうか?」くらいの気持ちだけど、大阪はちょっと空気感が違っていてこの『えべっさん』に本気なのです。なんだか、みんな必死…。
なんでも、10日の朝6時の開門とともに、男たちが本殿目指して福男の認定を受けるために疾走するらしいのです…
そんな血眼な大阪人に囲まれて、今年の商売繁盛を願ったのでした。

素顔のモントリオール。その2

cafe neve

neve クロークムッシュ

Schwartzs 牛肉のサンドイッチ

モントリオールをつきっきりで案内してくれた超親切でお節介おばさんのようなJは、敏腕弁護士でカナダ中を飛び回っている。テレビにも出る活躍とは裏腹に仕事自体は相当ストレスの溜まるものだったようだ。
J「ハードな仕事のおかげでお金も十分貯まったから、間も無く弁護士をリタイアしようと思っています」
Jは日本語を勉強していて、日本文化と日本人が大好きな50代のオネエさん(いわゆるライスクイーン)。今年日本で行った大阪、岡山、宮島、徳島がとても心に残る旅になったようだ。
Jの、日本語を勉強したいという思いを尊重して、僕たちもなるべく簡単な日本語で話すようにした。Jにはなるべく日本語で話しをしてもらいながら、難しいところは英語で詳しく説明したのちに僕らが日本語に直して話す感じ。Jは、ローマ字ではなく、漢字や平仮名で日本語を勉強している。
僕「同じ音で違う意味があったり、同じ漢字で違う読み方がいくつもある日本語を勉強するなんて、50歳を過ぎてあまりにも難しすぎない?」と聞くと、
J「簡単だったら面白くありません。難しいから、やり続ける面白さがあるのです…」と、たどたどしい日本語で答えた。
僕「なぜ日本が好きなのですか?」と聞くと…
J「それは簡単な質問だけど答えが難しいです…日本の文化が好きなのと、あまりにも私たちの文化と違うので興味があります」と答えた。ちなみにJに言わせると、日本語の音は、フランス語の音に似ていて心地よいのだそうだ。
J「恋人ともずいぶん前に別れて仕事をリタイアした私は、心に空いた隙間を日本語の勉強をすることで埋めたいと思っています。やがて日本語を覚えたら、日本とカナダのために何か助けになりたい…」
50歳を過ぎたJは自分の人生を省みて、新しい道を踏み出そうとワクワクしていた。
★★★cafe nevehttp://www.cafeneve.com
地元の人で賑わうカフェ。
室内は、お店に対する愛情がインテリアの細部にまで宿っている。
老若男女様々なモントリオール人が朝ごはんを食べに来ていて活気がある。そして、美味しい。
★★★★Schwartz’s http://www.schwartzsdeli.com
モントリオールで最も有名なユダヤ系サンドイッチ屋さん。
牛肉を焼いた後に秘伝のタレに漬け込んだサンドイッチが有名。脂肪の量多め少なめなど選ぶことができる。席は窮屈で店員は慇懃無礼だけど、安くて美味しいので昼は行列ができる。

素顔のモントリオール。その1

フランス系金持ちの豪邸

モン・ロワイヤル公園

Jean-Talon市場

モントリオールに着いた翌日、弁護士で年上のモントリオール人の友人Jが四駆のBMWで現れて僕たちに言った。
J「明日は、旧市街を見て回って…モン・ロワイヤルに行って…サンローラン通りはこういう風に中華街、ユダヤ人街、イタリア人街があって…昼はモントリオールで一番美味しい牛肉のサンドイッチを食べに行って、あそこに行き、ここを周り、市場に行ってお土産も買わないと行けないし、夜はフレンチを予約してあって、その前に僕の家でシャンパンを開けて…夜はGOGOBOYのいる店からはじめて、どうせ明後日帰るんだから、寝ないで空港行けばいいよね?」
僕「え!寝ないで空港?!」
またしても「お節介(というか超お人好しカナダ人)」のおかげで、驚くほど中身の濃いモントリオールを知ることが出来た。
★★★★Mont-Royal & Mont-Royal Park
ロワイヤル山は、モントリオールの中心にあり、モントリオール人の心の拠り所でもある。モントリオールの街は大きく、Boul Saint-Laurent を境に、東側はフランス系、西側はイギリス系に分かれる。
山の中腹の東側にはフランス人系金持ちが豪邸を構え、西側中腹にはイギリス系金持ちが豪邸を構えている。
辺り一面銀世界の邸宅は、映画の中に紛れ込んでしまったように静かで美しかった。山の頂上には見晴らしの良いモン・ロワイヤル公園が広がっている。
★★★★Marche Jean-Talon
イタリア人街の外れにあるマルシェ。チーズ屋さん、ワイン屋さん、肉屋さん、八百屋さん、果物屋さん…それぞれの専門店が店を構えている。
品揃えが豊富で、メープルシロップなど土産物も安い。

モントリオールの熱い夜。

市庁舎前の広場

ノートルダム大聖堂

有名なOgilvyのクリスマスの飾りつけ

『ヌーベルフランスと呼ばれていたケベック州は、毛皮の交易でフランス人が沢山入植して来たが、1754年にイギリスとのフレンチ・インディアン戦争でイギリスに敗れた。しかしその後も、フランス語や独自の文化を捨てず1774年ケベック法により「ヌーベルフランス」を保護することが決まった…』
粉雪の舞う中、市庁舎や裁判所を見に行き旧市街を歩いたのだけど、雪の中人々は帽子かフードを被り、傘はささずに黙々と歩いている。トロントやオタワではあまりなかったのだけど、モントリオールに来たら、フレンチの影響なのかカッコイイ男が多い気がする。
昨夜行ったゲイバーでは、隣に21歳のショートヘアの初々しいフランス人のような子が座った。彼は庭園やランドスケープを作る仕事のようだった。困ったことに、フランス語と片言の英語しか話せない。
ホッケーの有名な選手の葬儀をテレビで流していて、「この偉大な選手をあなたは知っているか?」と聞かれたり(ホッケーとか知らないし)、モントリオールの旧市街やケベックシティは美しい街だから行った方がいいと言われ、オタワへは行ったことがないようだった。(おまけに日本は知っているが東京は知らなかった!!!)
つまり、自分の育ったモントリオールしかほとんど知らなくて、それでもこの地を心から愛し誇りを持っている若者なのだ。かわいい…。
ビールをふたりで飲みながら、僕が、他のゲイバーを知らない?と尋ねると、知らないと言うばかりか、こんな店自体に始めて来たと言うのだ。そして、自分はバイセクシャルで、男の人とはセックスをしたことがないんです…でも、セックスしてみたくて…と言いながら、僕の足をゆっくり撫で始めた。
なんだか妖しい雰囲気になって来たので、僕が帰ろうとすると、一緒に外に出てきて、「今からあなたのホテルに一緒に行ってもいいか?」と聞いてくる。(あくまでオネエではない)
僕が、「僕には恋人もいるし君とセックスする気はないから、他の人を探した方がいいよ」(これホント)と言うと、抱きついて寂しそうな目をして僕を見つめていた…

オタワ観光。

国会議事堂(ヨーロッパみたい)

リドー運河(世界遺産。冬はスケートリンクになる)

国立美術館からの眺め

トロントからPORTERの飛行機に乗ってオタワに着くと、➖13度ということだった。
案内をしてくれるミッキーさんが言うことには、体感温度は➖17度くらいでしょうとのこと…。なんでもオタワは、世界で最も気温の低い三大首都だという。因みに低温三大首都は、ウランバートル、オタワ、モスクワだそうだ。
今回、厚手のダウンを買おうかと迷い東京で店を見て回ったのだけど、10万前後することと、「東京では着ることがないだろうなあ…」と思い、普段東京で着ている洋服で来た。
この日の上着は紺のダッフルコート、中にはTシャツの上に厚手のセーター、コーデュロイのパンツ、マフラーを巻いて、毛糸の手袋、毛糸の帽子、ブーツ。(僕はユニクロのヒートテック類は着ない)
国会議事堂、リドー運河、ノートルダム大聖堂、国立美術館、バイワードマーケットスクエア…耳は切れそうで、顔は強張り、目は赤く充血して来る…。「なんだか、寒さの刑にあってるみたい…」
➖13度の中歩いていてわかったことは、寒いのは結局身体の中でも肌が露出している顔や耳や頭であって、洋服を着ている部分ではないことだった。そして、時々入るショッピングモールでは、暖かいということだけで、どれだけ幸福なことなのかをしみじみと感じさせられた。
後でオタワ在住の人たちと食事をしながら、寒さで死にそうになったと話したら、「カナダ人はそれぞれ、俺はこないだ北に野生動物を見に行って➖40度で目が痛かった…私はこないだ➖38度で鼻が凍っていた…などと、みんながどんなに寒かったかという極寒経験自慢をしたがるんだよ…」と言って笑っていた。
オタワのように➖30度なんて日がざらにある場所でも、人間は働き、毎日生活をしていることに、なんだか妙に感動させられてしまったのでした。

トロント観光。(その3 美しき町とワイナリー)

ナイアガラ・オンザレイク

CHATEAU DES CHARMES

テイスティング

ナイアガラの滝から上流に向かって行くと、川沿いに大きな庭を持ちブドウ畑がある美しい家々が広がっている。あまりの家々の美しさに、こんな広々とした邸宅ではどんな人が暮らしているのだろう…と想像を掻き立てられる。
ナイアガラの滝から更に北へ20キロの所には、開拓時代の面影をそのまま残す町『ナイアガラ・オンザレイク』がある。おもちゃのようにかわいい町の中心にあるQueen stには、ジャム屋さんや雑貨屋さんや馬車が並んでいて賑わっている。
ナイアガラ・オンザレイクの周りには、ブドウに適した環境が広がっていて美味しいワインの産地でもある。100以上あるワイナリーの中から、ブルゴーニュでも認められているワイナリー『CHATEAU DES CHARMES』へ。
ここは、数々の品評会で賞を取っているワイナリー。日本人のガイドさんがいるので予約をすればワイン造りの過程から畑まで、丁寧に解説してくれる。テイスティングも出来るし、気に入ったワインが見つかったら購入することも出来る。
カナダでは、『アイスワイン』が有名で、一言で言うと甘いのだけど、食後などに少しずつ飲むにはいいだろう。
カナダのワインなど知らなかったし、日本にいると飲むことはなかったのだけど、白ワインも赤ワインもとても美味しかった。
★CHATEAU DES CHARMEShttp://www.fromtheboscfamily.com/chateau-des-charmes

トロント観光。(その2 ごめんなさい。ナイアガラ)

ニューヨークが好きで学生の頃から何度となく訪れていた僕は、友人が、「ニューヨークに遊びに行くついでにナイアガラに寄って来ようと思うんだけど…」などという言葉に、「せっかくニューヨークに行くのに、なんでわざわざ滝なんかを見に行くの?」と切り返していた。
それが…実際にナイアガラに行ったら、やっぱり感動的な大きさだったのです。ごめんなさい。
ナイアガラの滝は、自然の中にひょっこり巨大な滝があるわけではなく、実は滝の周りに町が広がっている。ホテルや観光客目当てのアトラクションやカジノがアメリカ的に乱立しているのだ。
肝心の滝自身は、エレベーターで降りて行き、そばまで行くことが出来るし、滝の裏側から滝が落ちるのを見ることが出来る。写真ではなかなか伝わらないが、その自然の力を見ていると、身体全体が反応しているのがわかる。
ナイアガラ観光で、一番のオススメはヘリコプターだ。9分間という短い時間なのだけど、絶好の景色を見ることが出来るし、その浮遊感と恐怖に全身鳥肌が立つに違いない…高所恐怖症の僕は、ずっと絶叫していてパイロットのお兄さんが苦笑いしていた。

トロント観光。(その1 マーケットとCNタワー)

特殊な内臓系肉も売る店

クラムチャウダーに行列ができる

展望レストランからの眺め

トロントに来たら、『Distelly(先日ここに上げたウイスキーの蒸留所http://jingumae.petit.cc/banana/2331475)』、『セント・ローレンス・マーケット』そしてやっぱり『CNタワー』。
★セント・ローレンス・マーケット
旅行に行って市場に行けば、その国の生活がなんとなくわかるのではないだろうか。
1803年開業のセント・ローレンス・マーケットは、トロントらしく、さまざまな民族の食べ物や惣菜が並んでいるのだけど、セント・ローレンス・マーケットに行って驚いたことは、その清潔さだった。内臓系の肉を扱う店や、生魚を扱う店が向かい合って並んでいたりするのだけど、いわゆる市場特有の腐ったような臭いはまったくしない。
サンドイッチの有名店、クラムチャウダーの有名店、マスタードの店、キッチングッズを取り揃える店…僕は食にまつわることが大好きなので、この市場ならずっと探検していたいと思った。
★CNタワー
OUT tvのディレクターDと打ち合わせがあり、展望台の回るレストランで食事をした。世界三位の高さを誇る電波塔からは、トロントの街並みが360度見渡せる。
D「トロントは、どんどん住民が増えて新しいコンドミニアムが建築ラッシュを迎えているんだ。国際映画祭やサミットも開かれるし、国際都市としてもどんどん大きくなって来ている。多民族が共存する都市トロントは、これから先まだまだ発展していくと思うよ」
一つ下のフロアには、下がガラス張りになった展望フロアがあるのだけど、高所恐怖症の僕は、両手に汗を握り尻込みするばかりだった…。

カナダからの手紙。(トロント編)

夜のフライトでトロントへ。
数年来の友人である台湾人のRと晩ごはん。Rは27歳。トロント大学を出て、今は銀行で働いている。昨年の4月には日本を訪れ、僕の家にしばらく滞在していた。
Rのオススメの『Distillery』へ。
昔はここで蒸留水でお酒が作られていたという歴史地区が、今はレストランやお店、シアター、ギャラリーに変貌を遂げている。
自家醸造のビールのテイスティングや、トロントの水で日本酒を作っている店もあり、小さな出店が沢山並んでいた。
トロントに住みはじめて10年になるRに、こちらにずっといて、寂しくなることはないのか?と聞いてみると、
R「時々台湾のご飯が懐かしくなることもあるけど、ここは何よりも自由だから、僕はトロントで生きることを選んでる」と答えた。家族にカミングアウトしているRは、さらなる自由を求めてトロントで暮らしているのだ。
今まで人種差別を感じたことはあるか?と聞いてみると、
R「正確に言うと、あったと思うけど、普通に暮らす中では、アメリカのような生きづらさは全くないよ」と答えが返ってきた。
大きなクリスマスツリーが備え付けられ、クリスマスの飾り付けや、ターキーなどが焼かれて売られている『Distillery』は、子どもたちが楽しそうにはしゃぎ、大人は幸せそうに歩いている。
ふと見ると、男同士のカップルが何組か手をつなぎ、肩を寄せ合いながら通りすぎてゆく。
色々な人種や、年齢や、セクシャリティの人々が、それぞれに幸せそうに過ごすクリスマスのトロントは、歩いているだけで心が温かくなる町です。

軍艦島へ。

午後から、軍艦島へ行ってみた。
軍艦島へは、長崎港から5つくらいツアーがあるので、事前に予約するか、キャンセル待ちを狙えば船に乗ることができる。
世界文化遺産への登録に申請している軍艦島は『端島』という名前で、長崎港から19キロの沖合にある。
南北480メートル東西160メートルという端島は、遠くから見ると軍艦『土佐』に似ていたことから『軍艦島』で親しまれてきた。
1810年に石炭が出ることがわかり、1974年にエネルギーが石炭から石油に代わり閉山に追い込まれたのだけど、最盛期にはこの小さな島に5300人が住んでいたという。
それは当時の東京の9倍の人口密度を誇り、各々の家にはテレビアンテナまであり、ちょっと特殊な世界だったに違いない。
上陸した軍艦島は、人間に忘れ去られた廃墟の跡だった。
その残骸から、当時の賑やかだった時代を想像することは出来るのだけど、圧倒的な時の流れや、炭鉱というエネルギーに翻弄された人間たちの行いを、少し引いた視点で感じることができる。
(建物がかなり老朽化していて危険性もあるため、世界遺産の登録に関わりなく、近いうちに見学も出来なくなるかもしれない)