ポートランドの魅力。その2

Danner Boots

Tanner Goods

Canoe

雨にも負けない、強靭で機能的なマウンテンブーツのブランド『Danner』は、僕が高校の頃から身につけていたポートランドのブランド。
同じく高校から着ていた、タータンチェックのウールのシャツのブランド『Pendleton』も、ポートランドのブランド。
そればかりか、NIKE、アウトドアのColumbia、そして、爪先を守り革新的なデザインのサンダルのKEENもポートランドのブランドだ。
それらはどれも、海と山がすぐ近くにあり、川が町中をながれるポートランドならではの自然に恵まれた環境の中で生まれたものなのだろう。
ポートランドの魅力は、この土地ならではの環境を生かしつつサステイナブルなものづくりということと、DIYが盛んなことからもわかるように、手づくりにこだわった本物という二つの要素で出来ているように思える。
沢山魅力的なお店があるのだけど、その中から特にオススメのお店をここに挙げておきます。
★★★★★Danner Bootshttp://www.danner.com/unionway
雨にも風にも雪にも負けないダナー。長年履いているブーツが素晴らしいので、ダナーライトという軽めのものを雨の日用に買おうかどうか迷って、何度もお店に足を運んだ。店員さんは、心底ダナーの商品を信頼しており、愛しているのが伝わって来た。
★★★★Tanner Goodshttp://www.tannergoods.com
革を使ったハンドメイドのお店。洋服やキャンバス地の『WOOD LANDS』の味のある鞄も扱っている。一生ものの革と言われる美しい革製品を、何度も触ってはため息をついた。
旅の終わりに散々迷った挙句、茶色のベルトを調達した。バックルを選ぶと、目の前でベルトが出来上がる。一緒に年をとっていくのが楽しみだ。
★★★★★CANOEhttps://www.canoeonline.net
美しいもの、いいものだけを選りすぐったセレクトショップ。これだけレベルの高い店は、東京にもあまりない。お土産というよりも、自分のために美しい食器や雑貨を買って帰りたいと思える素晴らしいお店。
★★★MAAK LABhttp://maaklab.com
他に仕事を持ちながら、ハンドメイドの石鹸を使って売り出した店。原材料はすべてポートランドや近郊の植物で100%ナチュラル、店内はとてもいい香りに満ちている。驚いたのは、店内に糸鋸があったこと。作りたての柔らかい石鹸を、その糸鋸で切って商品化している。
こんな仕事、うまくいくのだろうか?と普通は考えてしまうけど、自分たちが信じるものを、文字通り手作りで商品化している店員さんの目は、とても澄んでいて輝いていた。
★★★Pendletonhttps://www.pendleton-usa.com/custserv/custserv.jsp?pageName=HomeStore&parentName=AboutUs
創業150年以上にもなるペンドルトンも、僕が高校の頃から着ているブランド。タータンチェックのウールのシャツジャケットは、どんなパーティーに着ていっても褒められたものだ。
実際に本店に行くと、サイズが大きく、デザインも少し野暮ったく見えたので、日本のセレクトショップが別注する商品の方がいいかもしれない。ホーム関係の商品は素晴らしい。

ポートランドの魅力。その1

N Mississippi Ave

The Meadow

アルバータ通りのゴミ箱

ポートランドに行くことがあったら、ダウンタウンのSW(SOUTH WEST)にある有名なACE HOTEL 近辺に泊まるのがいいと思う。
僕は、ACE HOTELの隣にある、マーク&スペンサーホテルに泊まったのだけど、安いし、広いし、スタッフはとても親切だし、キッチンは付いているし、コインランドリーはあるし、日本人スタッフもいるのでとてもオススメだ。
都市の機能は、ほとんどダウンタウンにあるのだけど、若いアーティストたちは安い家賃を求めて川を渡ったNE(NORTH EAST)にあるミシシッピ通り(N MISSISSIPPI Ave)やアルバータ通り(NE ALBERTA St)に住むようになった。(日本でも有名なKINFOLK というポートランド発のお洒落雑誌の編集部も、その川向こうにあるミシシッピ通りにある)
TRI METというバスに乗って行くと20分くらいで行けるのだけど(TRI METを検索して、今いる場所と行きたい場所のアドレスを入れると、すぐに乗るべきバスのナンバーや行き方が出てくる)、どちらも低層の民家が軒を連ねるのどかな田舎町のようだ。
東京で強いて例えると昔の代官山のように、ミシシッピ通り、そして、アルバータ通りには、個性的でお洒落なショップやレストランが点在している。
ミシシッピ通りの南にある『Beam & Anchorhttp://beamandanchor.com』は、ポートランドで作られた製品を集めたショップが一階にあり、上は職人の工房になっている。とてもセレクトのいい雑貨屋さんだから、お土産探しにいいだろう。
塩とチョコレートの店『THE MEADOWhttp://themeadow.com』は、狭い店内に100種類以上のチョコレートがあり、様々な塩がある。こんな不思議な店を僕は世界中のどこでも見たことがない!
『Pistils Nurseryhttp://pistilsnursery.com』は、町に溶け込んだお洒落な園芸屋さん。
『Paxton Gatehttps://paxtongate.com』は、驚くことに、動物たちの剥製を店中に飾ってる剥製屋さん。まさに、WEIRDだ。
ミシシッピ通りを少し北に上がって歩くと、有名なレコード屋さん『MISSISSIPPI RECORDS』があって、昔懐かしいLP盤が所狭しと並べられている(未だにレコードを集めて聴いている人がいるなんて驚きだ)し、その隣の『Sweedeedeehttp://www.sweedeedee.com』は、ポートランド1のモーニングで有名なお店だ(このお店に朝ごはんを食べるだけに来る人が沢山いる)。
アルバータ通りには、レストランの記事に書いた『BOLLYWOOD THEATERhttp://www.bollywoodtheaterpdx.com』というインド料理屋さんや、個性的なアートギャラリー、書店なんかがある。そしてなぜだか、様々な建物の壁面に色々な絵が描いてあって、ヘタウマな感じがこのポートランドの素朴な感じに合っているのだ。
通りを歩きながら、小さなお店を覗いていると、ポートランドの魅力が見えてくる。
それは、ポートランドは、ニューヨークなんかになろうとは思っていないことだ。
そんなことよりも、自分たちの手づくりのもの、その土地のものを生かしたものづくり、そして、他にはないユニークなものを売る店など、独自の文化を作っているのだ。
塩とチョコレートを集めて、一体誰が商売をはじめると言うだろうか…?
この完全にデジタルの時代に、誰がレコードを売って生きていこうと思うのだろうか?
剥製が好きだからって、世の中に剥製を買う人がそんなにいるのだろうか?
すべては彼らの、『好き』という思いからはじまっているのだろうけど、それらは時として周りから見たら『Weird』なことだったりする。でも、こうして田舎町の変わった店を見ていると、それこそ魅力的に思えてくる。
この世界では、メジャーであることよりも、変わっていたり、ユニークであることは、実は何よりも魅力的なことだということを、ポートランドは教えてくれている。

“Keep Portland Weird”

ドアを開けて右にキッチン左に洗い場

先頭に自転車が着いている

謎のおじさん

そんな言葉があるくらい、ポートランドを表す時に使われる言葉は、”weird”。
奇妙な、風変わりな、気味の悪い…という意味だけど、この言葉が個性的なこの町を物語っているようだ。
町を歩いていて、かなりの確率で男性も女性もタトゥーを入れているのに驚かされるし、なぜか長い髭を蓄えている男が多いのに不思議な気がしていた。
先日行ったレストラン『DOC』は、入り口からドアを開けて入ると、ドアの右側にキッチンかあり、左側に洗い場があって、その先に席が続いていた。それは確かにオープンキッチンなのだけど、料理をする姿も勿論、スタッフがワインを飲んでしゃべっていたり、皿を洗っている姿まで客席から丸見えで面白かった。
バスを待っていたら、白髪の革ジャンを着たおじいさんが、杖を振り回しながら、車椅子でヨーデルを歌いながら凄い速さで駆け抜けて行って驚いた。
しばらく呆気に取られて見ていたら、交差点の信号を渡り終えて、坂道でスピードが落ちてしまい、そこへ通りがかりのおばさんが、当たり前のようにその暴走おじいさんの車椅子の後ろを持って、道の上に上げてあげたり…。
バスに乗ったら、車椅子や歩行器の人たちが物凄く多くて、毎回停車するたびに、バス前方の運転手側のドアから道まで車椅子用に板が自動て降りるのだけど、あるおじいさんは歩行器を持っているのに、板が下されたことが不服のようで(自分は老いぼれではないと言いたい)、板がなくても歩いて上がれると運転手に文句を言っていた。
それでも、驚くことに運転手さんはとても親切で、おじいさんときちんと話をしたり、車椅子のおばあさんがバスが来たのに乗らないと、いちいち外に出て行っておばあさんに、「このバスには乗らなくていいの?」と聞いているのだから驚いてしまう。
待たされている乗客は、あらあら…と言った感じで眺めているし、バスの先頭には自転車が着いて走っていたりするし、なんだか人にやさしいんだかなんなんだかわからない感じなのだ。
30分に1本しか来ないようなバスを気長に待っているうちに、東京にいたら、5分電車が来ないだけでイライラしている自分を思い出して、不思議な気持ちになった。
無駄なく、便利であるために、合理性ばかり優先している東京にはない、人の温かみや人の個性が感じられるこの町を思う時に、”Weird”という言葉の奥深さを感じることができる。

ポートランドへ。

朝7時の便で、ポートランドへ。
町を歩くと、懐かしい匂いがした。
それは、大学一年生の時に、ロスのパサデナにある『Art Center College of Design』という大学に、夏の間行っていた時に嗅いだ匂い。西海岸特有の夏の渇いた風の匂い。
町は、今まで知っているアメリカの町のどことも似ていない…緑が溢れて、どこかヨーロッパの町にいるような不思議な感じ。
人々は気張っていなくて、どこか緩く抜けているような感じ。刺青をしている人と、やたらと髭を生やしている人が多い。それと、ヒッピーというか、乞食なような人もちらほら見かける。
アメリカの、経済優先なあり方や、インターネットの進化やSNSにより急速に変わってゆく人間関係や環境に対して、どこか距離を置くローカル力を最大の魅力とするこの町は、アメリカで最も進んだ町だと言われたり、アメリカ人が最も住みたい町にあげるような町だ。
この町を代表する『Powel’s books』は、世界最大規模の新しい本と古本を扱う店で、この時代においても、本の魅力に惹きつけられている人々が店中に溢れている。
また、有名レストランは、出来る限りポートランドの周りのオレゴン州や西海岸の産物を使って、ここにしかない料理やワインを提供しようとしている。
繰り返され拡大されてゆく消費社会、インターネットの普及やSNSの発達では得られないものが、この町の暮らしの中に息づいているようだ。

旅のはじまり。

今回、デルタ航空にしたのは、ポートランドと成田の直行便が飛んでいたから。夕方のニューヨーク行きの便に乗り込むと、アメリカの航空会社はつくづく第3世界の航空会社のように思える。登場人物は…
A. イブサンローラン
僕の右隣は、ジャケットにメガネをかけたイブサンローランのような白人が座っている。
濡れたおしぼりが配られたら、自分の手を拭いて、顔を拭いて、そのあとシートのテーブルを拭いて、モニターも何もかも拭いていた。食事は別にベジタリアンのようなものが運ばれてきた。
★『神経質なオカマ』だと思っていた。

とてもお行儀の良い人なのだとわかった。トイレに立つ時も、スマイルを欠かさないし、通路ですれ違っても「私は貴方のことをわかってるわ」的な頷くようなスマイル。
B. ピアニスト
通路を挟んで左の日本人の40代くらいの女性は、乗ってきてからスマホで会話をしていて、搭乗口が閉まってもずっと話をしていた。隣の外人と英語で話しているのを聞くと、ピアニストだということがわかった。
★「電話ばかりかけて迷惑な女だなあ…」と思っていた。

飛行機の中で眠らずにずっと語学の勉強をしていた姿を見て思い直した。『周りを気にしない熱血ピアニスト』なのだ。きっと。
C. フラワーチルドレン
左斜め前は、30代はじめの浅黒い背の高いブラジル人のような男と、白人のぽっちゃりした女、3歳くらいの子どもがいる。30分おきくらいに女がシートの肘掛けに立ち上がり荷物を取り出し、床に子どもと寝転がっている。
★煩い家族だと思ってた。

世界には、規則に縛られない人たちがいるのだ。そもそも、僕が彼らをジャッジする必要などないのだ。(飛行機の中では安全性が気になるけど)、彼らは深く愛し合っている家族なのだろう。椅子の上よりも床に寝るのが好きなのだ。
日本で暮らしていると、人に迷惑をかけないことが暗黙のうちに常に求められるし、それによって無意識に他人を推し量ろうとしていた自分がいる。
人はみんな違うのだ。
目の前に立ち現れる事象には、恐らく、それ自体に意味などないのだろう。
そこにあるのは、それをどう捉えるかがあるだけだ。
そんなこんなで、ニューヨークに着きました!

サンフランシスコ?バンクーバー?ポートランド?!

ニューヨークに行くことになったのは、Bridge のMが、もともとニューヨークに一緒に行くはずだった友人が行けなくなってしまい、その都合でミュージカルやライブのチケットが余ってしまうから一緒に行かない?と声をかけて来たから。(それで二つ返事で行くという僕もどうかと…)
ついでに、昨年末に行ったトロントが楽しかったので、ニューヨークの後、トロントでパレードを見ようということに。でも、そこから先の行き先をなかなか決められずにいた。
旅行って、ワクワクしたいじゃないですか?
冷静に考えてみたら、ニューヨークでさえ、もう仕事の都合で行ければいいかな?くらいでいるので、自分がもはや、アメリカにはなんの興味も持っていないのだ。
サンフランシスコの本を買い、バンクーバーの雑誌を取り寄せ、それでも心が動かず決め手に欠けていた。
たまにブリッジに飲みに行っては、「もう、旅行やめるかも…」と弱気になって、一緒に行こうとしている友人たちを焦らせたりしていた…。
そんな時ふいに妹のGが、「ポートランドがいいですよ!だって、アメリカ人が一番住みたがる町なんです!それに、ポートランドに行って、僕はカラフルステーションみたいなものを作ろうと思ったんです!」
「え?何?ポートランドってアメリカ?全然場所もわかんない…」
書店で本を買ってみると、バンクーバーの下にシアトル、シアトルの下にポートランドがあり、サンフランシスコの上に位置していてなんだかあらゆる意味で進んでいる町のようだ。
美味しいレストランもあるし、面白そうなショップが目白押し、素敵なギャラリー、自然もあるし、NIKEなどスポーツブランドの拠点でもある…
「そうだ、ポートランドいこう!」
飛行機を調べるとトロントからポートランドまでが意外と面倒なことがわかり、しかも飛行機代金も高く、もう一度挫けそうになり友人に「もうやめる!」と言って困らせたのだけど、結局無事にポートランドに決定!

再び、神の島へ。

杭のない鳥居

ゴミのない町

お店は5時ごろ閉まってしまう

午後のフライトで岩国空港、そして宮島へ。
今日の干潮は夜8時ということで、ご飯の前に厳島神社へ行ってみた。
鳥居まで歩けそうだったので、途中から靴を脱いで鳥居へ向かう。干潮時に鳥居を触ると御利益かあるそうで、人が沢山集まっていた。
海の中に毅然と立つ鳥居は、昔から杭などを一切使っていないそうだ。
そればかりか、山の樹々は切ってはいけないということになっているようだ。神の島だから、原生林のままの姿に触れてはいけないとのこと。
鋤や鍬で植物を刈るのもいけないため畑もない。
コンビニはないし、お店は5時ごろ閉まってしまう。
お墓もないし、火葬場もない。
数年前までは選挙ポスターでさえ候補者の名前だけ墨文字で書かれているだけだったようだ。今でも選挙カーは走らない。
神の島だから、神を穢すものはこの島には存在出来ないということだ。
何千年も昔から人々が守って来た言い伝えのまま、神の島として大切にされているこの島の暮らしを見ていると、こういう場所が日本に存在していることを誇らしく思える。
町中に鹿が普通に歩いていて、ゴミなど落ちていない町。
島に来る観光客もきっと、この島へ訪れたことによって、自分の日頃の暮らしに思いを馳せるのではないだろうか。

宮島へ。

会社に入ってまだ間もない頃、クリエーティブ研修をしている時に局の次長が僕に行った。
「アイデアというものは、丁度、海に鳥居を建てるようなものだよ」
その頃、この人は何を言ってるんだろう?なんて思っていた僕は、宮島の厳島神社へ来て、彼の言いたかったことを考えた。
厳島神社は、推古元年(593年)創建の世界遺産だ。昔から神の島と崇められていたので、御社殿を敢えて海水の満ち引きする場所に建てたそうだ。
はじめて降り立つ宮島は、ここがこうして美しいまま残されていることに感謝したくなるような、日本人として誇らしく思うような美しい島だった。
町を流れる小川には、ゴミひとつ落ちていることはなく、町のいたるところに鹿がのんびりと歩いている。
そして、山全体を覆うかのように輝き続ける新緑のもみじは、紅葉の美しさを想像させる。
仕事でほんの数時間滞在しただけだったのだが、またすぐに訪れたいと願った。
恐るべし、世界遺産。

恐るべし。醍醐寺。

桜の咲く頃、京都の醍醐寺を訪れてみて欲しい。
山科の細い道を進むと、左側に桜の群れの濃淡が見えてくる。
桜に誘われ寺に入ると境内は広く、いつの間にか、自分が『桜の園』に迷い込んでしまったことを思い知る。
ここにある様々な種類の桜が、いったい何百年この不思議な世界を築いて来たのかはわからない。その姿は仙人のようでもあり、森の精のようでもある。
この世界に、完璧なものがもしも存在するとすると、一つは醍醐寺の桜だろう。
豊臣秀吉は、この醍醐寺の三宝院の奥で『醍醐の花見』を開き、数週間後に瞼を閉じた。
これが、世界遺産というものなのかと、身体で感じることが出来る。

桜の、京都へ。

桜は毎年咲くのだけれども、満開の時期に京都に来たことがなかった僕は、一度桜の時期の京都に来てみたいと思い、1年前に、京都のホテルを予約していた。
数週間前から桜の開花予想が気になり、暖かくなって見頃は一週間早まるかもしれない…などとやきもきしながらも、結局1年前に押さえたスケジュールが満開の時期となった。
こうしてこの時期の京都に来て思うことは、京都の桜は、東京のようにソメイヨシノだけではなく、枝垂れ桜など様々な桜が混在していて、川や古い建物と美しく寄り添っていることだ。
祇園で食事を済ませた後、円山公園まで足を延ばすと、突然目の前に、大きな枝垂れ桜が現れた。
何百年と生きてきた枝垂れ桜は、紅の色を樹の内にたぎらせ、全身を使って大空高く生きている喜びを放ち続けていた。
それは、一瞬と思える美しさを、際限なく積み重ねて、まるで永遠に続くかのように感じられる夢のような時間だった。