ひとつのバラの花。

朝起きてベランダに出ると、先週咲きはじめたバラ『マダム・アルフレッド・キャリエール』の花が3つ咲いていた。
一つを切って、グラスに刺してみた。
原種に近いオールドローズは、高島屋のような改良された姿の花びらではなく、昔懐かしいティッシュで作ったバラのようなくしゃくしゃっとした野趣溢れる形をしている。
花の花弁はいったい何枚あるのだろう?
花弁は幾重にも重なっていて、レモンのようなさわやかな香りがする。
この季節に枝に生えている蕾を数えると、一つのバラの木に軽く200は超えている。
バラは、こんなにまで精巧な花びらを自ら作り出し、何百という花をこれから咲かせようとしている。
冬の間は裸木だった枝からは想像できないほど、今はダイナミックに葉が生い茂っている。
たった一輪のバラを見ているだけで、この宇宙の不思議を感じることができるのだ。
これから数週間は、バラを慈しむ日々になる。

早くも、バラが咲きはじめました。マダム・アルフレッド・キャリエール

マダム・アルフレッド・キャリエール

今年も、気がつくとバラが咲きはじめていた。
毎年ゴールデンウィークの少し前に咲きはじめるバラは、今年に限っては2週間早く咲きはじめたようだ。(この日記を振り返って見ると、昨年は30日に、一昨年は26日に咲いた記録があった)
今年の桜の開花が早いのは、昨年末に僕はわかっていた。なぜならばバラの芽が動きはじめたのが例年になく早かったから。3月に寒い日が続いて桜の開花も遅れると言っていたけど、僕はそうは思わなくて、きっと早く咲くだろうと思っていたのだ。
日増しに伸びてゆく葉っぱの中からバラの蕾が見えたかと思うと、あっという間に蕾がほころびはじめる。毎年のことだけど、ある日起きるといきなりバラが咲いているのを発見して驚くのだ。
新緑の町を歩いていても、目にとまるのは植物の葉っぱや花ばかり。桜が咲いて、イチョウの新緑が見え始めバラが咲くこの時期は、園芸家にとって最も幸福を感じる時かもしれない。
寒さの中、2月に植え替えたバラの木は、今のところ順調に育って来ている。今年も我が家の8本のバラは、どんな花を咲かせてくれるのだろうか?

八重桜。

鬱金

新宿御苑に、Kとふたり八重桜を見に行った。
今年に入って新宿御苑に行くのは、これで5度目。それもこれも、年間パスポート(2000円)を持っているから。これがなかったら、もしかしたらソメイヨシノのシーズンしか行かなかったかもしれないけど、これがあるおかげでちょっと緑の中に身を置きたい週末の朝なんかに、気軽に御苑の大木の中に行くことが出来る。
ソメイヨシノの頃のような人出はないものの、家族連れが多く、桜の下とかあまり関係なく芝生の上で寛いでいる感じ。
実は、八重桜のことを、昔はどうしても好きになれなかった。山桜やソメイヨシノのような一重の桜が、日本の桜であり、八重はなんだか人間の欲望によって無理矢理作られた造花のようなものに思えたのだ。
それがいつ頃からだろうか、この、学芸会や商店街の飾り付けのようにさえ見える八重桜のことが、だんだん好きになっていたのだ。僕が思うに一重の桜は、樹木全体を遠くから眺めるのに向いていると思うし、八重桜は、舞台のように近くで見るのに向いている。
八重桜の品種は新宿御苑の中でも意外に多く、『関山』『一葉』『福禄寿』『兼六園菊桜』『ギョイコウ』・・・よく見ると葉の出方や花の大きさ、ピンクの濃さなどかなり違っているのがわかる。
前にもここに書いたことがあると思うけど、僕はこの中でも『鬱金』が好きだ。
緑色の花弁を持ち、ところどころピンク色の色が潜んでいるような花色は、シックだけどどこか華やかで移り気なゲイのようではないか。
花の時期はだいたい10日。この足早に移り変わってゆく春を、今年も見逃さずにいたい。

バラの枝の誘引。

このところの春の陽気で、急にバラの芽が動き始めた。本来ならば1月や2月のもっと寒い時期に行うものなのだけど、今こそやらねばと重い腰を上げてバラの枝の誘引を行った。
なぜ寒い時期がよいかというと、バラの葉っぱが落ちていた方が、枝を望む場所に定めやすいのと、休眠状態にある時期の方が枝を曲げやすく折れることも防げるから。また、棘も寒い時期の方がなぜか手や洋服などに絡み付きにくいようなのだ。
早朝から素手で行ったバラの誘引は、ところどころ手を棘で傷つけられてしまい、帰って来たKが心配してクリームを塗ってくれた。
それでもこれで、春の満開のバラを思い浮かべながら、毎日の成長を見守ってゆくことが出来るようになった。園芸をしていると、季節が目の前でぐんぐん動いてゆくのをリアルに感じられる。
これから暑くなるまでの間は、園芸家にとって毎日が夢の園にいるような気分なのだ。

イタリアの貴婦人

冬のはじめに植えたパンジー『イタリアの貴婦人』が、先週末の暖かさもあって、勢いよく咲き誇っている。
大きな鉢のコンテナは、冬の間ずっとパンジーやプリムラが咲き続けてくれていたところに、春の気配とともに鉢の下からムスカリやスイセンの芽が伸びて来て、あとを追うようにチューリップの芽も出始めた。
毎年春を迎える頃は、家のベランダは花々で溢れかえるのだけど、当たり前のことだけど昨年と同じ花はなく、この年になって再び迎える春に心踊るものだ。
水耕栽培のヒヤシンスが終わった部屋に、『イタリアの貴婦人』をいける。
外で摘んできた草花を、毎日いけることができることの、なんと幸福なことだろうか。

クリサンセマム・ムルチコーレ

春を感じるような陽気に誘われて歩いていると、黄色い花が目に飛び込んできた。
キク科のクリサンセマムに見えるけど、よりマンガのように丸みを帯びた花びらは、クリサンセマム・ムルチコーレというらしい。
太陽のような暖かな黄色を見ると、元気が湧いてくる。
そう思って、一株150円のムルチコーレを6株大人買いして、先週植えたピンクのゼラニュームの隣に植えるつもり。
鮮やかなピンクと黄色の配色は、予期しなかったものだけど、たまにはド派手なベランダもいいかもしれない。

ありふれた花。

鮮やかに咲き続けるセラニウム

昔は、イングリッシュガーデンに憧れて、凝った花や植物ばかり集めては、栽培していた。斑入りの葉っぱの美しいホスタや、難しい名前のオールドローズ、とても珍しいハーブなんかを。
もちろん今でも、珍しい植物や難しい植物を育てることは園芸の一つの醍醐味だと思ってはいる。
でも今までとは違って、この頃は大衆的な花や食物も好きになってきたようだ。
夏にはここにも買いた『ヒャクニチソウ』の野趣あふれる色彩に惚れ惚れするし、最近だと丈夫で花期が長く病気知らずで、おまけに驚くほど彩度の高い花を咲かせるゼラニウムが好きだ。
ゼラニウムは春先の寒い時期から、春を通して次々と鮮やかな花を咲かせ続けてくれるので、僕はベランダの淵にいくつもゼラニウムを並べて、遠く道行く人にも見えるように飾っている。
朝起きた時にちょっと元気がなかったとしても、鮮やかなピンク色の花びらを見ると、不思議と元気がもらえるものだ。
それに、ゼラニウムの花を見ていると、昔よく訪れたイタリアの田舎の町を思い出す。
ありふれた花であってもいい。鮮やかに毎日を謳歌しているゼラニウムを、今はとても愛しく思うのだ。

バラの植え替え。

ベランダでバラを育てていて一番大変な作業は、コンテナの植え替えだ。
バラの植え替えは、バラが休んでいる冬の間にやらなければならないため、凍えるような冬の日にかじかんだ手をこすりながら、バラの棘に刺されることになるのだ。
このマンションに引っ越して来た年に新しい鉢に植え替えたのだったけど、2年も経つと鉢の中は根がびっしりとはびこり、新しい根が伸びてゆくスペースがないのがわかる。
新しい根が伸びないということは、それだけ花の数も咲かせられず、花の大きさも小ぶりにならざるを得ない。植物の地上と地下は、基本的には同じ大きさを反映しているからだ。
久しぶりに東京で過ごす週末はどうやら暖かいらしいので、どうしてもバラを植え替えようと思い、気乗りのしないまま午前中にはじめた。
奔放に伸びた3メートル以上ある枝を集めて紐でまとめて縛り、テラコッタの重いコンテナを運び引っこ抜く。
丁寧に付いている土を落としゴミ袋に入れ、今年からは保水性の高いプラスチックの鉢に土を入れて植えつけた。
全部で6つあるコンテナのうち2つ終わって、3つ目のバラは根元までびっしりと棘が生えていて、雑巾で枝を持っても容赦なく指を刺してきた。
その痛みときたら、「もう2度とバラなんか育てない!」と叫びたいほど超痛く、そのまま座って泣きたくなった。
「ああ、こんなこと、もうかれこれ20年くらいやってるんだよなあ…
世の中にバラがなかったら、人生はどんなに穏やかだっただろう…」
そんな風に思いながらもなんとか目標の6本のバラの植え替えを終わらせた。
仕事から帰ってきたKに、棘に刺された手や指を見せながら、どんなに大変だったかをとうとうと話したのだけど、Kにとっては全てが笑い話のようで、ケラケラ笑ってばかりいる。
今年一番しんどい作業でヘトヘトになったけど、これで美しい花が見られると思えば、やっぱり頑張って植え替えをしてよかったとつくづく思ったのだった。

春の気配。

朝起きてベランダに出て、何気なくバラを見ると、バラの新芽が少し膨らみ始めているのを見つけた。
暦の上では春はもう少し先なのだけど、植物たちは3月頃に急に「春だー」と言って動き始めるわけではなく、落葉樹が葉を落としてすぐに、ほとんど休眠することもなく12月には根を出し始め、動き始めるように思う。
桜は、去年の盛夏にせっせと作った花芽を膨らませ始め、日本水仙は気が早く、12月にはみんなよりも早く春の訪れをいち早く告げようと咲き始める。
今日の東京では、4月を思わせる暖かな気温になり、今年もまた春が来るのだと、ただ歩いているだけで嬉しくなったのだ。

ヒヤシンス。

福岡から帰って来て、真っ先にベランダに出た。
寒い中、4週間ダンボールに入れておいたヒヤシンスを出すために。
ダンボールを開けてみると、ヒヤシンスの白い根がビッシリと伸びていた。(写真左奥のものは、芽が下からいくつも出ていて、少し水に浸かっていた部分が少なかったのか根が短い)
ダイニングのテーブルの上にひとつ。
玄関にひとつ。
洗面所にひとつ。
リビングの窓際にひとつ。
リビングのローテーブルにひとつ。
それぞれ違う光の当たり具合、暖房の当たり具合の場所に置いて、これから成長してゆく姿を見守っていこう。
小さな球根の成長を見ているだけで、毎日ダイナミックな宇宙の力を感じることができるのだ。