ひろしさんがパタヤから帰ってきた。

ぺんぺん草のドアを開けると、いつもより人が多く、そのうちに狭い店は満員になり、後ろに立つようになった。
2週間あまりタイのパタヤに旅行に行っていたひろしさんが帰ってくる日を、どうやら常連たちは待ちに待っていたようだ。みんなが代わる代わるひろしさんに何か話しかける。
素敵な出会いはあったのか?
お金で男を買いまくったのか?
どうせエッチな店に入り浸っていたのではないか?
今年の衣装は買えたのか?
タイのパタヤは、僕の中ではドバイ、バンコクと並ぶ、世界で最も嫌いな町の一つだ。そのパタヤにひろしさんが行くと言いだしてから、僕はずっと反対し続けて、他の島に行くようにすすめていたのだ。
僕「で、どうだったの?パタヤ。好きになった?」
ひろし「私はもう、あそこはいいわ…」
パタヤに行ったことがある人ならば、ひろしさんの言いたいことはわかると思う。世界の汚いものを小さな町にぎゅっと集めたような町なのだから。
ひろし「Tiffanyが凄かったのよ!あんた行ったことある?」
僕「パタヤに宝飾店なんてないでしょ?」
ひろし「バカねあんた。それがすこい所なのよ。
バイオリンの子が凄くてね。若い子が出てきてまっ裸でスカートだけ履いてるの。その子がバイオリンを弾くのだけど、こっちに歩いて来て弾いてると、風が下からフワーッて舞い上がって、スカートがめくれ上がるんだけど、凄い大きなおちんちんが勃起してるのよ!」
「バイオリン弾きながら、風でフワーッフワーッなのよ。下はすんごい勃起していて、私、もう、何がなんだかわからなくて目が釘付けだったわ…フワーッフワーッ」
僕は大笑いしながら、「それにしても、ぺんぺん草って本当にくだらないお店だわ…」そう思いながら、幸せな気持ちで帰ったのでした。
フワーッフワーッ…
ちょっと見てみたい気もする…

ゲイバーに入ること。

実は昔、ゲイバーに入っていたことがある。
入っていたと言っても、お金をもらってアルバイトをしたわけではなくて、マスターも誰も入れないような時に、お手伝いを頼まれて入っていた。
ぺんぺん草はお客さんを集めて劇団もやっていて、毎年12月の第1週目の週末に公演があるのだけど、ひろしさんがバリ島で次の芝居の台本を書くという名目で1月の終わりに長期の留守をする。
当時、僕はまだ20代前半だったのだけど、ほとんどのお客さんを知っていたのと、「あんたならみんなが怖がるから大丈夫…」というわけのわからない理由からだったと思う。
実際にゲイバーに入ってみると、自分が客で来ていた目線とは全然違って、お客さんの顔を真正面から見ることになる。よく知っていると思っていたお客さんも、お店の中と外で接するとまた違った表情をしていることがわかるし、普段あまり話せなかった人とも店の人ということで話すことができて、今思うととても楽しい経験だった。
ごくたまに、全く知らない年配のお客さんがやって来て、ぽつんと座ってしばらく会話をするのだけど全然帰る気配がなくて、会話もいやらしい感じになってきて…他のお客さんも途絶えてしまって…そのうち襲いかかってきたらどうしよう・・・と友達に電話して来てもらったこともあった。(当時はまだ若かったので…^_^;)
その逆もあって、前からタイプだなぁと思っていた人が来ると、無理やり沢山飲ませて、酔っ払った勢いでちょっとエッチなことをしたりもした(笑)。
久しぶりにぺんぺん草を覗くと、ひろしさんのいない最終日で、常連のお客さんが入っていた。ワンコインでお酒を飲みながら、昔はよくこの店に入ったなぁと、色々な出来事を懐かしく思い出した。
今でも時々、またゲイバーに入ってみたいなあ…と思うのだけど、今となっては、なぜだかどこのお店も僕を入れてはくれない…

冬の寒い夜に。

冬の寒い夜に、久しぶりに二丁目の店を覗く。
その店に入ると、角のカウンターに案内された。
90度左隣には、引き締まった身体の短髪30代が座っていて僕と目が合った。
席に座ると、短髪の脚が僕の脚のすぐ先に感じられて、彼の体温が遠赤外線のように伝わって来た。
「あたたかいですね…」と僕が言うと、
「体温が高いんです。ボク」と短髪は少し照れたようにこたえた。
僕の酒が運ばれてくると、短髪は僕と乾杯をした。その自然なしぐさからは、あたかも僕たちが昔から知っている友人同士のような親密さが感じられた。
笑った目が澄んでいる。話をしていると、年が僕より10才くらい下だということがわかった。
ふと短髪がトイレに立とうとした時に、温かい手が僕の左股を掴んだ。
誰もが誰かを探している。一夜限りの人であれ、生涯をかける人であれ。
人間とは、なんて愛おしいのだろうか。

パレードへようこそ

イギリスのゲイパレードがらみの映画がこの春上映されるというので、弟のようなFから試写会に行こうと言われ、予備知識もないまま出かけたら、ここ数年で最も心動かされた素晴らしいゲイ映画だったのです。
時代は1984年のサッチャー政権。長引く不況の中、サッチャーは20カ所の炭坑を閉鎖することに決め、炭坑は長期のストライキに入っていた。
ロンドンで暮らすゲイのコミュニティは、自分たちセクシャルマイノリティと同じように、巨大なサッチャー政権に痛めつけられている炭坑夫や家族たちのために立ち上がり、『LGSM(lesbians and gays support the miners)』というメッセージを立ち上げ、募金を集め始める。そして、集まった募金を炭坑に届けると、保守的なウエールズの村の人たちとの交流がはじまる・・・。
リトルダンサーを見ている人たちには想像できるだろうけど、その時代の保守的な炭坑夫たちのありようと、ゲイのありようはおよそ相容れないものだ。炭坑の村で暮らす人にとって、ゲイやレズビアンはきっと異星人のような者だろう。物語は、様々な登場人物の立場や性格を描き出しつつ、今までのゲイ映画では見られなかった炭坑夫たちとの交流の中で、次第に大きなテーマを映し出してゆく。
この映画は、実話をもとに作られている。ちょうどAIDSが流行りはじめていて、同性愛者への偏見が世界中に蔓延している時に、イギリスでは奇跡のような出来事が起こっていたのだ。
カルチャークラブ、フランキーゴウズトゥハリウッド、ザ・スミス・・・80年代に一斉を風靡したイギリス音楽のオンパレードは、彼らもゲイであるためより一層力強いメッセージとなって響き渡る。
そして、ビル・ナイ、イメルダ・スタウントンなど、素晴らしい俳優たちが脇をがっちり固めている。
観終わった後に、何とも言えない温かい感動に包まれるだろう。(ぜひ、感想をお聞かせください)
※4月上旬シネスイッチ銀座にて公開予定。
★パレードへようこそhttp://www.cetera.co.jp/pride/

Mとランチ。

3種類のカレー

スペシャルのタンドール

隣の会社に勤めているゲイのMは33歳。27歳くらいの時から知っている妹のような存在だ。久しぶりに「部署も変わって時間も出来たので、ランチに行きましょうよ。」ということでランチに。
銀座の外れにある『カイバル』は、タンドール料理が美味しいインド料理屋さん。夜は夜でカレー以外の料理が美味しいのでワインと合わせてゆっくりインド料理を堪能出来る。
一通り近況や世間話が終わると、Mは僕の行っているジムの話を色々聞き始めた。
「そもそも、なんでただしさんがジムなんかに行こうと思ったの?」
僕「20代半ば過ぎるくらいから、何もしていないと人間は筋肉が年に8%くらいずつ減っていくんだよ。自分の父親が70歳で亡くなった時に、とても小さくなってしまっていて、いつかそんな時が来るとしても、自分はまだあんな風になりたくはないなぁと思ったんだ…」
僕「それに、いくつになっても、普通にスーツとかきれいに着ていたいなあと思って…
誰かにモテたい…とかではなくて、自分できれいにしていたいなぁ…って言う感じかな…」
それを聞いてMは笑い出した。
M「…自分が綺麗でいたい…」
僕「そもそも、なんで俺にジムのことなんか聞くの?もっと体育会系のゲイに聞けばいいじゃん!」
M「いや、体育会系のオカマの話を聞いても役に立たないから、文化系オカマ代表に聞いておきたくて…」と言って大笑いしていた。
僕が出会った20代の頃のMは生意気で、痩せていたし身体のことなんか気にすることなどなかったに違いない。
それが33歳ともなると、自分の身体も20代の頃とは様子が違ってきたことを、認めざるを得ないのだろう。
数ヶ月後に、成果を出した身体になってまた会おう!と言ってわかれたのでした。
★カイバルhttp://dhabaindia.com/khyber/

台湾から、カップルが来た。

Eは42歳、Rは35歳、台湾人のゲイカップルだ。
昨年の台北パレードの時に、ホテルの予約からパーティーのオーガナイズまですべて引き受けてくれたEは実業家で、間も無くリタイアすることを考えている。
Rは、台北のパン屋さんでパンを焼いていたのだけど、今回、お菓子作りを学ぶために代官山のル・コルドンブルーに1月から入学した。
Rの通うル・コルドンブルーの勉強は、かなり厳しいらしい。定期的に試験があるので、それに合格しなければ次のステップに行けないとのこと。
Rは、シャイで笑うと目がなくなってしまう愛くるしい顔をしている。身体はがっちり筋肉質。それでいてとても素直な性格で、僕が年上のせいかとてもなついてくれている。
Rが日本に来て一人で暮らし始めてから、学校のことや暮らしに不備はないかなどLINEでやりとりしていたのだけど、1月の週末は僕があっちこっち行ってなかなか会う機会がなく、今回Eの来日に合わせてやっとイロドリでご飯を食べることができた。
EはシャイなRの性格を気遣って、Rが席を立った後に僕に、「Rはシャイだから、自分から連絡しないんだよ。ただしを煩わしてはいけないと思っているんだ」と、東京生活を心配するお母さんのように言ってくる。RはRで、ストイックな性格でもあるので、学校が終わると、真っすぐに家に帰って来ていたという。
Eは、Rの学校がある間、毎月東京に様子を見に来るようだ。学校が終了してから先のことは決めていないけど、Eはリタイアをしたら東京でしばらく暮らしたいと言う。そのために、東京で家を買おうと思っているところ。
いつかRのお店を開けたらいいなぁという話になった。
「この神宮前二丁目界隈に引っ越して来たらいいのに。イロドリのそばでお店もやればいいじゃん!」と、横から僕の妹のGが口を挟んだ。
「そして、みんなで一緒に暮らせる場所を作ろうよ!」
国境も越えて、友人たちが少しずつこの町に集まって来る。僕たちにとって暮らしやすい町を、この神宮前に作れたらいいなぁ…とぼんやりと夢見た夜でした。

70歳のゲイライフ。

久しぶりに『ぺんぺん草』に行ったら、70歳の有名人Pがいて、その後、『九州男』のマスターだったM67歳、その友達の75歳くらいの友人A、そしてぺんぺんのひろしさん68歳という、高齢者ゲイの集まりになった。
映画の話、歌舞伎の話、舞台の話、宝塚の話、僕の知らない昔の女優さんたちの話で盛り上がっていたのだけど、話はやがてセックスの話に…
ひろしさん
「あんたたち、前立腺癌にならないためには、精液はとにかく出した方がいいんだって。でないと身体の中で溜まって、前立腺癌になっちゃうんだってよ!セックスでもマスターベーションでもいいから、とにかく出しなさい!」
P「あたし、やり方ももうとっくの昔に、忘れちゃったわ…」
M「Aはいいわよねー。かわいい恋人がいて!」
A「あたし、恋人がいるけど、セックスよりも自分でやるのが好きなの…」
ある程度年をとると、いつか性欲なんて薄くなってしまうのかと思っていた。でもどうやら、そうではないみたい…
アラウンド70歳のゲイの人たちを見ながら、大笑いした夜でした。

誘惑。

僕が東京で行っているジムの支店が福岡にもあって、福岡に行った時にはたまにKと一緒にジムに行くことがある。
Kはまるで僕をパーソナルトレーナーのように扱うので、僕自身は何にも出来ないのだけど…。帰りのフライトが9時だったので、ランチの後に映画まで時間が空いたのでジムに行った。
ウエアに着替えた後に洗面所で歯磨きをしていたのだけど、そこへ、30代前半の程よく筋肉のついた男がシャワーの後にブリーフ一枚で現れた。
僕は鏡越しに歯を磨きながら見ていたのだけど、腹筋は割れた上にうっすら脂肪がついた感じ。言うなれば、学生の頃体操部にいました…的な。
目が一重で色が白くスッキリとした顔立ち(タイプ)。僕の胸の中では大蛇が渦巻き自分でも制御できないくらいバクバク鳴っていた。
すると、髪をドライヤーで乾かしていた体操部は、おもむろにブリーフの前の部分を左手で下げて、自分の局部にドライヤーを当て始めた…シャーッ!
僕の目は、鏡越しに彼の局部に釘付けのまま、体操部は少しガニ股でアイロンを上下に動かし続けた。シャーッシャーッ!
僕が目を離せなかったのは、彼のものが大きかったのと、亀頭に金属が見えたからなのだけど、それはまるで時間が止まったかのように長く感じられ、ハッと我に帰ると、横でKが冷ややかな目で僕を見ていた…。
世界は、誘惑に満ちている。

16才違いの男同士?

ご夫婦でやっているお寿司屋さんの大将は、カウンターに着くなり僕に名刺を差し出した。そして、流れから僕も名刺をお渡しすることに。
大将は僕の名刺を見て、「オタクの会社の方はお世話になっております。福岡の会社も、東京の会社も」と言った後、Kに、「同じ会社の方ですか?」と聞いた。
Kは、慌てて「いえ、違うんです」と答えると、「ではどんなお仕事を?」と聞かれ、「大分の病院で働いてます」と答えたのだけど、大将にしてみたら東京と大分に別々に住んでいて仕事も全く違う男同士二人(しかも年齢が16も違う)が、なぜ一緒に寿司屋に来ているのか、どうしても気になっていたようだ。
美味しいお寿司が滞りなく終わって、デザートになった時に僕は洗面所に立った。帰ってくるとKが微妙な顔をしていて僕のスマホのLINEを見ろと合図した。LINEにはKから、「ただしくん、僕の従兄弟で、お父さんが本家に婿養子に来たことにした」と書いてある…???
どうやら僕のいない間に、「お二人はいったいどういうご関係なんですか?」と、大将はまた斬り込んで来たらしい。きっとずっと気になっていたのだろう。
そしてKは、「僕たち、従兄弟同士なんです」と答えたそうだ。
そしたら大将は、「でも、なんで姓がちがうんですか?」と聞いたそうだ。(するどい!)
Kはそこで、「ただしさんのお父さんが婿養子に来たんです」と、即答したらしい…。
事の次第をなかなか呑み込めない僕は、それをLINEで読んで、なんだかとても複雑な関係の二人を演じなければならなくなったと思い、ちょっと笑ってしまった。
会計を済ませて外に出た後でKは、「ただしくんがトイレに立った隙に、絶対に僕に大将がふたりの関係を聞いてくると思ってたの…だから、ただしくんをトイレに行かせたくなかったけど、必死で考えてあったから大丈夫」と言った。
僕は、「何も僕のお父さんを、本家に婿養子にしなくてもよかったんじゃない?」と言うと、「でもそれが一番いいかと思って…その後離婚したことにしたから…」「え?離婚までさせちゃったの?」と聞く僕に、Kは笑って「うん」と言った。
僕たちのようなゲイのカップルは、レストランなどで時々こんな状況に晒されることがある。お店側は悪気がある訳ではなく、親しみを感じているからお客さんに聞いているだけなのだけど、初めて入った店で、他のお客さんもカウンターで静かにお寿司を食べているのに、
「僕たち実は、恋人同士なんです!」などといきなりカミングアウトするのも憚られる。
僕はこんな状況を、今回は面白いと思って聞いていたのだけど、保守的なKにしたら、かなりビクビクしていたようだ。
「今度どこかで何を聞かれてもいいように、僕たちの筋書きを決めてあげて!」と、僕に真剣に言った。

世界は変わって来ている。

Tokyo Rainbow Prideの打ち合わせで、23人くらいの関係者が集まり様々な議題が登ったのだけど、一つ気になる話題があった。
『東京でパレードをやったとしても、二丁目にいるようなゲイのほとんどは、パレードなんかに関心はないということ。(これは二丁目に限ったことではないのかもしれないけど)』
前に二丁目で、飲み屋のマスターに言われたことがあった。
「私たちみたいな”普通のゲイ”は、女装とか裸になって歩くような気持ち悪いゲイと、一緒にはされたくないのよ。」
(普通のゲイとは、なんなのだろうか…?)
他のお店ではこんなことを言われた。
「私たちは、隠れて生きるのがいいのよ。騒ぎ立てて勝手にゲイの権利を主張しないでちょうだい!お願いだからそっとしておいて!日陰もののままでいいの!」
(あなたのことはそっとしておきます…)
様々な国でパレードに参加している僕でさえ、東京でパレードというのは、あまり効果がないのかもしれないと思う節がある。
交通規制が厳しくて、デモ行進としてでしか申請できないこと。一車線のみで信号によってブツブツ切れてしまうためまとまりがない。小さなグループになってしまうためなんの団体なのかわからない。パレードが始まって長いこと経つのに、一向に大きく広がっていかない…などなど。
ただ、そうだとしても、セクシャルマイノリティが平等の権利を勝ち取るためにパレードをやりたいという人がいるからには、出来ればそれを僕は応援したいと思う。
世界はゆっくりと変わってきている。日本だって、もっともっと僕たちが暮らしやすい国に変わってゆくことが出来るに違いない。
トロントのティファニーのショーウインドーを先日ここにも取り上げたけど、アメリカのティファニーの広告をご覧になっただろうか?http://www.cnn.co.jp/m/business/35058860.html
モデルではなく実際の同性カップルを使ったという一連の広告は、僕たちに勇気を与えてくれる。