日曜日の昼下がり。

僕はご飯を作りながら、時々海と遊んだり、昼寝している海を眺めている。

Kは、落ち葉を掃きながら庭の掃除をしてくれている。

なんでもない日曜日の昼下がりは、今や我が家にとってとても幸せな時間だ。

来週の忙しい撮影を前に、ずっとこのままこうしていたいと思う。


28日の仕事が終わったら休暇がやってくる。忙しくハードだった1年間ももうすぐ終わると思うと、来週も頑張れそうな気がした。

週末のお出かけ。

海を抱っこして近所の散歩をはじめたばかりなのだけど、この週末、はじめて車に乗って伊東のカインズまでお出かけしてみた。

カインズは、カートに犬を乗せて店内を見て回れるので、社会性を身につけるのにももってこいだと思ったのだ。

先週末に奈良から家に車で運ばれてきた時に海は、はじめ1時間近く泣き叫んでいたのだけど、カインズに行くまでの車の中では、クレートに入ったままとても静かにしていた。

カートにトイレシートを敷いて、念のために海にもオムツをあてて来た。

海は店内に入るなり、シートにおしっこをして、オムツがズレていてそのままシートにおしっこがぶちまけられた。

店内には他のお客さんや犬たちも沢山いて、海は興味津々で臭いを嗅ぎまくっている。

途中、11ヶ月の柴犬とカート同士で近づき、はじめてのよその犬にびっくりしていた。

僕たちは、海のグッズや爪切り、他にも色々買いたいと思って買いに来たのだけど、結局海のことが気になり、早々にカインズを後にした。

でも、こうして家族でカインズなんかにも出かけるような週末が、これから僕たちの日常なんだと思える日になった。

海も1週間経って少しずつ、新しい暮らしに慣れて来たようだ。

Kの歓迎会。

Kが新しい病院に就職して、1ヶ月以上が経った。

そんな中で、大人数での会食はできないものの、少人数で食事に行こうということになったようで、珍しく電車で病院に出かけた。

夜ご飯も食べ終えてのんびりと海と過ごしていると、Kが帰って来た。

Kは楽しかったようで、酒の席での話をとつとつ話し始めた。

男性上司と若い20代の男の子なんかと食事に行ったようで、しばらくして、何度かKがLINEをやりとりしているなあと思っていたら、急に話し始めた。

K「上司の人から、Kくんってこっちの世界の人ですか?ってLINEが来たよ」

僕「なんて返したの?あなたもですか?って返した?」

K「うん。でも、その人、結婚してるんだよね・・・」

僕「そうなんだ・・・そうやってこの地方で隠しながら生きていくの大変だったろうね」

K「うん・・・でも、そういう人きっとたくさんいるんだろうね」

僕「その人の写真ないの?狙われてるんじゃない?そのおじさんに?」

K「写真なんてないよ・・・笑」

きっと日本全体で見たら、結婚しているゲイはものすごい数なんだと思う。カミングアウトしているゲイなんか比べ物にならないほど多いのだろう。

人それぞれの生き方があっていい。それぞれの生き方で、幸せに生きて欲しい。

風の怖さ。

昨夜の熱海は、恐ろしいほど強い風が吹き荒れていた。

山の斜面にある我が家は、山の上から吹き下ろすような風を受けて、ものすごい勢いで木々が揺れていた。

夜中、あまりの風の強さと音に何度も目覚めて、「日本昔ばなし」のような風だと思ったのだ。なんというか、山の神様が怒って山ごと動いているような風の強さ。

朝起きると、庭の木々の大きな枝がいくつも折れていて、玄関にあった植物が階段のはるか下に投げ出されたように落とされていた。

熱海に来て、自然のそばで暮らしはじめてわかったことなのだけど、山の怖さを感じることが時々ある。そしてそれは、東京では感じなかったものだ。

人間の力ではどうすることもできない自然の力の脅威を、畏敬の念を持って感じることができる。

新しいしあわせ。

海が家にやってきた翌日、朝から海はギャンギャン鳴いていたのだけど、外に出して一緒にいたら安心したのか、その後は穏やかになった。

ケージから出して、おしっことうんちをして、そのあと遊んで、少ししたらまたケージへ戻す。本当はずっと外に出しておきたいけど、お留守番ができなくなってしまうようなので、ここはじっと我慢してケージで過ごすことも覚えてもらう。

兄弟やお母さんと離れて、育ててもらっていたブリーダー親子とも離れて我々を頼る以外ない海は、僕とKの顔色を常に伺っている。ご飯を作るために僕がキッチンに入るだけで寂しくなってしまうようで、顔が見えても悲しそうな声で鳴き始める。


海を脇目に、Kが例年に習って家のクリスマスツリーの飾りつけをしてくれた。海は、クリスマスツリーのところまでは階段差があっていけないようで、そんなKを心配そうに見ている。

黒いから写真の露出が合わない。笑

Kが海をあやしながら、一生懸命トイレを教えたり、クレートへの入り方を試行錯誤しながら教えている。僕は晩御飯の準備をしながら、そんな二人のやりとりを時々横目に眺めている。

ふと、「こんな幸せがまだあったんだ・・・」と思ったのだ。

海が来て、新しい毎日がはじまった。

会社のデスクがなくなる。

僕の会社はコロナ禍ですぐにテレワークに切り替わったのだけど、その後もずっと基本的にはテレワークが続いている。その後会社の決断したことは、一人一人の個人のデスクをなくしてオープンオフィスにすること。それも2001年1月から。

それに伴い、12月中に全ての個人所有の荷物を持って帰らなければならなくなり、2回に分けてやっと荷物の整理を終わらせた。

26年以上いた会社なのでそれなりに荷物も多く、アートディレクターという職業柄写真集などの資料も多く、これがとても大変な作業だった。

机の中には入社当時の日記や様々なロケ地で撮影した写真なども出てきた。結局4つの段ボールを自宅に送り、会社にあった荷物は全てなくなった。

こうして会社になんにも荷物がなくなったことを思うと、「定年退職の日って、こんな感じなんだろうな・・・」と思ったのだ。入社した日なんて、つい昨年くらいに思い出せるのに、本当に30年近くも時が流れてしまったのだろうか?と不思議な気持ちになる。

会社人生の一番の財産は、毎月給料をもらえたことで、たくさんの旅行をできたこと。そして、美味しいものをたくさん食べたこと。人生の様々な体験をすることができたこと。

会社の業務のことではないけど、それがあの会社に入って一番良かったことだ。

CAINZ

カインズをご存知だろうか?

僕が住んでいた渋谷区界隈にはカインズなるものはなかったから知らなかったのだけど、伊東に遠出をしてこのカインズに行ったら、本当に驚いたのだ。


単なるホームセンターかと思ったら、そうではなくて、整然と商品が並び、リフォーム・インテリア・エクステリア・園芸・資材・ペット・自転車・フード・酒など、暮らしに関わる何もかもが揃っていて、なんというか、海外にある大きなホームセンターのようなオシャレな佇まいなのだ。

特筆すべきは、自社製品のデザイン性が高いこと。無印良品とも違って使い方や利便性、デザインを考えきちんとデザインされている。

今回、カインズには、海(僕の家に来る犬の名前)のおもちゃなんかを買いに来たのだけど、あまりにも買いたいものが多くて、思わず爆買いしてしまった。

落ち葉掃き。

隣の家のおじさんがこちらに見えた時に、

「道の落ち葉はひっきりなしに落ちてくるので、掃いたら、通りの向こうの竹やぶの崖に落としちゃっていいですから。私はゴミ袋で捨てて流けど、向こうに投げちゃっていいですからね・・・」

僕の家には大きな樹木が何本かあって、この時期毎日ものすごい数の落ち葉が落ちている。紅葉も終わりに差し掛かり、毎日がまるで舞台美術を見ているようにハラハラと美しい紅の葉っぱが落ちていく。

隣のおじさんは、もしかしたら暗に、「葉っぱがたくさん落ちるから、掃除してね」と言っていたのかもしれない・・・だっておじさんの家には大木はなくて、うちの敷地の木々の落ち葉が完全におじさんの家にまで葉っぱを毎日落としているから。

55段くらいある階段と、家の前の数十メートルの道を掃くことは毎日は難しいけど、週に2・3回ならできるだろう。そう思って箒を持って一気に掃いて、おまけに左右の隣の家の前も掃いたらヘトヘトになった。

これだけ大きな敷地を掃いたことも今までなかったからしょうがないけど、こんなことも次第に慣れていくだろうか?

綺麗に掃いた階段や道を見ると清々しい気持ちになったけど、夕方窓から覗いたら、また落ち葉が容赦無く空から降っては落ちていた。

バス停の花。

家から山を降りて歩いていくと、7分くらいでバス停に着く。

朝の7時代には1時間に4本あるけど、大抵2本で、少ないときは1本になってしまうバス。それでもこの路線はまだ本数がある方なのだそうだ。

バスを1本逃したら、30分くらい待つのは当たり前だし、バスは時間通りにはあまり来なくて、10分くらい待たされることもある。東京で暮らしていた時のことを思えば、ありえないことばかりなのだけど、それがこの熱海の日常なのだ。

そんなこともあり、バス停で待つ時間は大抵10分くらいあって、スマホを見たりしながら待つのだけど、今日はなぜかバス停の看板にふとお花がいけてあるのに気づいた。

一体誰がいけたのだろう?地味なお花だけどわざわざお花を摘んだのかここまで持って来て、花をさしてお水を入れるのだろう。誰がやっているのか、その行為自体を思って温かい気持ちになる。

こんな小さなお花に気づく人もいないかもしれないのに・・・、いつかこのお花を持って来ている人に会ったら、話しかけてみたい。

期日(結婚の自由をすべての人に訴訟)。

5月に予定されていた裁判の期日が、コロナの影響で結局12月2日になった。

今回は、裁判長の横(左右)に座っていた若手裁判官がまるっと交代したので、まずは弁護士から原告側の主張や総括をお伝えし、その後、原告3人による意見陳述が行われた。

この意見陳述がどれも感動的で、一人ひとりがそれぞれ傷ついてきたことを思うと涙がじんわりとこみ上げてきた。

そこから裁判は大もめになった。

それは、裁判長が、今回の我々の裁判では原告側の本人尋問は行わないという姿勢を崩さなかったから。裁判長にとって、原告の陳述はそもそも「夾雑物」であり、裁判にはあまり関係ないものと思っているらしいのだ。

弁護士たちは、なんとか本人尋問をおこなってくださいと、入れ替わり立ち替わり裁判長にお願いした。僕もすかさず立ち上がり、どうか我々の本人尋問をおこなってくださいと懇願したのだ。

中川弁護士と裁判長がかなり感情的な言い合いになったけど、結局裁判長は尋問など必要ではないという立場を崩す事はなかった。

我々の意見陳述というのは、裁判では実は証拠にはならないらしい。陳述書は証拠になるのだけど、陳述書に書ききれない様々な不平等や差別、苦しんだことを、本人尋問として発言しなければ、この裁判の証拠として扱われる事はないのだ。

これは、我々だけでなく、日本で暮らすたくさんのセクシュアルマイノリティのための裁判。

何としてでも平等の権利を勝ち取るまで、引き下がるわけにはいかないのだと、今日も気持ちを新たにしたのだった。