斜め向かいのおじさん。

僕たちが引っ越して来た場所は熱海でも西に位置する所で、別荘として利用している人と住んでいる人とが混在している。そのせいか密なお付き合いはなく、町内会と言っても年に2回道路をみんなで掃除するくらい。

僕たちはゲイカップルということもあり、特に自分たちからご近所に接近しようとは思っていないのだけど、斜め向かいの70歳くらいのおじさんとおばさんはいつも僕たちのことを気遣い、優しくしてくれていた。

春には僕の家の前の山から竹の子を掘り起こしてきてくれたり、畑で収穫したブロッコリーをもらったり、田舎ならではの温もりをいつも感じていた。

海はここの家のおばさんとおじさんにとても懐いていて、おばさんに会うとウレションをするくらい興奮していた。海の散歩をしているとよく車で通りかかったおじさんが止まって、海に「海ちゃん、お散歩いくの?」などと話しかけては笑いながら去っていくことも何度かあった。

そのおじさんが、4週間前くらいに救急車で運ばれた。

その後おばさんに聞いた所、電解質がおかしくなっていて血液自体が薄まってしまっているとのことだった。

僕は元気なおじさんしか見ていなかったので急な入院でもそのうち戻ってくるだろうと思っていたら、先日の土曜日におばさんが家から出て来てその日の朝に亡くなったと聞かされた。

おばさんは海を抱きしめて、「海ちゃん、おじさん死んじゃったの・・・」と言った。おばさんの目からは涙が流れ続けていた。

僕とKはあまりにも急な喪失感に実感が湧かず、おばさんになんて言ったらいいのかもわからなかった。

ここ数日は葬儀の関係者が家に続々と訪れていたので、今朝一息ついた頃にお香典を持っておばさんの家を訪れた。息子さん夫婦に迎え入れられ、家の中に通されておじさんの遺影の前で手を合わせた。

おじさんの遺影の前には、白いご飯と味噌汁とたくさんのおかずが並んでいた。きっとおばさんはおじさんの分も今までと同じように作っているのだと思う。

人は死んでしまったらどこにいくのだろう?

あんなに優しいおじさんを、こんなに早く天国に持っていかなくてもいいではないかと思う。

おばさんにかけてあげられる言葉は未だに持てずにいるけど、少し時間が経ったら、僕の家に招待して一緒にご飯を食べておじさんのことを話しながらお酒でも飲めたらと思っている。

車で送り、車で迎えにいく。

Kが、病院で一緒に働いている人たちと食事に行くというので、朝は8時前に熱海駅まで車で送って行き、夜は10時半頃熱海駅に迎えに行った。

僕は10:30まで飲まずに家で待っていたのだけど、海と待っているうちにソファでうとうと寝てしまい、KからのLINEで慌てて飛び起きた。

コロナ禍で同僚と一緒に飲む機会もほとんどなかったから久しぶりの食事会だったようだ。

車で帰る道中、ほろ酔いのKはとても楽しかったようで、他のメンバーが話していたことを話してくれる。

「パートのおばちゃんがずっと、女医さんが相手に寄って態度を変えるっていう話してた…」そんな話をしながらKはケラケラ笑ってる。

家族を車で送って行って、車で迎えに行く。

そんな家族がいることを幸福に感じた一日だった。

熱海の夏。

窓の外では、蝉が鳴いている。

夕方にはひぐらしが鳴き、早朝にもひぐらしが鳴くのを熱海に来て知った。

梅雨明けした熱海は連日晴れ渡り、昼間は暑くなるので朝と夕方に海の散歩には行くようにしている。

それでもふと、昼間に温度計を何度か見てみたのだが、大抵27℃とかせいぜい28℃。

ニュースでは東京では猛暑が続くと言っていたのだけど、どうやら熱海と東京では気温の差があることがわかった。

週間天気予報を見比べたところ、最高気温で3℃から4℃、最低気温で1℃から2℃違うことがわかった。

東京で夏を過ごしてきた僕にとって、今のところ熱海の夏は「あれ?こんなに過ごしやすいの?」といった感じだ。

東京の暑さは、ビルや車の排気ガス、地下鉄などの都市熱だとよく言われているけど、確かにそうかもしれないと思える。

自然の豊かな場所に引っ越してきた今の僕たちは、子どもの頃の夏休みのような気持ちのいい開放感を毎日感じている。

長浜海水浴場へ。

熱海には3つの海水浴場があって、今年は土石流災害のため3つとも海の家の営業はなくなってしまった。

それでもどこの海にも海水浴客は訪れていて、僕たちは熱海の中でも南熱海と呼ばれる多賀の長浜海水浴場を目指した。

駐車場は地元民のため半額の500円。海に着くなりテントを張って、すぐに海を連れて海の中に入って行く。

興奮した海は飛び回っているけど海中に入るのは未だに怖いと思っているようで、足が立たない深さになると必死にしがみついてくる。

今回は宮古島の時のようにライフジャケットを着せずに海を泳がせてみた。

僕が海を抱いて少し離れたKのいる方向へ泳がせる。

海は一生懸命に泳いでKの所へ行こうとするけど、バシャバシャ激しい犬掻きの音を立てて手足を動かしていて今の所泳いでいるという感じにはなかなか見えない。

それでも必死に僕やKにしがみつくように泳いでくる様は本当にかわいく、ちゃんと泳ぎ切った後に抱きしめたくなる。

暑さも穏やかな午前中に綺麗な海で海水浴をした後、家に帰り海を洗ってからドライヤーで乾かす。

ランチは冷やしたワインを飲みながらサラダをスパゲッティを作って食べた。

熱海に住むということは、思い立ったらすぐに海に泳ぎに行けるということ。

今までは海に行くとなると1泊か2泊かと身構えていたのだけど、今の生活では朝海に行けばお昼には帰ってこられる。

真っ青な海が高い山の上から臨める伊豆半島には、自由で気持ちのいい風が吹いている。

よく遊んでよく眠る。

梅雨が明けた週末、僕たちは大室山の麓にある「さくらの里」のドッグランを目指した。

伊豆半島の海は快晴の空を映して真っ青になっていた。

まだ暑くならない午前中のドッグランにはゴールデンレトリバーが2頭いて海と一緒になって追っかけっこをしていた。

海を心ゆくまで走らせた後は、ハンディというホームセンターで念願の草刈機を買って、スーパーのアオキで食料品を買い込んでから帰宅した。

ランチに買ってきたお寿司を頬張りレモンサワーを飲む。

ご飯を食べたら眠くなって、海のベッドに横になる。そのうちに片付けを終えたKが僕の横にきて横になり、すぐに海がKの隣に来て横になった。

暑い夏の昼下がり、僕たちは3人で川の字になって昼寝をした。

外には蝉の声が響いていて、日差しは強烈で木々のコントラストがくっきりしている。

時々目を覚ました僕は、海とKが寄り添って寝ている姿を見ながら、「なんて幸せなんだろう」と何度も思ったのだった。

床屋さん。

熱海に引っ越して来てからは、熱海の床屋さんに行っている。

その床屋さんは外国人女性の水着のカレンダーなんかがかかっているようなお店なのだけど、いつもカレンダーを見ながら、「これが男だったらどんなにワクワクするだろうか・・・」と思っている。

床屋さんはとても喋り好きで、僕の髪を切りながらおしゃべりが止まらない。そして地元の評判や噂話をよく知っている。

床屋さんは湯河原に住んでいるので、今回の土石流災害で被害を受けた伊豆山の下を車で通りながら通っている。

僕は床屋さんに、今回の災害に関するその後の被害状況を知りたくて色々と聞いてみる。

15日16日で予定されていた今年の熱海のお祭りは中止になったとか、熱海ビーチラインは30キロ走行が義務付けられているけど誰も守っていないとか、盛り土をしたのは「新幹線ビルディング」という会社らしいとか、静岡県副知事の会見は、副知事のカツラが気になってしまうとか・・・。

おしゃべりすぎる床屋さのことが前は少々鬱陶しいと思っていたのだけど、こうして熱海の色々な噂話を聞いていると、なんだか自分も地元民になって来たような気がして悪くないとさえ思えて来た。

器が割れた時に思うこと。

先日、お猪口を上の棚にしまおうと、重ねた2つのお猪口を持った時に、ふと手が滑って下に落としてしまった。

すると、お猪口は無事だったのだけど、下にあった浅めのどんぶりが割れてしまった。

家の器やグラスはペアか偶数で揃えているので、一つが割れて使えなくなると中途半端になってしまう。

探してもう一度買い揃えようと思っても、既に販売されていなかったり、お店が遠くて買いに行けなかったりもする。

熱海に引っ越して来てから、クラスを一つ割り、どんぶりを一つ割った。小皿とお猪口を一つずつ欠けさせてしまった。

大切に使っているつもりが、洗ってしまう時などふと他のことを考えていたり、ふたつのことを同時にしようと思っていると不注意になってしまうようだ。

その度に自分では酷く落ち込んでしまうのだけど、「形あるものはいつか壊れる」と、なんとかそう言い聞かせてきた。

僕が大切な器やグラスを割ってしまった時には、Kはいつも穏やかなままでいてくれる。

外出先などで何かをこぼしたり、落とした時も、Kは僕を責めることはなく気遣ってくれるし、僕もそうでありたいと思っている。

大切なものが壊れた時や、不意に事故が起こった時に、その人間のやさしさや本質が感じられるものだ。

長い梅雨。

今年の梅雨は思った以上に長く、東海地方が梅雨入りした5月半ばから1ヶ月半以上続いている。この2週間くらいは晴れ間もほとんど見ておらず、ジトジトと雨が降り続いていた。

ただでさえ山に面した我が家は湿気がたまりやすく、このところの長続きの雨で山は水分を含んでいて、東南アジアのような湿度と高温になって来ている。都会とマンションと違って一戸建ての日本の家屋は、こういった梅雨時期の湿気をどうしのぐかが大きな問題なのだろう。

Kは検査技師という職業柄か、カビに対して極度の嫌悪感を持っており、思いがけない畳や皮のオットマンの下にカビが生えているのを発見しては、アルコール消毒をしている。

洗濯が乾かないこともとても気になるので、部屋に除湿乾燥機を買おうかどうか迷いながら、今のところはコットンなどは乾燥機をかけて乾かして、リネンに関してはアイロンがけを毎日している。

なるべく雨の上がった日に窓を全開にして、空気を入れ替えるくらいのことしかしないのだけど、このところは雨が降り続いているためなかなかそれもままならない。

夏の太陽に負けないようにいくつか一年草を植えたにもかかわらず、太陽が出ないせいですっかり枯れてしまったものも少なくなく、宮古島から帰って来てがっかりした。

雨が降っていると海の散歩にも行けず、海は体力を持て余してしまい僕に遊んでくれとじゃれついてくる。ボウル投げや紐のひっぱりっこなどをやってみるけど、それくらいでは大型犬の体力はまだまだ持て余しているのがわかる。

光が届かないだけで身の回りの世界がこれほどまでに違ってしまうとは、太陽の力はなんて偉大なんだろうと今更ながら思うのだ。

宮古島の降り注ぐ太陽が懐かしい。

宮古島から買って来たもの。

今回も、空港へ向かう途中に「あたらす市場」に寄り、たくさんの野菜を買って来た。

「ドラゴンフルーツの蕾」「空芯菜」「オクラ」「人参もどき」「百楽長生」「レモングラス」「宮古ゼンマイ」「モロヘイヤ」「ホーリーバジル」「島唐辛子」「パルダマ」
熱海では手に入らない野菜を、一つ一つ料理するのが楽しくて仕方ない。


マンゴーは実家に送り、家で食べるマンゴーと島バナナは機内持ち込みに。

家についてリビングに置いておいたら、部屋中にマンゴーのいい匂いが広がっている。

雨の降りしきる熱海の家で、太陽の燦々と降り注ぐ宮古島に思いを馳せる。

また行きたいな。宮古島。

旅行中の熱海豪雨。

7月3日土曜日、午前中からLINEが果てしなく届きだした。

「ただしさん、ご無事ですか?家は大丈夫ですか?」

何があったのだろう?と思っていたら、熱海の土石流がニュースになっていた。

僕たちは海を連れて島を回っていたのだけど、あまりのすごい映像に東日本大震災の津波を思い出していた。

LINEには、日頃ほとんど連絡を取らなくなった友人からも次々と心配メッセージが送られてきたのだけど、これはもしかしたら、僕がフェイスブックなどのSNSをやっていたら、すぐに知り合いに安否を知らせることはできたのかもせれない。

僕には友人は、ほんの数えるくらいしかいないと思っている。でも、こうして温かいお気遣いをいただくと、改めてとてもありがたく感じられた。

被害の起きた伊豆山は、僕の住んでいる西側とは場所が離れていて、湯河原寄りに位置しとても古い伊豆山神社がある。

急斜面ではあるものの地盤のしっかりした場所であるということは、熱海在住の人から聞いていた。実際に、ホテルや保養所、別荘も多く、熱海の中でも海の見える場所の一つとしても有名だった。

それがこれだけ大きな被害になってしまったのは、山を人工的に手を入れた「盛り土」が一つの原因と考えられているようだ。熱海は、ほとんど平地のないような地形であり、どこもかしこも坂や斜面だらけの町だ。でもその斜面によって織りなされる景観が他の場所にはない独特の美しさを兼ね備えている。

今回、伊豆山の一部で土石流が発生したのだけど、同じように雨が降り続いていたにもかかわらず、他の場所ではほとんど被害は見つかっていない。せいぜい倒木があったくらいだろうか。

山をいじってはいけないのだろう。海をいじってはいけないのだろう。

被害に遭われた方々の一日も早い復旧と快復を願うばかりだ。