熱海の紅葉。

今週は、二泊三日で東京で仕事をして木曜日に熱海に帰り、土曜日からまた二泊三日で東京に滞在する。

熱海に引っ越したのに、ゆっくりと落ち着いて熱海で過ごす暇もなく、新幹線で行ったり来たりを繰り返している。幸い、GO TOキャンペーンのおかげで東京のホテルがとても安く、おまけにクーポン券までもらえるのでちょっと得した気分。

家から熱海駅に行くには、山から降りてバス停でバスを待ち、バスで15分くらいして熱海駅に着く。帰りもすぐにバスがあるわけではなく、1時間に2本くらいのバスをのんびりと待つ。昨日は来宮駅まで一駅乗って、それからバスで5分くらい乗って山道を登り帰ってきた。

暖かい今週でも、2・3日家を空けると紅葉が進んでいるのがわかる。引っ越した我が家にはもみじの大木が2本あって、そのもみじがゆっくりと紅葉してゆく様を見ているのは、なんとも贅沢なものだ。

庭のもみじ


忙しい毎日の中でも、熱海の空気を吸うとホッとする。遠くに海が見えて、山々も少しずつ紅葉してゆくのが見える。

東京の暮らしでは味わえなかった日常が、ここにはあるのだ。

喜多八

奄美大島では、「鶏飯」がとても美味しかったのはここに書いた。

それ以外では大抵ホテルの周りの龍郷で食べていたのだけど、最後の日には奄美大島の中心地である名瀬の和食屋さん「喜多八」でご飯を食べた。

「喜多八」は、女将さんを始め娘さんなど、すべて女性で切り盛りしているお店。2名だと予約はできないらしかったので、早めに店に行って入ることができた。料理は4000円のコース料理のみで、その中には5杯分のお酒も含まれている。

野菜をふんだんに使っていて、中には少し甘いお料理もあるものの、奄美大島らしいお料理をいただくことができた。

島らっきょう

刺身は酢味噌で
冬瓜と鶏肉
厚揚げ
塩豚の煮物

油うどん

旅の間ずっと思っていたことは、奄美大島と沖縄の島々との違いだった。鬱蒼とした山々があり、美しい入江の海が広がる奄美大島は、沖縄のようでいて沖縄とは違った美しさを持つ島であり、沖縄とは違った奄美大島独自の文化が残る島だった。

旅で体験することは、ネットでは得られない価値のあるものだ。また暖かくなったら、人ものんびりで穏やかなこの奄美大島にもう一度帰ってきたいと思ったのだった。

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離れて感じる東京の町。

7月の終わりから続いていたCMの3連作のうちの第1作の撮影が、今日行われた。

撮影時間は朝の7時から。熱海からではどうしても現地に行くのが8時になってしまうため、前日に東京の青山のホテルに泊まることにした。今日は撮影を深夜までして、今度は銀座のホテルに泊まる。

現場では様々なトラブルも起こったものの、とても綺麗な映像が撮影できた。クリエイティブの作業の責任者なので、今回の作業は自分でも思った以上に心労の重なる作業だったけど、なんとか無事に撮影まで漕ぎ着けることができた。

撮影が終わって深夜の銀座の町を歩きながら、「東京にはもう自分の家はないけど、あったかいなあ」と思ったのだ。

それは昨日、青山を歩いていても感じたこと。僕は熱海に住み始めたら、たとえ住み慣れた青山に来ても東京の町はよそよそしいんじゃないかと思っていたのだ。なんというか、もう帰る場所ではなくなってしまった他人の町のような感覚。


でも、そう思っていたのとは裏腹に、いつもと変わらず高校時代から僕が過ごした住み慣れた温かな空気がそのまま感じられた。

家などなくなってしまったとしても、東京は自分の町であることに変わりはなかったのだ。

大島紬。

奄美大島の「大島紬」は、イランのペルシャ絨毯・フランスのゴブラン織りと並ぶ世界三大織物だというをご存知だろうか?

大島紬とは、約1,300年の歴史を誇る日本の伝統的工芸品で、奄美大島を本場生産地(発祥の地)とする絹織物。

僕たちは今回、「大島紬村」というところでその大島紬が作られる工程を見学したのだけど、泥で何十回も染め絞りを入れた絹を、複雑な模様をデザインして決めてから丁寧に織っていく工程をつぶさに見ていると、一反が安くても30万円するというのも頷ける。

何十回とシャリンバイで染める。

シャリンバイから色を煮出す。
ルリカケスも見られる工房の庭
織物のデザインを決めてから、どこにどの色を染めるかを決める。
仕上がりを想定して色を入れる。
龍郷柄

黒のように漆黒ではなく、泥を使った微妙な色調は、繊細で奥行きがある。本当は、お揃いの着物を仕立てたいと思うけど、それほどのお金は持っていないので、今回は記念にコースターだけ買って帰った。

こんな小さなコースターでも、使いながらあの奄美大島の大島紬の工程を思い出すのだ。

⭐️大島紬村http://www.tumugi.co.jp/index.html

田中一村。

奄美大島で僕の知っていることといえば、日本画家の「田中一村」のことくらいだった。

田中一村は、僕がまだ美術学校の学生だった頃、NHKの特集で知った画家。東京芸術大学に入学するも2ヶ月あまりで中退、その後、添付の白い花で一度青龍展に入選するも、その後は一度も中央画壇に入線することはなかった。50歳で奄美大島に移住し、紬工場で染色工として働きながら絵を描き、貧しくも自分の描きたい島の植物や動物を描き続けた孤高の画家。

白い花


田中一村との不思議な再会は、実は今年の夏に訪れた宮古島で、田中一村の絵がレストランの表に飾られていたのだ。その絵につられて入ったレストランはとても美味しく、大将は一村の絵に憧れて奄美大島など各地を巡り、宮古島に辿りついたということだった。

奄美大島には、「田中一村田中一村記念美術館」があり、「田中一村の終の住処」も名瀬に移築されて展示されている。

奄美大島の建築様式を取り入れた美術館

田中一村田中一村の終の住処

田中一村の作品を纏って見られるのは、おそらくこの記念美術館だけだろう。奄美大島の湿度の高い気候の中で取り入れた高床式の建築物は美しく、水の上に浮かんでいる。

学生時代の作品から、南画、世間から忘れられて貧しい暮らしの中で描き続けた作品は、50歳を過ぎて奄美大島に移住したことで、新しい展開を見せ始める。

最後まで独身を貫いたのは、どうしてだったのだろう?ゲイだったのだろうか?などと夢想しながら、充実した時間を味わった。奄美大島に行くことがあったら、接待に訪れて欲しい素晴らしい美術館。

⭐️田中一村記念美術館http://amamipark.com/isson/

アマンデー

奄美大島で心が解け、すっかり魅了された帰りの日、僕たちは奄美大島の発祥の地とされる「アマンデー」を目指すことにした。

アマンデーとは、女神の阿摩弥姑(アマミコ)と男神の志仁礼久(シニレク)がはじめてアマンデーに天降りし、この島をおさめ、後、島伝い、浦伝いに南下し伝えていったというところ。つまり奄美大島に神様が降り立ったという場所。

この場所にたどり着くのがとても難しく、道でおじいさんやおばあさんに聞きながら、やっとの事でたどり着いた。

細い道を注意して歩きながら、30メートルくらい茂みを入って行くとアマンデーがある。古くなったお墓のようなところだけど、奄美大島がぐるっと180ど見渡せるような気持ちのいい眺めだ。

入り口の立て札

お墓のようなアマンデー
アマンデーからの眺め


また奄美大島に戻ってこられますようにと、Kと二人お祈りをして、美しい奄美を後にした。

鳥しん

名瀬の町に行き、また「鶏飯」を食べた。

「鳥しん」は、名瀬の町中にあり、地元の人も火曜鳥料理屋さん。鶏飯は、「ひさ倉」の鶏飯のように、スープにほんの少し甘みを感じる。

お店によって具材が少し違う

鶏ももの炭火焼

油そうめん

そうめんチャンプルーのようなものは「油そうめん」で、出汁とともに炒められた食べ物。そうめんチャンプルーとは全然違い、和食に近い味だった。

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金作原探索ツアー

奄美大島は、亜熱帯の原生林が残っていると言うので楽しみに「金作原探索ツアー」に申し込んだ。

「豊かな自然が残された島」だと思っていたのだけど、どうやらそれも間違いだったようで、60年代から80年代の高度経済成長期に森林の伐採が盛んに行われたようだ。

山の木々を伐採して本土に送り、お金をもらう。山は次から次へと丸裸になり、そこに棲む動物や植物たちも消えていった。

やがて、奄美大島の人々も自分たちのしてきたことが間違いであったと気づき、森林を守る大切さを知ることになる。一度丸裸になった山は簡単に元には戻らない。奄美大島はその後、なかなか国立公園には認定されず、国定公園のままであったが、つい3年ほど前に日本で34番えmの効率公園認定されたようだ。

落葉樹のほとんどないブロッコリーのような山々

奄美大島の蘭の一種
マングースの罠
樹齢数百年のウラジロカシ

日陰ヘゴ

そんな奄美大島の中で、未だに豊かな山々が残る場所が「金作原」の山々。そこには野生の黒うさぎやルリカケス(青い鳥)、イノシシやキツツキなんかも棲んでいる。

ゴジラの撮影にも使われたと言う亜熱帯雨林を散策しながら、勉強になる話を伺うことができた。

鶏飯みなとや

奄美大島を代表する料理は、「鶏飯」だ。昨日訪れた「ひさ倉」の鶏飯は美味しかったが、スープにほんの少し甘みが残った。

今日の昼ごはんは何を食べようか迷うところだったけど、結局「みなとや」にした。あらゆる本屋ネット情報で、この店が鶏飯の元祖と書いているのと、奄美大島で一番美味しい店という評判だったから。

これをご飯に載せる

スープをたっぷり注ぐ
ピリ辛手羽先

イノシシの炭火焼

結論から言うと、「みなとや」の鶏飯は、スープが濃厚で「ひさ倉」とはまた全然違っていてとても美味しかった。店員さんが愛想が悪いのでもったいが、味に関して言うと素晴らしい美味しさだ。

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奄美大島北部。

僕たちが泊まったのは、奄美大島の北部で「龍郷町」という場所。

奄美大島は、沖縄本島より少し小さいくらいの大きさであるにも関わらず、人口が5万8千人くらいしかいない。(これは、石垣島や宮古島くらいの人口)

人口の多くは「名瀬」という町に集中しており、それ以外は昔からある集落に集まっているようだ。

今回、島の大きさがわかったので、一回の旅行で制覇することは最初から諦めていた。今回は北部で過ごし、また来た時に別の場所へ行けば良いではないか。

北部は、古くからの文化が色濃く残りながらも、昔からの集落があり、尚且つ、お洒落な宿泊施設や見所もあるような場所。名瀬は真ん中より少し北にあるものの、北部から名瀬までは30分以上車でかかる。従って、夜のご飯は名瀬に行くことは諦めた。

初めての奄美大島の感想は、沖縄の離島と似ていて海がとても綺麗だということ。それと、不思議なのだけど、宮古島のように珊瑚で出来た島ではないため、鬱蒼とした山々がある。


この山々に美しい海を見ていると、「一体ここはどこなんだろう?」と思ってしまう。石垣島にだっておかのような山はあるけど、こんなに木々が生い茂っているわけではないし、西表島の熱帯雨林のような山とも少し違っている。

それと、海が入江のようにリアス式になっているせいで、景色がとても多様で美しい。車で走りながらあまりの美しさに驚きっぱなしだった。