愛するものを失った時に。

松本の器屋さん「陶片木」を訪れた際に、またあの猫に会えるかと思っていたのだけど、猫は残念ながら他界していた。

店員さんに猫に会えなくて残念だと伝えると、店の入り口にありし日の猫の写真があるから見て行ってくださいと言われて眺めた後、店を後にした。

ホテルに着いて、購入した器などを開けると、器とともに手紙が添えられていた。

『死はいつか必ず訪れる。
だから、誰かを愛することは、
耐えがたい悲しみを育むことでもある。』

誰か、何かを愛することがなければ、それを失うというとてつもない喪失感を味わわずに済むのだろう。

それはわかっていても、誰かを愛し、それを失った時に途方に暮れるのだ。

昔、犬を飼っていて老衰で亡くした時に、心が砕けてしまうかと思ったのを覚えている。

今回また、僕とKで犬を飼おうと話しているのだけど、その悲しみがいつかやってくることはわかっていながら、それでも犬と一緒に暮らし、愛する日々を選択しようと思っているのだ。

たとえ大切な家族を失ってしまったとしても、彼らを愛した日々は、決して失われるものではないのだから。

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