KTの新居へ。

昔から仲の良い弟のような若い友人KTが一人暮らしをはじめたので、ずっと「早く家に招待してよ!」と言っていたら、この週末に新居に招待された。
KT曰く、「家が狭いので定員は4人です。Kくんといつもの我らがMです」
仕事帰りのKとふたり、ちょっとだけ買い物をして駅を降りると、KTの住む町は静かな住宅街だった。
家は新しく、村上春樹が好きなKTらしい本がたくさん並べてある。
部屋には80インチのプロジェクターがあって、映画好きなKTが意を決して買ったのがわかる。こんな大画面で映画を観れたら、映画館みたいだろうなぁと羨ましくなる。
イタリアンのサラダや牡蠣のオイル漬けが作ってあって、話は弾みながらワインを飲み、どれも美味しくいただく。
話していたら、KTが実は今年手術をしていて、入院していたことがわかった。
それを聞いて、「えええ⁉︎なんで教えてくれなかったの?」と、驚く僕に、
KT「ご心配をおかけすると思って…そんな危険な手術じゃなかったし…治ることがわかってたんです」
まだ40歳手前なのに大きな手術をした友人に、何にもしてあげられなかった自分が歯がゆかった。不安だったり苦しい時に、できればそばにいたかったと思う。
ご家族がついていたから何よりだけど、今度何かあったら気を遣わずに教えて欲しいと言うと、笑ってわかりましたと言ってくれた。
若かろうが年寄りだろうが、人はそれぞれ、人生にはいろいろある。
その人がかかる病気も、寿命も、全ては誰のせいでもなく、神の思し召しとしか言いようがないではないか。
そうであるならば、僕たちに与えられた限りある時間を、大好きな人たちと出来るだけ寄り添って生きたいと思ったのだ。

バラが咲いた。

マダム・アルフレッド・キャリエール

スノーボール

紫陽花

今朝、ベランダに出てみると、バラが咲いていた。
毎日洗濯物を干しながら見ているつもりのベランダの植物たちも、春は成長が早く、ふと気がつくと咲いているということがほとんどなのだ。
今年はまだ寒い時期に一輪狂い咲きしていたのだけど、正式にはこのバラが一番花だ。
ベランダの奥のスノーボールも、いくつか蕾が大きくなりはじめた。スノーボールは、咲きはじめは緑色の花で、咲き進むに従って大きくなりながら白い花に変わっていく。
花の時期は短いのだけど、その切れ目の入った葉っぱと相まってエレガントな雰囲気があり、お花屋さんでもかなり高価に売られている。
下を見ると、実直な紫陽花が葉っぱを茂らせはじめていた。紫陽花が成長してくると、梅雨が少しずつ近づいてくるのだと思う。
今年は沢山バラが咲きそうなので、東京にいるGWの中日にでも友人たちを家に呼ぼうかと考えている。
バラの咲く時期に友人たちを呼ぶなんて、我ながらそれだけで『ゲイ的生活』だと思ってしまうのだけど。

ネットの闇。

実は、同性婚訴訟の原告の間で、意見の相違があり、急遽、夜に数人の原告と弁護士で食事をした。
目的は、意見の対立を避けて、妥協点を探すことだったのだが、結果的にはそれは失敗に終わり、原告の一人が降りると言い出す騒ぎにまで発展してしまった。
同性婚訴訟の原告は、いわば、矢面に立たされている存在だ。人によってはネット上のコメントが気になり、追いかけてしまい疲弊するようだ。
それにしてもネットの世界とは、なんと恐ろしい世界だろうか。顔の見えない真っ暗闇の中に、気がついたら吸い込まれてしまう。
Kに、「僕たちは最後まで戦い抜こうね」と言うと、
「Kちゃんは意外に強いから大丈夫。繊細なただしくんよりもずっと強いんだから」
そう言ってKは、僕の顔を触った。
「何があっても、ふたりで頑張ろうね」
「うん」
ふたりでまた、固く誓ったのだった。

アマリリス。

1月に買った球根のアマリリスの鉢が、このところの暖かさからか、ぐんぐん芽を伸ばし、あっという間に花が咲き始めた。
1つ、1800円くらいだったのだけど、家の所々に置いて、豪華な姿を楽しませてもらっている。
家の中に、できればいつもお花がある生活がいいと思っている。
少し前まではヒヤシンスがずっと咲いていて、アマリリスが咲くまでは、ベランダのパンジーをいけていた。
花を特別買うわけではなく、球根やパンジーならば、数ヶ月楽しめるのだ。
家の中に花があると、そこで急に空気が変わるのがわかる。
生命の持つ不思議な力なのだろう。

同性婚訴訟の裁判所で驚いたこと。

同性婚訴訟で裁判所に行った時に、実はあっと驚いたことがある。それは、傍聴席に古くからの友人のTがちょっこり座っていたことだ。
なぜ僕が驚いたかというと、この訴訟に出る前に、何人かの友人たちと晩ご飯を食べている席で、
「同性婚訴訟に出ようかと思ってるんだよね…色々なバッシングがあるかもしれないけど…」
と切り出したことがあったのだ。その時に友人Tはすかさず、
「俺は友だちがそんなのに出て、ネットで色々言われるのを見たくないな…そんなの出ない方がいいんじゃない?」
と、きっぱりと言っていたのだ。そしてもう一人、友人Sも同じことを言ったのだった。
「ネットの世界で酷いこと書かれるの、友だちとして見てられないわ…」
僕はこういう性格なので、その時は友人たちに相談をしたわけではなくて、「彼らがいったいどう受け止めるのだろう?」と思って話したのだった。
僕の友人たちでさえ、今回の同性婚訴訟に出ることを、素直に賛成してくれる人ばかりではなくて、T やSのようにはっきりとやめた方がいいと言ってくる人もいたのだ。
そんなT にいったい何があったのかはわからないのだけれども、今回の第一回目の意見陳述の傍聴席にいたのだった。
そして、陳述が終わって出てきた僕に向かって、「色々たいへんだろうけど、応援してるから」と言ったのだ。
Tの顔が見れてうれしかった。
たとえ友人たちに反対されたとしても、僕の意志はすでに決まっていたのだけど、今改めて思うことは、この訴訟に出て、心からよかったということ。
だってまるで、映画の中に入ってしまったかのようなシーンが、今まさに僕たちの目の前で起こっているのだから。

同性婚訴訟: 意見陳述(弁護団)

原告ふたりによる意見陳述で涙が頬をつたい、心が千々に乱れた後、今度は3人の弁護士による陳述が始まった。
そしてそれは今までに聞いたことのない鋼のような勇気に溢れ、「どんなことがあろうとも、この原告を我々が守るんだ!」という気概に満ちていた。
弁護士の陳述を聞きながら、ウミガメのように涙は溢れ続けていた。
(以下抜粋)
すべての人が「個人として尊重される」。憲法13条は言っています。人の性は多様で、多様なあり方が尊重されねばならない、それが世界の共通認識です。
いま、日本でも名だたる企業が、同性パートナーを「家族」として扱っています。同性パートナーシップ制度は全国の自治体に広がっています。企業や自治体が、異性でも同性でも「家族」と扱っている、それなのに、国が「家族」と認めない理由はなんでしょうか。
人の価値に違いはない、政府は啓発を進め、各省庁が取り組みを進めています。オリンピック憲章は「性別、性的指向」を理由とする差別を禁止しています。差別を行う企業からの資材・サービスの調達は通報の対象です。オリンピックを進んで誘致した日本が、自国の婚姻制度では人と人を性的指向・性のあり方で差別する、それはなぜなのか。G7諸国で、なぜ日本だけが同性カップルのための制度を持たないのか。
国は、この裁判で、どんな「理由」を持ち出すのでしょうか。しかし、国がどんな理由を繰り出しても、そのたびに、社会と世界の矛盾に立ち往生するはずです。合理的な説明などできないことは、世界の国々で証明され、決着済みです。
それでも国は争い続けるのか。もしそうなら、最後には、「同性を愛する者と異性を愛する者は、人として序列がある。だから、差別し人権を否定する」そう言わざるを得ないのです。
しかし、憲法はそんな主張を絶対に許しません。(弁護団)

同性婚訴訟: 第一回意見陳述(原告)

東京地裁において、同性婚訴訟の第一回意見陳述が行われた。
朝早くからKとふたり、白シャツにネクタイ、ジャケットやスーツを着てタクシーで手を繋ぎながら弁護士会館まで。
裁判の傍聴席は抽選で早くから人が駆けつけて満席になった。今日、意見陳述をする原告はふたり。ゲイとレズビアン一人ずつで、僕やKは後ろで座っている。(Kは顔出ししないように傍聴席にいた)
裁判が始まると、法廷内で2分間の撮影が行われた。撮影がどうやって撮られているのかわからないまま、皆が無言のまま席で身動きせずに異様な佇まいで座っていた。
そして一人ずつ意見陳述が始まった。
僕は、原告仲間たちの意見陳述を聞きながら、とめどなく涙が溢れ出して、途中からハンカチを持って涙を拭い続けた。
意見陳述には、重病を患った彼らの人生が書かれていた。ふたりは明らかに、自分の人生の終わりを覚悟していたのだ。
どうかふたりの陳述をお読みいただきたい。これを読んで、泣かない人がいるだろうか?
(以下抜粋)
自分がゲイであることに気づいたのは中学生の時です。当時、学校では同性愛について何も教えらえず、インターネットもありません。テレビで、男性を好きな男性が「おかま」と呼ばれてあざ笑われている姿を見て、自分がゲイであることは誰にも言えない、と思うようになりました。
ゲイであることは恥ずかしいことではない、笑いものにしたり差別をする社会がおかしいんだ、と考えられるようになったのは、30代になってからです。
同性同士の婚姻が認められることは、私が若いころに持っていた、自分自身に対する否定的な気持ちを、これからの世代の人たちが感じなくてもよい社会にすることなのです。
同性同士で結婚できないことによる不都合はたくさんあります。万が一パートナーが意識不明になった場合、病院は、私ではなくパートナーの親族に連絡をしたり手続きをさせたりするでしょう。
パートナーの最期の時に、私がパートナーの手を握ることは許されないかもしれません。パートナーが亡くなった場合、私は葬儀に参列すらできないかもしれません。パートナーは、周りに対してゲイであることを伝えていないので、これらのことは私にとって現実的な懸念としてのしかかっています。
私はHIV以外にも病気を抱えており、寿命はあと10年あるかどうかだろうと覚悟しています。
死ぬまでの間に、パートナーと法律的にきちんと結婚し、本当の意味での夫夫(ふうふ)になれれば、これに過ぎる喜びはありません。
天国に行くのは私の方が先だろうと思っていますが、最期の時は、お互いに夫夫となったパートナーの手を握って、「ありがとう。幸せだった」と感謝をして天国に向かいたいのです。(佐藤さん)
3年前、私に乳がんが見つかり、抗がん剤治療と左胸全摘の手術をしました。法律で守ってもらえない家族を支えるためになんとかここまで頑張って来たけれど、自分にとってがんが見つかるとは全くの想定外でした。がんはリンパ節にも転移し、目の前が真っ暗になりました。
がんだけでも十分すぎる恐ろしさなのに、西川が家族と認めてもらえるのか、手術の同意書や入院の身元引受人に西川を書いて大丈夫か、手術室までの見送りはできるのかと、次から次へと不安が襲い、自分が潰れてしまいそうでした。男女だったら、こんなに悩まなくて良いのにという考えると、歩いていても涙が止まりませんでした。
抗がん剤の治療は精神的にも肉体的にも厳しいものです。今でも再発の不安は消えません。しかし、わたしは同性カップルなので、パートナーの扶養に入るという選択肢もありません。
また、死を身近に感じても、西川に相続権はなく、私の子供に対する権利や義務はありません。そのような状況で西川に子どもを託していくのかと思うと、死んでも死に切れない思いです。(小野春さん)

ついに、僕の母とKが一緒にランチをすることに。

満開の八重桜

鬱金

関山

週の中頃に母に電話をした。
僕「お母さん。今度の日曜日、ご飯食べようか?」
母「いいわよ。うちに来る?」
僕「お母さん、Kも一緒だから、外の方がいいかと思って…お父さんもKに会えるかわからないし…」
母「あら、そうなの…私は家でもいいけど、あの人がわからないから…それじゃあいつもの銀座アスターにする?」
僕「うん。11時半ね。」
母「お父さんは行くかわからないから、聞いてみるわね」
日曜日、僕はKと一緒に出かけた。Kはまだ僕の家族には会ったことはなかったので、実はこれがはじめての食事会なのだ。
Kはさして緊張することもなく、朝から白いシャツで行くと決めていたようでさっさと着替えていた。
銀座アスターに着くと、せっかちな母は父と一緒に先に着いていた。
母は、Kのことを見ると挨拶をして、「あなた、誰か俳優さんに似てるわね…」などと言っていた。
食事がはじまって、それぞれの話をする。僕がまだKのご両親に会えていないこととか、今回の同性婚訴訟のことなどを。
父もKに対して特別に気をつかう様子もなく、母は、僕と一緒に食事をしている時と、Kがいる時とで、全く何も変わらない。いつかは息子の男に会うことを、すでに予想していたかのようだ。
食事が終わって、いつものように駅で手を振りながら母と父を見送った。
姿の見えない息子の男のことを想像するよりも、実際にKに会うことによって、母や父は安心したように思える。
昔の僕だったら、自分の男を、まさか、親に紹介する日が来るなんて、思いもしなかったのが、今はこうして一緒に食事をしている。
人生は、思いがけない方向に流れていく。それは、僕たちの予想を遥かに超えていて、まるで周りのみんなのチカラが後押ししてくれているようにも思える。
母と別れてKとふたり、またいつものように新宿御苑を散歩しながら、満開を迎えている八重桜と桜吹雪を楽しんだのだ。

Marriage for All Japanの集い。

今日は、同性婚訴訟の弁護団の方々と、東京の原告6カップル12名が揃って親睦会をした。
我々原告団の目的は、この国において同性婚が認められる社会にすることであり1つなのだけど、実は原告団の中でもメディアへの出方などに考え方の相違があり、会って話した方が良いかと思いこんな会を持つことにしたのだった。
今年の東京レインボープライドで、Marriage For All Japanがフロートを出すことになり、そのフロートに原告が乗る乗らないという話があり、それぞれの考え方の違いが浮き彫りになっていたのだ。
同性婚訴訟がはじまって、原告の中には反対派の意見などを追いかけ続けている人がいて、ちょっと精神的にも疲弊していて心配になってしまった。
僕は、LGBTの中の反対派の意見を聞いて、彼らの考え方を変えようなどとはサラサラ思っていない。
反対する人の意見には、その人の中に強いホモフォビアがしっかりとはびこっていて、問題は周りではなく、その人自身の中にあることが多いからだ。
僕がもっと必要だと思っていることは、日本中の浮動票に、LGBTに関する正確な知識を啓発すること。僕の母のような、何も知らずに生きてきた人たちに、正確な情報を届けることだ。
原告同士、考え方の違いを話し合って、僕たちは少し結束が強まった気がする。

自分の企画を通すことの難しさ。

家の神棚で朝、手を合わせて、会社に行きがけに千駄ヶ谷の鳩森神社によってお詣りをして会社に出かけた。
今日は、僕にとってはとても大事な日。願わくば、自分の企画をきちんと通して、最善のフィニッシュを迎えること。
僕の仕事は、自分の芸術表現ではなくクライアント作業だから、クリエーティブ的なことでいうと自分の企画がそのまま世に出て行くことはかなり稀なことだ。
打ち合わせの途中、「もうダメだ…」と思う瞬間が何度かあったのだけど、何度も持ち直し、結果的には最善の状態でフィニッシュを迎えることが出来た。
「こんなことって滅多にないよなあ…」
若い頃は、自分の情熱が先走り、会議やクライアントの前でも自分の意見をなんとか強く押し通そうとばかりしていたのかもしれない。
今の僕は年をとってきたせいか、少し引いて周りの人たちの意見を聞きつつ、どこかに突破口はないかと考えながら、自分のやりたい方向へと周りをうまく誘導するようになれたのかもしれない。
今夜は祝杯をあげたいくらい、仕事人生にもなかなかない素晴らしい金曜日だった。