ダイビングのライセンス。

PADIのオープンウォーターのライセンスがやっと届いた。
これで、水深18メートルまでは潜ることのできるライセンスが手に入ったのだ。
本来ならば講習を受けた後、3週間から1ヶ月ほどで届くのだけど、写真の行き違いなどがあり、忘れていた頃に手元に届いた。
今年の夏はまたダイビングをしたいと、今からどこで旅行に行けるのかカレンダーを見ている。
今年からKの病院が変わり、ほとんど休みが取れなくなってしまい、年末年始の沖縄以来どこにも行けていないのが僕たちの現状なのだけど。
50歳になって、ダイビングのライセンスを取るなんて、思いもしなかったな。
これからもっともっと、今まで苦手だったことや出来なかったことに臆することなく、新しいことに挑戦していきたいと決意を新たにしたのだった。

グラミチのパンツ。

春だからか、何か買い物がしたくなり、Kとふたり、お揃いの『GRAMICCIグラミチ』のパンツを買ってしまった。
グラミチのパンツは、ショートをよく履いていたのだけど、パンツについたベルトをキュッと締めるだけで履ける気軽さと、気持ちの良い素材、そしてちょっと垢抜けないようなカタチが好きで水着も持っている。
裾は適度に太めなので、試着をすると脚の太い僕やKにはちょうどいい感じだった。
このパンツは新宿のオッシュマンズで買ったのだけど、試着をする時に若い男性の店員さんに、「試着室が大きかったら、僕たち一緒でいいですよ」と言うと、混んでいたので店員さんも、「ほんとですか?」と聞き返してきた。
そこですかさず僕は、「僕たち、カップルなんで」
と言うと、店員さんは一瞬顔が赤くなって、「あ…そうなんですね…」と言って笑った。
出て行く時も、ニコニコして挨拶してくれて、こういう駄目押しのカミングアウトが世の中を少しずつ変えて行くのかもしれないと、ひとり悦に入っていたのだった。

たちあがる女

アイスランドの映画『たちあがる女』は、ところどころでクスッと笑えて、主人公の女性ハットラを眺めているうちに、勇気のあるひとりの女性として、いつのまにか心の底から応援していた。
ハットラは40代後半くらいだろうか?独身の女性でコーラスを教えている。アイスランドののどかな町で暮らすハットラは、実は、誰にも知らせずにたったひとりで極秘で環境活動をしている。そんな彼女の元に、一通の手紙が届き、かねてから念願だった養子を迎えることになる・・・。
雄大なアイスランドの自然をバックに、経済発展を優先しようとする民主主義に対してたったひとりで立ち向かうハットラは、孤高で美しい。
部屋には、ガンジーとネルソン・マンデラの写真が飾られ、自分の信じるものに向かって立ち上がり、真っ直ぐに突き進んでゆく姿を見ていると、こんな生き方があるのか・・・とも思う。
たびたびアイスランドの母なる大地を抱きしめるように顔を擦りよせたり、早春の芳しいタイムの花の香りを嗅いだり、大自然に対する絶大な信頼を感じ取ることが出来る。
彼女の心の高鳴りを表すように現れる謎の3人組の奏者や、孤児を引き取るウクライナからのコーラスの使者などの演出が本当に素晴らしいと思う。Kは僕の横でスヤスヤ眠っていたけど、この春一押しの映画。
⭐️たちあがる女http://www.transformer.co.jp/m/tachiagaru/

ふたりの女王 メアリーとエリザベス

このところ立て続けに女王を題材にした映画が公開されている。
『ヴィクトリア女王最期の秘密』、『女王陛下のお気に入り』、そして今回観に行った『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』。
『ヴィクトリア女王最期の秘密」は、ヴィクトリア女王にそんな過去があったのかという驚きが楽しかったし、『女王陛下のお気に入り』は、とても面白かったのだけど、なんだかすべて想像の上に作られた現代演劇のように思えた。
史実を元に想像力を働かされて膨らまされた映画『ふたりの女王 メアリーとエリザベス」は、歴史を考えることのできる見応えのある映画だった。
舞台は1500年代半ばのスコットランド。0歳で父親の死によりスコットランド女王になったメアリー・スチュアートは、6歳の時にフランスに行き、16歳でフランス王妃となる。
その後夫の死によりスコットランドに戻り女王となったメアリーは、その当時のイギリスの女王であるエリザベス1世よりも血統が上で、イギリスの王位継承権にも名を連ねるほどの頭脳と力、美貌を兼ね備えていた。
この映画は、イギリスとスコットランドという隣同士でありながら長い間親しみと憎悪を持ち続け、戦いを繰り広げてきた国同士のふたりの女王の策略が織り交ぜられた物語。
メアリーには、『レディ・バード』のシアーシャ・ローナン。エリザベスには、『アイ,トーニャ』のマーゴット・ロビー。
アカデミー助演女優賞ノミネートのふたりが繰り広げる壮大な歴史物語。髪型や衣装が素晴らしく、デザイナーやメイクの匠の技と力が光っている。
⭐️ふたりの女王 メアリーとエリザベスhttp://www.2queens.jp/sp/

恋人の友だち。

僕自身は、友人は本当に数えられるくらいでとても少ない方だと思っている。
でも、50年も生きてきただけあって、顔見知りや知人と言える人は意外と多いのかもしれない。
Kは、大分県生まれ大分県育ちで、ひょんなきっかけで僕と出逢い、3年くらいつきあってから東京に出てきた。
そのため、東京にはKが昔つきあった人が働きに来ているくらいで、友人は他にはいない。
週末の休みに時々新宿二丁目に飲みに出ることが、僕たちの習慣になっているのだけど、どちらかというと僕が二丁目に行きたがっているだけで、K自身はそれほど二丁目に飲みに行きたいとは思っていないようだった。
K「どこに行ってもただしくんの友だちばっかりで、Kちゃん、人見知りだから時々疲れちゃうの…」
僕「みんな僕の友だちであり、Kちゃんの友だちでもあるんだからそんなこと思わなくていいじゃん」
K「でも、とにかくKちゃんは社交的じゃないから疲れちゃうの。これからはもっと、ただしくん一人で飲みに行ってあげて!Kちゃんは家でただしくんの帰りを待ってる方がいいから」
僕も、かなり二丁目には行かなくなっているのだけど、それでもKにしてみたら、毎回毎回色々な人に会うことが、時々疲れることだったようだ。
確かに、Kは人見知りで、僕の友人たちの中でも話をする人と、全く話をしない人に分かれているのがわかる。
僕の周りの圧の強い人やアクティビストたちとは気後れしてしまうのか、ほとんど黙っていることが多くて、どちらかというとその周りにいるのんびりとした人たちとなら、楽しそうに話をしている姿を見かけるのだ。
つきあって7年目にもなるのに、こうして些細なことでも気になることをきちんと話せることはとてもいいことだと思う。
家でふたりで、毎日『ちびまる子ちゃん』や、『まんぷく』をテレビで見ている時のKが一番幸せそうなことを思い出して、KはKの好きなようにしたらいいと思い直した。

新宿御苑の入園料値上げについて。

咲き始めた枝垂れ桜

園内ではすでに様々な桜が咲いている

このところずっと、週末のたびに新宿御苑を通って新宿に遊びに行っている。
桜の開花も近くなったせいか、晴れている日は家族連れや外国人の観光客が多く、少しずつ賑わいが増してきた気がする。
先々週くらいに来た時に、新宿御苑の入園料が今までの200円から500円に値上げすると書いてあり、驚いたのだった。300円になるならまだしも、500円とは、気軽にいつでもいける感じの値段ではなくなってしまう気がする。
子どもは無料になったり、年間パスポート2000円はそのまま据え置きだったりするので、いい面もある。(僕たちはパスポート派なので問題ない)
また、夕方5時に閉門だったのが、6時や夏場は7時に閉門になるというのは、お役所仕事にしては柔軟な対応だと思われる。
この値上げは、ニュースで読んだところ、園内の案内板が日本語しかなく、多数の外国人入場者にとっては不親切なので、外国語の案内板を設置するためにお金がかかるというものだった。
それを聞いて、数ヶ月前に判明した、新宿御苑が外国人来場者が怖くてコミュニケーションが取れず、黙って無料で入園させていた…というニュースを思い出した。
外国人を無料にしていた金額がおよそ2千万円だったというそもそもそのお金で、外国人用の案内板も設置出来たはずではないだろうか。
浮浪者の問題や園内に全て目を光らせることが難しい警備の面で許されていないのだろうけど、本来ならばニューヨークのセントラルパークのように、無料で誰もが自由にその自然を満喫出来たら、本当の意味で都会の中のオアシスになれるのに…と思うのだ。

不思議なパスモ。

土曜日の夜に、新宿2丁目の『Bridge』に飲みに行こうとして店の下まで来ると、店への階段の下である道の真ん中にパスモが落ちていた。
今週の半ばに、僕が名前のないスイカを山手線で失くしてしまったことはここにも書いたのだけどhttp://jingumae.petit.cc/banana/2860330、見つけたパスモは同じように名前が印字されておらず、誰のものかはわからないものだった。
見つけた途端、「これはきっと、落とした人が僕のように困っているに違いない!」と思い、いろいろ考えたのだけど、ひとまず行きつけの『Bridge』に持って行くことにした。
『Bridge』に行き、友人のMに言うと、「とりあえず店で預かっておこうか」と言うことになり、そのままパスモを預けた。
その後、友人やKと、その落とされたパスモの話をしていたら、このままここに黙って預けておいても、ここのお客さんでない限りパスモは見つけてもらえないのではないかと思い、Mに言ってみたのだ。
僕「Mさん!紙とペンあるかな?このパスモのこと紙に書いて、下に貼っておこうかと思うんだけど・・・」
それを聞いたKは、急に不機嫌になり怒り出した。
K「ただしくん!ここはただしくんのお店じゃないんだから、余計なこと言わないでMさんの思うようにやらせてあげて!」
僕「え?でも、このままだと見つけてもらえないから、それだったら外に落ちてたんだから警察に届けるけど、名前のないパスモなんて警察では見つけてもらえないと思うんだよ・・・」
僕とKがなにやら言い合いをしている雰囲気を察したMがやってきて、ペンを取り紙に書き出した。
『パスモがここに落ちていました。お心当たりの方は、Bridgeでお預かりしています』
そしてその紙を、下のBridgeの看板に貼ってきてくれた。
帰り道、僕にとっては、「自分の親しいMにメモを頼むことくらいで、なんでそんなに目くじらたてるのだろう?」と思っていたのだけど、そんなやりとりがあった後でKは機嫌が悪かった。Kにとっては誰かにに迷惑をかけることが一番嫌いなのだろう。
朝起きて、スマホをのぞいたけど、Mからの連絡は入ってなかった。
僕は、「ああ、持ち主は見つからなくて諦めちゃったのかもしれない・・・」とも思ったけど、「もしかしたら4階の『女の子クラブ』かもしれないと思い、あとで電話してみようと思っていたのだ。
すると夕方、MからLINEが入った。
「結局3階のお客さんが、貼り紙を見て、PASUMO取りにきてくれた!とても感謝していたよ。ありがとう!!」
僕はとてもうれしくなって、そのLINEをKに見せると、Kはなんだか恥ずかしそうで、「ただしくん、得意げな顔してる!」と言って笑った。
きっとその落とし主も、次は僕と同じように、ちょっとした親切を誰かにするに違いない。

マイ・ブックショップ

子どもの頃から本屋さんが好きで、昔は本屋さんに行くたびに、この中に自分の知らない世界が広がっていると思い、ワクワクしたものだった。
ここ数年、町の本屋さんがどんどん少なくなっていき、自分でもアマゾンの手軽さについ頼ってしまうこともあり、本屋さんに行く機会もグッと減ってしまった気がする。
映画『マイ・ブックショップ』は、そんな『本屋さん愛』に満ち溢れた映画だった。映画としては成功していない作品だけれども、本屋さん愛をもう一度思い出させてくれて、見終わった後にほっとするような映画だったのだ。
原作者であるペネロピ・フィッツジェラルドは、イギリスの最も権威ある文学賞であるブッカー賞を受賞している作家。夫に先立たれた未亡人が、心機一転、イギリスの田舎の島の古い家を買い取って、愛する本屋さんを作るというお話。
衣装や景色、細部にまで古きよきイギリスの暮らしぶりがうかがえる、本屋さん好きにはたまらないかわいい映画。
⭐️マイ・ブックショップhttp://mybookshop.jp

the surprise

クリスマスの時期になると、会社のデスクの上に飾っておく絵本がある。
『the surprise』というタイトルの絵本は、10年以上前に僕がニューヨークから持ち帰ったと思われる絵本。
絵本なのだけど中に文字はなく、世界中の誰もが読める(見られる)絵本。読み終わった時の読後感が温かく、周りの後輩をつかまえては見せびらかせていた。
実は最近、作家であるシルビアさんと連絡が取れて、skypeでお話することができた。
シルビアさんは思っていた通りの柔らかく温かな印象の人で、そんな彼女だからこそ、この絵本のような温もりが滲み出てくるのだろうと思えた。
人生では、不思議なことが起こる。
もしも自分が望めば、会いたいと思っていたオランダ人の絵本作家でさえも、こうして会うことができるのだ。

不思議な落し物。

今日は会社は月に一度のお休みだったので、朝、原宿駅で私用のパスモと会社用の名無しのスイカにチャージして、渋谷のジムに行こうと山手線に乗り、渋谷駅で降りたのだけど、改札の手前でスイカを探しても見つからなかった。
改札口の手前で上着のポケット、デニムのポケット、カバンの中を何度も何度も探したのだけど、原宿駅を通過したスイカだけが見当たらない。
「電車は少し混んでいたけど、一駅ですられたのだろうか…?」
「改札を抜けてポケットに入れる途中に落としたのだろうか?」
「スマホを出した時に落としたのだろうか?」
一度別のパスモで出て、それでも納得がいかず原宿駅に引き返して改札口の駅員さんに落し物のスイカが届いていないか聞いてみた。駅員さんは明治神宮前方面の改札にも聞いてくれたけどスイカの落し物はなかった。
いつもは4000円くらいしかチャージしないのに、今日に限って3000円入れたら残額と合わせて6000円弱残っていたのだ。
要するに、6000円を不注意から捨ててしまったのだった。
落胆して食材を買って家に戻り、晩ごはんを作り、午後からの仕事のために会社に向かおうと思いつつ、時間差で原宿駅に届いていないかと思いながら、遠回りだけどまた原宿駅に行って聞いてみた。
同じ駅員さんが問い合わせてくれて、やはり届いていなかった。
僕は、すぐに忘れることもできずに、6000円あれば、何ができたかを考えては、もったいないことをしたなぁ…と、日頃の自分のガサツさを反省していた。
不思議だったのは、何故だかその名前も書いていないスイカが、まだ完全になくなったような気がしなくて、僕をどこかで待っている気がしていたのだ。
一夜明けて、ジムに行こうと渋谷駅に降りた時に、頭の上の方からお告げがあったのだ。
「JRの渋谷駅に聞いてみたら?」
それは、声ではなくて、ここに行ってみたら?というイメージが伝えられた感じだったのだけど、自分の中では、「渋谷駅の落し物置き場なんて、どっか遠いところまで行かされそう…それに、名無しのスイカなんて出てくるわけないでしょ」と思っていた。
目の前の改札のすぐ横に、忘れ物と書いた紙が貼ってあって、中の駅員さんにスイカのことを詳しく伝えた。
「昨日の9時過ぎに原宿駅で、3000円チャージして、残高は5970円で、渋谷まで来たけど改札でなかったんです…でも、名前も何もないんです…」
普通に聞いたら、「そんな落し物あるわけねーだろ」と言われてもおかしくないと思いながら。
おじさんはパソコンを見て、すぐに横の引き出しからスイカを見つけ出し、「これですね」と言った。
届け出てくれた人にお礼をしたかったけど、あいにく先方の連絡先は書いてなかった。
人生には、時々不思議なことが起こる。
僕のスイカは、僕のことを渋谷駅でずっと待っていてくれたのだ。
そして、この国もまだまだ捨てたものではないと思ったのだ。