しっとりとしてパサつきがない

塩味の胸肉の唐揚げ

しっとりとしているつみれ

大分に帰省していたKと会うために、久しぶりに愛する福岡へ。
クリスマスの頃はなぜか水炊きが食べたくなるので、大濠公園にある『橙』を前もって予約しておいた。
『橙』に来るのはこれで3回目か4回目になるのだけど、伝統的な博多の水炊き店というよりも、新しい水炊き店だろう。
伝統的な水炊き店だと、火が入りすぎていて鶏肉の身自体がパサパサのところが多いのだけど、『橙』の鶏肉は、どれもふっくらとしてしっとりしている。
つきっきりでよそってくれるサービスではなく、適度にタイミングよくお皿によそってくれる感じも心地よい。
おすすめの鳥の唐揚げは、塩味で胸肉でありながらふっくらしている。つみれもしっとりして食べ応えがある。
シメは敢えて雑炊ではなくそうめんを。ニラ醤油を少し入れて食べるそうめんは、最後の鳥や野菜のスープがしっかりと出ていて格別美味しかった。
今度は寒い日にまた来たいな。
⭐️橙
092-726-0012
福岡県福岡市中央区大手門1-8-14
https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400105/40035537/

合鹿椀(ごうろくわん)。

角偉三郎さんという今は亡き作家の代表作と言われている『合鹿椀』を長いこと愛用している。
『合鹿椀』は、輪島の漆器を語る時に欠かせない器と言われていて、このたっぷりとして立ちあがりがある大振りなお椀は、農民がガッツリご飯を食べる時に使ったとか、またお寺でハレの日にお供え物をしたとか、諸説あり用途が未だはっきりとしていないようだ。
この器が美しいと思い、2つ買い求めた時は、「あああ、また衝動買いをしてしまった…」とも思ったのだけど、お正月やちょっとしたお客さんが来る時、週末の昼ごはんなんかにことごとく登場して、その度に買ってよかったと思うのだ。
今は、角偉三郎さんの後を息子さん角有伊さんが『合鹿椀』を作っていらっしゃるけど、使っていくうちに艶が出てくるところは同じだけど、似ているようで形はきちんと違っているから面白い。
今度は、角有伊さんのほかの器を買い求めて、使ってみたいと思っているところ。

母へのカミングアウト(第三部)。

トーチソング・トリロジー

「カミングアウトで、僕が一番恐れていたことは何か?」
と今になって突き詰めて考えてみるとそれは、
『同性愛者は、”普通の人”よりも、劣っている』
と思われること、卑下されること、恥ずかしい存在だと思われることだと思う。それも、自分が愛している家族によってそう思われることは何よりもつらいことだろう。
僕の大好きな芝居であり映画の『トーチソングトリロジー』の中で(もしも観ていない人がいたら、絶対に観ることをおすすめする)、主人公でゲイのアーノルドが、お母さんと罵り合う場面がある。
お母さんはずっと変わらずアーノルドを愛してきたのだけど、女装のショーパブでショーをやっているアーノルドのことを、どこか恥ずかしい存在だと思っているのがわかる。誰よりも母親を愛してきたアーノルドは、自分の自尊心や誇りを傷つけられて、お母さんと激しい喧嘩をして家を追い出してしまうとうシーンがある。
思い出しただけで涙が出てくるくらい見事な脚本でありシーンなのだけど、僕たちゲイの胸の奥深くに届くような、何がしかの真実がそこに描かれていると思うのだ。
今回のハッキリとした僕からのゲイ宣言によって、だいたいわかっていたと言う僕の母親でさえも、そこにハッキリとした落胆を感じ取ることができた。
あの後、毎日母から電話が来るのだけど、その中には、「なんだか力が抜けちゃったわ・・・」という言葉や、「あなた、小さい時からなんでも出来たんだから、今になってそんな裁判に出なくてもいいでしょう?」とか、「あなたの会社で不利益を被ることになるのが心配なの・・・」とか、余計な心配をかけてしまったのだな・・・と思う。
でも僕は、アーノルドほど強く誇り高く生きることはできないけれども、母に自分の子どもを卑下したり、かわいそうだと思ったり、恥ずかしい存在だと感じさせることはしたくないと思う。
これは時間がかかることだと思うけど、僕自身の生き方を見せることによって、母もいつか自分の子どもに誇りを感じられるようになって欲しいと思っているのだ。
(長い『カミングアウト三部作』をお読みいただき、誠にありがとうございました)

母へのカミングアウト(第二部)。

カミングアウトは、家族の置かれている状況が皆それぞれ違うため、一概にみんなに勧めることはできないと思っている。自分や家族が幸福で生きてゆくために、敢えてカミングアウトをしないという生き方の選択もたいせつだと思うからだ。
たとえば、僕の母は77歳でまだ元気な方だと思うけど、これが85歳でよぼよぼだったりしたら、無理にカミングアウトはしていなかったと思う。
今回は、同性婚に関する訴訟という問題が目の前に立ち上がったので、急遽この年の瀬に両親を呼び出してカミングアウトをしたわけだけど、ここに至るまでに僕なりに伏線を張ってきてはいたのだ。
そもそも僕の母は、父と連れ立ってアカデミー賞の候補にもなった同性愛映画『君の名前で僕を呼んで』を観に行っていた。これは僕が勧めたわけではなく、自ら映画への好奇心で観に行ったようだ。「同性愛の映画だったわ・・・」という話をいつかしたので、僕の方がびっくりしたくらい。
好奇心の強い母には日頃から映画を勧めていて、母はなんの予備知識もなく映画館に入って映画を見るような人なのだ。そこで、先日ここにもあげた素晴らしい親子のドキュメンタリー映画『いろとりどりの親子』を勧めて、その映画もふたりで観に行っていた。
『いろとりどりの親子』は、ゲイで、長年親へのカミングアウトができず苦しみ、カミングアウトをした後も両親に受け入れられずに鬱病になり、その後、そんな親の期待しなかった子どもと親との関係性に注目して作品を書き上げた原作が元になっている。
月曜日のランチでは、僕がカミングアウトをした時に、ちょっと間を置いてから父が、「あ・・・あの映画だ・・・」と言った。その映画が、『君の名前・・・』なのか、『いろとりどり・・・』なのかはわからないけど、父も母も最近観た映画の知識は持っていたわけだ。
それでも実際に衝撃を受けたのはお義父さんの方で、夜に母から電話があったのだけど、父は帰るなり部屋に閉じこもってしまったようだった。
母「あの人には、いきなりで急には理解できなかったみたい・・・でもあの人は優しい人だから、きっと大丈夫よ」
僕「驚かすつもりはなかったんだけど、いきなり情報量も多すぎたよね・・・あとで本を送るから読んでみて」
母「あんたがその人と結婚するなら、ここの家の戸籍になるんだから、あの人にとっても真剣な問題なのよ・・・」
僕「お義父さんがどうしても受け入れられなかったら、戸籍を元に戻すって、今日会って話した時も言ったよね?」
母「うん。もしあの人が嫌だったら、うちの戸籍からまた元の戸籍に戻るからって、さっき私も言っておいたから」
そんなやりとりがあり、一夜明けて僕は本を実家に送ることにした。
<カミングアウトの助けになる本>
⭐️『先生と親のためのLGBTガイド もしあなたがカミングアウトされたなら』遠藤まめた[著]合同出版
とてもわかりやすく簡潔に書かれている。学校で使われるのが目的かもしれないけど、大人になった親子にもたいへんためになる本。
⭐️『カミングアウト』砂川秀樹 ASAHISHINSHO666
カミングアウトは、伝えたら終わりではなくて、伝える側と伝えられる側の関係性が再構築されることだという主旨に沿って書かれている。カミングアウトのケースが8つ載っており、涙なしには読むことはできない。LGBTに関する基礎知識や、今に至る問題点まで丁寧に書かれている。文章量がある程度あるので、本を読み慣れている人にはおすすめできる。

母へのカミングアウト(第一部)。※長文です

代休を取り、たいせつな話があったので、母と父と食事をしに津田沼まで出かけた。
母は僕の本当の父と、僕が高校を卒業した後に離婚していて、その後僕が就職して一人暮らしをしてから今の父に出会いしばらくして再婚し、昨年僕も子どものいない母と義理の父の家に養子として戸籍を移している。
母の好きな銀座アスターは平日のせいか空いていて、僕たちは一番奥の部屋の眺めの良い窓側に通された。僕たち以外のお客さんは、一人で食事に来ているおばあさんがいるだけだった。それを見て僕は内心ホッとしていた。
食事が進み、メインの炒飯が終わる頃、僕がおもむろに切り出した。
僕「お母さん、お義父さん、今日は大切な話があるんだ。
はじめに話しておくと、お母さんのせいでもないし、父のせいでもないし、僕のせいでも誰のせいでもないことなんだけど・・・それに、お母さんはもしかしたら知っているかもしれないけど・・・
僕は・・・男の人が好きなんだ・・・」
母「あら・・・あんた、私は知っていたけど、この人には話したことはなかったのに・・・なんでこんなところで急に言うのよ・・・」
義父「え???」
僕「少し前に渋谷区で同性パートナーシップに関する条例が可決されて、その後様々な地方に広がっていってるのは知ってる?」
母「知ってるわよ。フランスとかスペインとか外国では同性婚が認められてるじゃない。でも、あんた、高校の時から手編みのセーターなんかをいくつももらったりしてたじゃない?」
僕「でも女の子はどうやっても好きになれなかったんだよ。これは生まれつきなんだと思う。はじめから男の人しか性的指向が向かないんだ」
母「お兄ちゃんもいつかあんたのこと話してたけど、私はそう?って言っておいたの。もしかしたらまた変わるかもしれないと思って・・・」
僕「お義父さんには、すぐには理解出来ないかもしれないし、いきなりこんな話して申し訳ないけど・・・来年からはじまる同性婚訴訟に出るかもしれないという話があって、事前に話をしておきたかったんだ」
僕「世の中ではかなり誤解されている部分があるのだけど、さっきも話した性的指向というのは、趣味嗜好の性的嗜好とは違っていて、変えることのできないものなの。ちなみに心の性も変えられないの。トランスジェンダーって知ってるでしょう?」
母「だってあんた、女の子ともつきあってたじゃない?もうどうしてもだめなの?」
僕「僕も若かった頃なかなか自分の性的指向が受け入れられなくて、なんとか変わるんじゃないかって、いつか女性を愛することができるんじゃないかって悩んだこともあったけど、成長していく中でそれは変えられないものだって身にしみてわかったんだ」
僕「まだ話したことはなかったけど、僕にはパートナーがいるの」
母「あら!何歳なの?」
僕「16歳下の33歳」
母「あら、若いわね・・・その子はどこにいるの?」
僕「九州の子なんだけど、今は一緒に暮らしてるよ」
母「仕事は何をやってるの?」
僕「病院で検査技師をしてる」
母「向こうのご家族は知ってるの?」
僕「知ってるけど、まだ会ってない」
義父「・・・変えられないんじゃしょうがないね・・・」
僕「物心ついた時からずっと悩んでいて、これを言ったらお父さんとお母さんにもう愛されないんじゃないかって思って、ずっと自分の中に隠して生きてきたんだ・・・成長していく中で変えられるかもしれないって自分なりに色々やってみたんだけど・・・どうやっても変えられないんだ・・・」
僕「お義父さんもお母さんも、同性のことを好きになることできる?できないでしょう?それとおんなじことなんだよ・・・」
母「今、そういう人たちがどんどん増えてきてるじゃない・・・」
僕「増えてるんじゃなくて、みんなそうだって言えなかったんだよ。いじめられることとか差別が怖くて言えずに息を潜めて生きているんだよ。最近になって色々ニュースになってきてるだけで、未だに女性と結婚している人も多いんだ」
僕「お母さんもお義父さんも81歳と77歳なのに、急にこんな話を一方的にしてごめんなさい。受け入れていくには時間がかかることだと思うんだけど・・・本とかあとで送ろうか?」
母「本なんかいらないわよ・・・この人がちょっと心配だけど・・・」
僕「お義父さん、もし受け入れられなかったら、僕は戸籍また元の名前に戻すから・・・」
僕「僕がこんなだからって、かわいそうだとか思わないでね。
お母さんやお義父さんも、世の中に対して恥ずかしいことだとか引け目を感じる必要はないからね。
僕ははじめっからこうなんだし、今はこうやって幸せに生きているんだから・・・」
兄の家族は、マスコミに出ている僕のことを知っていると思うので、敢えて直接話はしていないのだけど、77歳の母へのカミングアウトは、実際のところずっと保留にしていたのだ。血のつながっていない81歳のお義父さんのことが僕にとっては問題としては大きかったから。
食事が終わって3人で駅に向かう途中、お義父さんはなんだか放心状態のように見えた。
母が「その子にはいつ会えるの?」と聞いてきた。
そして、僕が母と父のためにお土産で買った肉まんを差し出して、「この肉まんを持って帰って、ふたりで食べなさい」と言った。
僕は「Kは今、九州だからお母さん持って帰って食べて」と言った。
駅で、小さなふたりを見送りながら思ったのだ。僕は、80歳にもなるふたりに、本来ならば知らずに済んだことをわざわざ告げて心配をかけてしまったのだろう・・・と。これからふたりが時間をかけて考えなければならない予期せぬ大きな問題を与えてしまったのだと。
そしてこんなことも思ったのだ。
自分がゲイであることを、本当の意味で心の奥深くでやっと受け入れることができたのだと。

新宿三丁目の新しいお店。

紅茶を淹れているところ

紅茶を詰めた水筒

日曜日は朝8時に、新宿三丁目の新店に集合だった。
僕は早めに起きてほうとうを作り熱々を頬張った。
お湯を沸かしてアールグレイを沢山作り、持っている2つの水筒に流し込んだ。(紅茶はモタモタしていたせいでちょっと濃いめになってしまったのだけど)
カバンに週末に届いたシュトーレンとパン切りナイフとカッティングボードを入れて新宿三丁目に向かう。朝陽のさす新宿三丁目は美しく、御苑の終りかけの紅葉が見える。
お店にはもうスタッフがいて、簡単に打ち合わせをした後、みんなでドトールに入り更に打ち合わせをした。
僕の19歳の娘(ゲイの友人)が遅れてやってきて、更に話は盛り上がり、スタッフの羽織りを作ろうか?などと新しいアイデアが次々と出てくる。
もう一度お店に戻り、今度は上の階に移りそこでシュトーレンを持ってきたカッティングボードの上で切り、濃いめに入れた紅茶をみんなに配った。
みんなから歓声が上がって、ちょっと重く面倒だったけど、シュトーレンと紅茶を持ってきてよかったと思った。
新しいことをはじめる時は、ワクワクする。
新しい店に、色とりどりの人たちがやってきてくれますように。

ヒヤシンスの水耕栽培。

昨年の日記を見てみると、12月9日にヒヤシンスの水耕栽培のことを書いていた。毎年同じ時期に同じことをしている自分に、我ながら可笑しくなってしまう。
今年はヒヤシンスの球根を15球買って来てあり、5個ずつに分けて時期をずらせて花が咲くように調整することにした。
第1弾の球根5個は、12月3日に水につけてダンボール箱の中に入れ、外に出したのだ。
そして第2弾の球根5個を、12月15日に水につけてダンボール箱に入れて外に出した。
第3弾は、12月27日頃に準備をすれば、それぞれ10日おきくらいに咲いてくれるだろう。
第1弾の球根は、年末に部屋に出し、明るい光に当てることにするつもり。球根は太陽の光を受け始めると、ぐんぐん伸びていって花を咲かせるだろう。
お正月後の東京が一番寒い1ヶ月半を、球根の成長を楽しみながら乗り越えられますように。
⭐️ヒヤシンスの水耕栽培
◎用意するもの
水耕栽培用の容器。または球根が上で止まるような小さなコップ。ヒヤシンス。
◎水耕栽培のやり方
ヒヤシンスの球根は、水に浸けっぱなしにすると菌が水の中で繁殖してすぐに腐ってしまうので、珪酸塩白土などをひとつまみ水に中に加えてから球根の下部の黒っぽい部分だけ水に浸かるようにして、暗く寒い場所に1ヶ月間くらい置く。(ダンボールなどに入れて光が入らないようにガムテープで蓋をしておく)
その間、1週間に1度くらいはお水を替えてあげて、やがて白い根が伸び始めて、芽が顔を見せ始めたら、やっと明るい室内に移動にさせる。
小さな球根をひとつ育てるだけで、宇宙の力を感じるに違いない。

能登ニノ椀

能登の漆作家である赤木明登さんの器を、僕の家では数種類愛用している。
今回、溜まり色と朱色の能登ニノ椀を二つ買い求めた。
ご飯用のお椀、はぞり椀、お寺で使うようなお椀など、どの形も長年それが使われてきた用途が想像できるような、使い手のことがとても考えられたお椀だと思う。
先日、三谷龍二さんの器が欠けてしまったことをここに書いたのだけど、三谷さんの器も問い合わせたら、破片が残っていたら、修理が出来るかもしれないので送ってくださいという返信をいただいた。
赤木さんの器は丈夫で、今まで欠けたり壊れたりしたことはないけど、この新しい器を、また毎日の生活の中で大切に使っていけたらと思っている。
この器は朱色と溜まり色だけど、うちには、こんな風に朱色と黒というような二色のペアの器が多い。
ご飯を食べる時に、Kはどういうわけだか朱色が自分の器と決めているようで、何も言わなくても朱色の器はKの場所に置かれる。
時々僕が朱色の器で食べようと僕の席に料理を装って朱色の器を置くと、それに気づいたKが100%黒の器に変えてしまう。
自分のことを、朱色の器を使う妻だと思っているのだと思う。

POUND-YA

メンチカツ

うにたまご

ステーキ

今年最後の忘年会のために、六本木にある『POUND-YA』へ。
『ホントにおぴしい国産牛をホントにいいの?なお値段で』
そのキャッチフレーズの通り、牛肉をがっつり食べられるお店。それでいてバーニャカウダの野菜など、味がしっかりと濃く、フィノッキオやチコリなど、イタリアやフランスでは普通に食べられる様々な種類の野菜が食べられる。
ビーフシチューやハンバーグはしっかりと牛肉の味が濃い。
ステーキに至る頃にはお腹がいっぱいだったけど、牛肉だからかすんなり食べることができた。久しぶりに再訪したいと思えるような忘年会のお店だった。
★POUND-YA肉の量売り食堂ポンドヤhttp://www.pound-ya.com

恥ずべき存在。

Kとふたり、ゲイカップルとしてマスコミなどの公の場に出るかどうするかという相談事があり、Kも一存では決めかねていて、今回の帰省を機に大分でご両親にその旨を相談することにした。
夜にひとりでご飯を作っていると、KからLINEが入った。
K「お父さんたちは、どちらかというと反対みたい」
僕「じゃあ、出てもいいってこと?」
K「周りが田舎だし、まだ心の準備ができてないみたい。顔出しもあまりやってほしくないみたい」
僕「Kちゃんだけ顔にモザイク入れて、アニメ声で出る?」
K「やだ」
K「お父さんは心配している…というか不利益を被る可能性があるのが心配みたい」
僕「だって、遅かれ早かれ同性婚は認められることになるんだよ。先進国G7では同性婚やそれに基づく制度がないのは日本だけなんだから。親戚が心配なんだよね。きっと」
K「兄弟親戚」
僕「お父さんが、Kちゃんも家族も惨めな思いをすると思ってるんだよね」
K「自分は保守的だからと言ってた」
僕「お父さんたちに、あまりしつこく言わなくていいからね。時間がかかるのだと思う。久しぶりの実家なんだから、ゆっくりしてね」
少し間をおいて、僕はなんともいたたまれなくなって言ったのだ。
僕「ただしくんも、Kちゃんも、
誰にも恥じることはないんだよ。
ふたりでもっと幸せになろうね。」
僕たちは、同性が好きだと気づいた物心ついた時からずっとずっと、自分がゲイであることは、恥ずべきことのように感じて生きて来たような気がする。
田舎に住むご両親とのやりとりを見ていても、ご両親がゲイであることを卑下していることがうかがえる。
ゲイである僕たち自身が、自分のことを恥ずかしいと思っているのだ。周りの人だって同じように考えるだろう。
僕たちは、恥ずべき存在なのだろうか?
そんな気持ちをずっと抱えながら生きて来た人々が、誇れなくてもいいから自らを肯定することが出来たらいいのにと思う。
恥ずべき存在ではなく、祝福されるべき存在なのだと思える世の中になるように、僕たちにはまだまだやれることはあるはずだ。