シミ。

昔から仲のよい同期や上司、後輩や関係会社の人たちと、時々思い出したように飲み会を続けている。懐かしいメンバーが久しぶりに銀座のいつもの店『ワイン厨房たるたる』に集まった。
気のおけない仲間たちとワイン片手にトークが弾んでいた中盤でハプニングは起こった。僕の斜め前に座っていた後輩が向かいの席に座っている僕の1つ下の後輩に赤ワインを思いっきりぶっかけてしまったのだ。
つい夢中になって赤ワインを持つ手が滑っただけなのだけど、狭い店内でくっついて座っていたせいもあり、真っ白なポロシャツは一瞬にして赤葡萄色に染まってしまった。
お店の人が中から漂白剤のスプレーなるものを持って来てスプレーしたのだけど、シミはますます変な色となり布地に広がり、手の施しようのない状態になってしまった。ワインをかけてしまった後輩は謝り続け、隣の後輩は、「気にしなくていいよ」と言うのだが、あまりにも酷い惨状にみな少し静まり返った。
以前にもここに書いたことがあると思うのだが、シミには、『ドクターベックマン』がよい。
日本にはないドイツの技術が詰まった製品は、日本のシミ抜きとは違い、シミの成分を分解して布地から離して取ってくれるのだ。以前も友人がホワイトジーンズに赤ワインをぶちまけてしまったのだけど、そのシミもきれいに落ちたので驚かされたことがある。
このドクターベックマン、シミの種類によって製品が分かれているのだけど、日常的なほとんどのシミであれば、写真の携帯出来るステインペンが便利だ。カバンにいれておけば、ちょっと飛ばしてしまったトマトソーズのシミなんかをその場で綺麗にしてくれる優れもの。
パッケージデザインがなかなか秀逸だと思うのだが、これは僕がデザインさせていただいた。笑
☆ドクターベックマンhttp://www.ecomfort.jp/SHOP/83732/list.html

記念写真。

週末に家を片付けていたら、9年前くらいだろうか、伊勢丹の写真館で友人たちと浴衣を着て撮影した記念写真が出て来た。
特に何か記念日があったわけではなく、ふいに思い立って、仲のよい友人Mと女の子の友人KRと3人で浴衣を着て伊勢丹の写真館を予約して撮影したのだった。
写真を見ると、僕は随分やせていて髪型も今と違っている。友人たちもずいぶん若く見えるけど、みんなとてもうれしそうな顔をしている。Kは写真を見ながらずっとゲラゲラ笑っていた。
その写真を会社に持って行き、定規とカッターで写真立てにきちんと収まるようにカットして、家に帰って以前Mに誕生日祝いにもらった写真立てに飾ってみた。
今まで写真立てを人に送ることはあったけど、自分の写真は家ではほとんど飾ることがなかった。今、友人たちと並んで楽しそうに笑っている写真を飾ってみると、なるほど、写真立てとはやっぱりいいものだなあ・・・と改めて思ったのだった。
写真なんて今や、iPhoneでいつでもどこでも気軽に撮ることができるけど、撮るだけで満足していてじっくりと見ることもなかったように思う。こうして写真立てに飾ってみると、楽しかったあの頃がそっくりそのままそこに閉じ込められているように感じるのだった。
それと、写真館で撮ってもらった写真って、やっぱり何とも言えず味わいがあるものだ。今度Kと5周年を迎えるのだけど、それを記念してまた伊勢丹の写真館で撮影をしたいな。

花様年華

昨日に引き続きル・シネマに『ウォン・カーウァイ特集』を観に行った。
説明がまったくない映画なので、とてもわかりにくいストーリーだと思う。はじめてで、しかも1度しか観ていないので間違っているところもあるかもしれないが、僕なりにこの映画を解釈したいと思う。
1060年代の香港の雑居ビル。トニー・レオンとマギー・チャンは、偶然同じ日に隣同士に引っ越してくる。ふたりにはそれぞれ奥さんと旦那さんがいるが、ふたりとも忙しく夜勤であったり海外赴任が多かったりでほとんど家には戻って来ることがない。トニーとマギーは、本を貸したり返したり、隣同士の関係を保ったままでいるが、ある日お互いの旦那と奥さんが浮気をしていることに気づき、トニーとマギーは少しずつ親密な関係になってゆく・・・。
べたべたのラブロマンスを想像していたら、全く違った映画だった。それは純粋で儚く、決して一線を越えようとしない稀に見る美しいラブストーリーだったのだ。
多くを語らず、観客の想像に任せる余白のある物語の構築手法は、ウォン・カーウァイの凄腕だろう。香港の湿度の高い空気感と、雨、極彩色の衣装や背景が物語に深みを与えている。マギー・チャンのチャイナドレスが例えようもなく美しく、後ろ姿が印象に残る。トニー・レオンは哀愁感の漂うまなざしをしている。
大人だからこそ、簡単には身体の関係に移行しない、そのぎりぎりのところで保ち続けている恋愛関係がせつなく美しい。
映像の随所に、物語に込められた秘密が散りばめてあり、観終わった後にふたりで、「あれはどういうことだったの?」などと、話が出来たらとても面白いと思う。(僕たちの場合、観終わったあとにKは、「映画でこんなに寝たのははじめて」と言っていた。笑)
☆花様年華https://www.fashion-press.net/news/30766

ブエノスアイレス

友人たちに何人もファンがいる有名なゲイ映画、ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』を、僕は48歳になってやっと劇場で見ることが出来た。渋谷のル・シネマでアンコール上映『ウォン・カーウァイ特集』をやっているのだ。
香港から、地球の裏側のブエノスアイレスへ、イグアスの滝を見にいこうと旅に出たゲイカップルは、諍いを繰り返し、香港へ帰るために資金も使い果たしてしまう・・・。
この映画は、きっちりとした脚本があったわけではなく、ゲイの役をやりたがらなかったトニーレオンのために脚本を変えたからと口説いて(騙して?)ブエノスアイレスへ行き、香港でのコンサートで行ったり来たりするレスリー・チャンとともに撮影を進めたと言う。
それにしても、我々からすると地の果てのように思えるブエノスアイレスでの撮影によって、歴史に残るせつないゲイ映画が誕生したのだ。
憂いを秘めたやさしい眼差しのトニーレオンと、気分屋で独善的なレスリー・チャンがつきあうということは、絶え間ない諍いの繰り返しなのだけど、誰かとつきあったことがある人にはよくわかるであろう、愛憎が入り混じった痛みとともに感じる愛おしさのようなものがふたりの間で育まれていく。
クリストファー・ドイルの映像が、ブエノスアイレスの郷愁を見事に映し出していて、息を飲むほど美しかった。
蛇足だが、映画は、DVDで観るのと劇場で観るのとでは全く違う体験になると思う。初めて観る名画は、出来るだけ劇場で観ることをおすすめする。先にテレビ画面で観てしまうと、もう2度と劇場での感動は味わえないからだ。
⭐︎アンコール上映ウォン・カーウァイ特集6月30日までhttp://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/17_wong_2.html

色鉛筆。

昨日ここにあげた外苑前の雑貨屋さん『doinel』で、このチェコスロバキア製の色鉛筆を買った。
昔小学校で、こんなような色鉛筆で丸いやつを使っていたような気がして、見た瞬間に何か惹かれてしまって買い求めたのだ。
この小さな170円の色鉛筆、僕たちのようだと思うのだ。

doinel

表参道の246からワタリウムに抜けるときに、ふと学生の頃からよく歩いた道を通ってみた。
マックを過ぎて細い小さな道を左に曲がる道を曲がって外苑西通りに出る道なのだけど、その道沿いに素敵な雑貨屋さんがあるのを、僕はどうやら長い間気づかずにいたみたい。(外苑西通りから行く場合は、スタバを過ぎてドコモを過ぎてすぐに左に曲がる)
店の名前は『doinel(ドワネル)』。
小さな店内には、僕の好きな器作家の作品や、フィレンツエの紙で出来た上質な文具、北欧のリネン類、100年前の北欧のワイングラスなど、いつまでも見ていたいと思える素晴らしい品揃えなのだ。
1つ1つのものたちを見ていたら、それぞれに作られた背景やストーリーが感じられて時の経つのを忘れてしまう。
『生産者の精神や作られた背景を感じられる、「プロダクトとして成立する最小単位」というコンセプトでセレクトしたアイテムをご紹介しています。』(ドワネルのホームページより抜粋)
ここ最近はずっと、外苑前の雑貨屋さんは『CIBONE』さえ見ておけばいいと思っていたが、この『doinel』を見たら、シボネはもはや霞んで見えてしまう。
店の大きさではない。その店が、どんな思いで1つ1つのものを吟味して選んでいるのかが僕にはたいせつに感じられた。
⭐︎doinel http://doinel.net/

やすらぎの郷

新宿2丁目のぺんぺん草のひろしさんが、「あんた、やすらぎの郷って知ってる?」と、随分前に僕たちに聞くのだ。
その時は誰もそんな名前知らなくて、「どこかの老人ホームの名前でしょ」と僕が答えただけだった。
話を聞くと、どうやらそれはテレ朝のドラマの名前らしく、倉本聰が久しぶりに脚本を書き下ろしているという。
「とにかく、びっくりするくらい豪華な女優さん俳優さんだから、見てみなさい!」
そんな話を聞いていたのを覚えていて、第1話から見始めたのがもうだいぶ前だろうか。石坂浩二、八千草薫、浅丘ルリ子、五月みどり、野際陽子・・・なんなの?この豪華メンバーは・・・
それ以来Kとふたりで、夜にごはんを食べた後に観るのがひとつの習慣になってしまって、1日に20分しか放映されていないからすぐに追いつくことはできたのだけど、見ているうちに倉本聰の術中にはまってしまったようで、今では僕たち二人の毎日の愉しみになってしまった。
老人を扱った映画がここ10年くらいどんどん増えはじめて来ていたけど、テレビでこれほど豪華メンバーで老人を主人公にして話を進めるなんて、時代を見事に映し出していると言えるだろう。
僕たちふたりは、この『やすらぎの郷』を観ながら、この豪華な女優たちの中で、誰がいったい演技がうまいか、誰がへたくそなのかと話をしたりしている。
なにをやってもいつも同じでその人でしかない人は、間違いなく演技の下手な人だろう。でも、このドラマでは、ほとんどの人がそれぞれのキャラクターに合った役柄で出ているので、ちょっと観ているだけでは演技がうまいのか、誰が正真正銘の大根役者なのかがわからないのだ。
仕事が終わって、Kとふたりソファで、『やすらぎの郷』を観ている時が、今の僕たちのやすらぎの時間なのだ。

ロゴをつくること。

この7月に、友人Gが会社を辞めて、新しい会社を立ち上げる。
そして同じ7月に、別の友人MKが歯医者さんを開業する。
双方からほぼ時を同じくしてロゴのデザインを頼まれて、数週間ああでもないこうでもないと考えながら過ごし、やっとのことで2つのロゴを提案し、最終的なロゴデザインが決まった。
ロゴをデザインする時は、『いったいどんなイメージにしたいのか』しっかりと希望を聞くところからはじまる。コンセプトをスラスラ語れる人はほぼいないので、会って話を聞くところからはじまる。慣れている人だと、短い文章やイメージの写真を送ってくれるので、それを元にどういうイメージなのか、必要であれば現地に赴き、より突っ込んで話し合いをする。
それから僕が持ち帰り、自分なりにラフを描きながら考え始める。僕の場合、黄金タイムは朝だけなので、その時間に集中してラフを描く。なるべくグラフィックデザインとして美しいものを。強いものを。あまり人には言ったことはないけど、この時間はいいものが出せるだろうかという重圧のかかる時間であると同時に、楽しく魅惑的な時間でもある。
広告は作っても、世に出たらすぐに消費され忘れ去られてしまうものだけど、ロゴのデザインは、その会社なり商品なりがある間は、ずっと生きたまま存在し続ける。
だからなのかどうかはわからないのだけど、僕はロゴのデザインが好きな方だと思う。町中で、思いがけず自分のデザインしたロゴに出会うと、なんだかちょっと誇らしい気分になったりする。それを利用してくれている人が、気に入ってくれているとわかるとうれしいものだ。
この7月に立ち上がる2つのロゴが、オーナーだけでなく他の誰かが目にした時に、何か心を動かされるものであったらうれしい。

駅までの道のり。

家から駅までの道は歩いて8分くらい。今週はKが早番なのだけど、洗濯も食器洗いも済ませて8時過ぎには一緒に駅に向かって歩いた。
いつもおばあさんが花の手入れをしている家の前を通りながら僕が言う。
僕「木瓜が終わってバラが終わって、今度はあじさいだね」
そんなことを話しながら、同じ景色であってもふだん僕が見ている景色とKが見ている景色が全然違うことに気づいた。
K「前から来るおばさん、いつもものすごい勢いで歩いてくるんだよね。こないだなんか、障害児の団体を睨みつけてた」
僕「こわいね・・・はじめて見た・・・」
僕「あ、あの向こうを歩いている男の子!すれ違う時、いっつも俺の足下の靴をチェックするんだよ。それもあからさまにふりかえって靴を見てるの・・・たぶん、ニューバランスが好きで、僕がとっかえひっかえニューバランスを履いてるからチェックしてるんだと思う。俺の顔は見ないから100%ノンケだな」
K「へー、面白いね」
僕はよく、通りの花や木や植物を見て歩いているようで、Kは集中して人を見て歩いているみたい。狭い道を何人もがすれ違えないくらい広がりながらこちらに向かって歩いてくるのもKは苦手のようだ。
僕「俺もいやだから、車道に出て歩くよ。朝から嫌な気持ちになりたくないもん」
K「Kちゃんはそのまま、避けないで突き進んでく。だって向こうが広がってるんだもん」
そんな話を聞きながら、向こうから来る会社を急ぐ人たちに向かって突き進んでゆくKのことを想像して、ちょっと笑ってしまった。

なんの予定もない週末。

なんの予定もない週末が好きだ。
朝起きた時に、急に思いついたところへ出かけてもいいし、なんにもしないで家でゆっくり過ごすのも幸せを感じるひとときだろう。
久しぶりに、東京でなんの予定もない週末を過ごした。Kは寝室に掃除機をかけてくれているのだけど、イヤホンをつけながら音楽を聴いて歌っている。(朋ちゃんの歌みたいで笑った)
僕はゆっくりとごはんの支度をする。塩を振ってあったヒラマサを冷蔵庫から出して、冷凍庫から素麺のつゆを出して解凍させる。
ミョウガや大葉を切って、出汁巻きを焼いて、菜っ葉と油揚げを炒めて、ヒラマサを焼きながら素麺を茹でる。
ふたりで食べる朝ごはんは毎日のことだけど、なんて幸せなのだろうとつくづく感じる時間だ。
さあ、今日はふたりで何をしよう?
今日一日が100%自由であるとは、なんと心躍ることだろうか。