春の知らせ

土曜日も日曜日も仕事になり、こんな天気のいい週末に仕事とは・・・と思いながらも、会社に向かう途中、鳩森神社に寄ってみた。
すると、白や赤の梅の花が結構咲いていて、冷たい空気の中にも、ぐっと春の訪れが感じられた。
昔はよく、熱海の梅園なんかに親戚で行ったのだけど、子どもの頃は梅の花が咲いても、桜のようには心動かされなかったのだけど、年をとったからか、こんなに寒い時期にひたむきに梅の花が咲くことも、なんとも愛おしく思えるようになった。
なんだか、おばあちゃんみたいだけど。

忙しい日でも、朝ごはんを。

今年に入ってからなんだか仕事がどどっと入って来て、飲みにも行けず珍しく忙しい毎日を過ごしている。
朝7時過ぎには出社してアイデアを考えなくては、昼の時間は打ち合わせや会議で埋まってしまっているから。
そんな毎日でも、Kにはきちんと朝ごはんを食べて欲しくて、6時前に起きて朝ごはんの準備をして出かけた。(Kは、僕を気遣って、適当に食べるからいいよと言うのだけど、僕が何もしないと、自分では面倒くさいのかほとんど何もしないのがわかっているのだ)
多めに作った根菜汁を温め、茹でたほうれん草には自家製昆布ドレッシングを添え、納豆を出し、プチトマトを切り皿に盛り塩を振り、大根の漬物と紅白のなますを出し、生姜焼きを焼けるように醤油と酒とみりんを合わし、豚肉を冷蔵庫から出してフライパンのそばに置き、冷凍のごはんを蒸せるように鍋をセット。
会社で仕事をしていると、置きて朝ごはんを食べるKから朝ごはんの写真が送られて来た。
あまりにも忙しいと、なかなか朝ごはんを作る余裕も作れないけど、なるべく出来る時は用意して出かける。
朝ごはんを作りながら思うことは、母のこと。
前の日に父と喧嘩をしようが、どんなに忙しかろうが、毎日欠かすことなく朝ごはんを作って食べさせてくれたことは、それだけでも本当にありがたいことなのだと今になってわかる。
時々ベッドでKの髪の毛を撫でていると、自分たちがまるで、毛づくろいをしているオランウータンのような気がしてくる今日この頃だ。

球根。

12月の14日に水につけたヒヤシンスの球根を、ずっとダンボールに入れて暗くしたままベランダに置いておいた。
1ヶ月くらい寒さに当てることが重要なので、週に一度水を換えながら様子を見ていたのだけど、1ヶ月過ぎたのでやっと家に入れることにした。
ソファの横に置いた球根は、どれも驚くほど根っこを伸ばし、一気に芽が顔を見せ始めた。
一足早い春の訪れを、一番寒い冬の家の中で見守っている。
宇宙のポジティブな力を眺めながら、小さな球根に勇気をもらっているのだ。

湯たんぽ。

夜眠る時、寝室の暖房はすぐに切るか、1時間もしないうちに切ってしまう。
Kとふたりでベッドで眠るようになって、布団の中がとても暖かいことに気がついたのだ。
ベッドの中でKは寝相が悪く、僕に脚を乗せて来たりするのだけど、代謝がいいのか、基礎体温が高いのか、身体がとても暖かくそれが地熱のようになって布団の中がとても暖かいのだ。
そんなKを、僕は時々「湯たんぽちゃん」と呼んでいる。
湯たんぽちゃんが隣にいれば、部屋の空気がむしろひんやりと冷たい方が、なぜだか気持ちいいみたい。
トイレから帰って、寒い寒いと思いながら、暖かい湯たんぽの隣に滑り込むと、なんとも言えない幸福を感じる。

サン・キャッチャー。

先日、サン・キャッチャーを買った。
サン・キャッチャーとは、純粋なクリスタルではないのだけど(本物のクリスタルのものもあるかもしれない)、光を捉えて虹色の光線をミラーボールのように放つ飾り。
朝日の入るリビングにサン・キャッチャーを吊るすと、陽の光を浴びて部屋中に虹色の光が無数に降り注ぎはじめる。
サン・キャッチャーは、元々はその虹色の光が風水的によいと言われているものだけど、朝ごはんを作りながら、虹色の光を見ていると、心がウキウキしてくる。
なんというか、子どもの頃の気持ちが表れる感じとでも言おうか。
毎朝Kと二人で、朝日を浴びるサン・キャッチャーを見るのがとても楽しみなのだ。

Kの小学校。

何気なくKと小学校時代の話をしていた。
僕は、小学校時代はずっと学級委員や生徒会をやっていたこと。リレーの選手だったけど、長距離はつまらなくて嫌いだったこと…。
僕「Kの大分の小学校は、1クラスどれくらいいたの?」
K「Kちゃんの同級生は、全部で16人だった」
僕「え? えええ???
同級生が16人しかいなかったの?!
それじゃあ、1クラスだけで16人だったの?」
K「うん」
僕の小学校は、1クラス45人くらいで10クラス以上あったと思う。
16歳違いということと、少子化、また、Kが暮らしていた大分の町は、大分の南の佐伯というところから更に奥にある町で、過疎化の問題もあるのかもしれない。
K「でも、今でも厄年の年なんかは、みんなで集まって神社に厄除けに行ったりするんだよ。去年僕がみんなに連絡してたでしょ?女の子の厄年だったから」
色々話を聞いていると、自殺をした子が一人いたり、一番頭が良かった子は、結局主婦になってしまったり、一人一人の人生の過程を、16人だからなのかとても詳しく知っていたので、その絆の強さに驚いてしまった。
僕は、高校では1クラス50人くらいいて、14クラスもあったけど、今、何をしているのか知っている同級生は、ほとんど数えるほどしかいない。
僕とKでは、住む場所も、東京と大分でまるきり違っていて、年齢も16歳違っていて、違う環境だらけなのだけど、何か違いを見つけるたびに、とても新鮮に思えるのだ。

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男

戦時中に数百万人ものユダヤ人を強制収容所へ送り、ユダヤ人問題の最終解決=ホロコーストの中心的役割を担ったアドルフ・アイヒマンは、戦争の終結とともに、海外へ逃亡した。
1961年のアイヒマン裁判を扱った『ハンナ・アーレント』という人間の残虐さを問いかけた素晴らしい映画があったけど、この映画はそのアイヒマンが捕獲に関わったフリッツ・バウアーという人物を追いかけた映画。
逃亡中のナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンが、海外に潜伏しているとの情報を得たバウアーが、ナチスの残党が残る中、危険も顧みずアイヒマンを捕獲する作戦に出る。
この映画を観て、50年代後半から60年代という戦後のドイツのことを、僕は何も知らなかったのだと思い知らされた。
ドイツは敗戦国でありながら、自らの過ちを受け入れ周りの国に対してきちんと謝罪をし、国際的にも認められている国だと思っていたのだけど、この頃は経済復興の勢いに乗り、未だにナチスの残党が国の中枢部に残り、国を影で支配し動かしていたようだ。
映画は、ポスターや予告からは想像できない、素晴らしい質のサスペンス映画だった。俳優たちの圧巻の演技、先の読めない脚本、戦後の暗い影を落とすドイツ社会の中で、奮闘するユダヤ人のバウアーを、震えるように見守り続けた。
こんな素晴らしい映画、今の日本では到底作れないだろうと思わせる作品。
★アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男http://eichmann-vs-bauer.com/info/?page_id=8

年賀状の当選番号。

Kが、年賀状の当選番号が出たよと僕に言っていた。
そんな声を聞いていたけど、僕は他のことを考えていたようで、しばらくしたらKがもう一度僕に言った。
K「ただしくん、年賀状、どこに置いたの?」
僕「あ、あの本棚の中」
Kは颯爽と僕の年賀状を取って帰って来て、ひとつずつiPadを見ながら当選番号かどうかチェックをし始めた。
入念にチェックした結果、カスリもしていなくて残念そうに文句を言っていた。
それでもそんなKを見ながら僕は、Kみたいな子を選んで本当によかったと思ったのだ。
年賀状の当選番号を調べるような子が、僕は好きなのだ。笑

パワーストーン。

左が僕のもの。右がKのもの。

昨日ここで書いたオーリングテストにより様々な石を左手に持った結果、僕の右手が開かなかった石(今の僕に必要な石)が5つ選ばれた。
タイガーアイ
天眼石
ブルーレースアゲート
スモーキークオーツ
ガーネット
パワーストーンと言われる石には、それぞれ意味があるようで、ひとつひとつの石の持つ意味を読みながら、これが今の僕に必要なものなのかと考えた。また、パワーストーンの持つ意味で、その石を選んだとしても、今の自分がその石を必要としていなかったならば(オーリングテストで必要としないと出たならば)、その石はその人にとって、なんの意味も持たないという。
不思議なことに、Kがやったオーリングテストでは、僕と同じ石はひとつも選ばれなかったのだ。
僕のパワーストーンは、全体的に色が黒くなんだかどす黒い色ばかりなのだけど、Kのパワーストーンは、色味が浅く、爽やかな調和が取れている感じ。
なんで急にパワーストーンをつけようと思ったかというと、昔から石が好きで、よく拾って帰っては、綺麗な石だけを収集していたからかもしれない。
それと、結局のところ、人間も突き詰めると波動だと思うからだ。
植物も、石も、この世界にあるものはすべて波動なのだ。
自分に共鳴する波動の石を身につけることは、案外いいのかもしれないと思ったのだ。

オーリングテスト。

オーリングテストというものをご存知だろうか?
右手の親指と人差し指でOの字を作り、指と指が軽くくっついているように意識をする。
ここで、もう一人の人が、その指を両手を使って開こうとほんの少し力を入れても、2つの指はくっついたまま開かない。
次は、左手でタバコを握ったまま右手で同じことをする。つまり、右手でOの字を作り、くっついたまま、他の人に両手を使って親指と人差し指を開こうとしてもらうと、右手はいとも簡単に開いてしまう。
身体にとって有害なものと、無害なもの(もしくは必要なもの)を識別できるというオーリングテスト(O-RING TEST)は、筋肉の反射を使った代替医療。
ニューヨーク在住の大村医師によって発見され、1993年にアメリカで特許をとったもの。西洋医学ではないが、癌や身体の悪い場所、身体に合った薬を見つける時などに応用されている。
今回、はじめてオーリングテストをしてもらった。それは、興味本位から、手首にパワーストーンをつけてみようかな…と思ったことがきっかけだった。
左手に水晶を持ち、右手が開かないか確認すると、今度は水晶の代わりに次々に左手に石を持たされて、その石を置いた時に僕の右手が開かないかどうかを調べてゆき、右手が開かなかった石(今の僕に必要な石)が選ばれるのだ。
オーリングテストを行ってとても不思議だったのは、目を閉じていても、開けていても、結果は同じだということ。
自分の意識ではなく、その石の波動のようなもので判断しているというのだけど、なんとも不思議な体験だったのだ。